|
◆ヒント◆ 力士や部屋の後援者のことを「タニマチ」と呼びますが、これは、「谷町」という地名からだそうです。では、谷町ってどこでしょう?
◆答え◆ 明治時代、江戸城が皇居と定められて、東京に明治天皇の行幸があった明治2(1867)年3月、力士が錦の御旗を捧持して東海道を歩んで行進したそうです。それというのも、幕末・維新の混乱期には、江戸の民衆も相撲どころではなく、更に明治維新を迎えても、相撲は、髷(まげ)が時代に合わない、古い野蛮なものだなどの理由からものすごく低迷していたからなのです。そのため当時の力士たちは、招魂社(現靖国神社)の建築、消防での活躍、展覧試合を催すなどして政府へアピールし、相撲以外にも関わることで、相撲の存在を認知させようとしたのです。招魂社(現靖国神社)の建築に関わったのが縁で、後年靖国神社境内では相撲がしばしば行われました。こうした御木曳の風習は今日でもあり、数年前に行われた明治神宮の遷宮の工事にも、関取連が御木曳に参加して奉仕しました。明治四十二年には、両国に相撲の聖地=国技館を作ります。この頃には、横綱常陸山と梅ケ谷の戦いなど、相撲は以前の人気を取り戻し、大正時代も人気を保ちました。
昭和に入り、相撲界は更に大きく変化します。実は当時、相撲界には、東京の相撲集団である「東京相撲」と、大阪の相撲集団である「大阪相撲」とが存在していました。大阪相撲は元禄時代からありました。力士や部屋の後援者のことを現代でも「タニマチ」と呼びますが、これは、明治時代の有名な後援者が大阪の谷町に住んでいたことに由来するからです。また、現在の年寄名跡として残っている時津風(ときつかぜ)、陣幕(じんまく)、三保ヶ関(みほがせき)、押尾川(おしおがわ)などは、もともとは、大阪相撲の「頭取」(大阪では、力士の親方のことを年寄ではなく、頭取と呼んでいました。)の名前でした。これら東京と大阪に別々にあった相撲協会が、昭和二年(1927年)、合併し、相撲界は一本化、(財)日本相撲協会となりました。
◆アクセス◆ 写真は、近鉄当麻寺駅・當麻寺参道途中にある葛城市相撲館「けはや座」。相撲の歴史や町を代表する力士などの約300点の資料、本物と同じサイズの土俵など見所です。我々には親しみ深い相撲ですが、意外と知らないことが多いことに驚かされます。
毎週火・水曜定休日、開館時間:午前10時〜午後5時
子供150円、大人 300円(団体、子供120円、大人 250円)
住所 奈良県葛城市當麻83-1
TEL:0745-48-4611
FAX:0745-48-4611
交通
・電車:近鉄南大阪線当麻寺駅下車、西へ徒歩約0.5km
・車 :西名阪自動車道、香芝I.Cより、国道168号線経由で約20分
西名阪自動車道、柏原I.Cより国道165号線経由で約20分
南阪奈道路、葛城I.Cより県道経由で約5分
|