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「日本の面白い」をクイズ形式で紹介!トリビアニッポン!

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◆ヒント◆ 横浜はいろいろな日本文化の発祥の地として有名ですが、競馬もそうなのでしょうか?競馬ファンなら知っている、2月のフェブラリーステークス。その前哨戦に位置づけされているレースがありますが、さてそのレース名は何でしょう?そのレース名こそ、実は日本最初の洋式競馬の発祥地の名前なのです。








◆答え◆ 広い意味での競馬は、日本では、寛平元(889)年、既に賀茂競馬が文献に書かれており、その後も 寛治7年までに断片的に賀茂競馬の記述がみられています。これらは、地方競馬の基のようです。当時はもちろん、騎手はちょんまげでした。
 これら古式競馬は、2頭駆けのマッチレースなどがあり、競争中の妨害行為も許されていました。文献や絵画で、相手の体をひっぱったり 馬具を奪ったりする様子が書かれています。また、当時の馬は、木曽馬などずんぐりした小さい馬で、調教などされていないので、蛇行したり、埒を打ち破って観客に突っ込んだりしたということです。(写真は久隅守景の加茂競馬図屏風)

 さて、いわゆる現在の形式の競馬ですが、その始まりは、1861年(文久元年)、横浜の相生町で居留イギリス人の要請により行われたレースでした。翌年に居留外国人の組織である「横浜レースクラブ」が組織され、その横浜レースクラブにより当時の競馬は施行されました。

 1866年(慶応2年)に、アメリカ人建築家J.H.モーガン設計によって、日本ではじめての洋式競馬場が建てられました。これは、横浜の根岸に建てられた「根岸競馬場」といいます。その根岸競馬場で春・秋の2シーズンに競馬が開催される様になりました。競馬ファンなら知っている現在ある「根岸ステークス」(毎年1月に東京競馬場で行われるダートコース・1400mのレース)は、この横濱(根岸)競馬場を記念した重賞競走なのです。

 1878年、「横浜ジョッキー倶楽部」が設立、1880年には「日本レースクラブ」に改称され、それまで居留外国人のみだった入会が日本人にも認められました。
 
 明治に入る頃には各地に倶楽部が作られ全国で開催される様になるそうです。そして、この頃既に、オーストラリアなどから、馬の輸入も始まっていたそうです。

 ちなみに1880年(明治13年)に横浜で行われた『ザ・ミカド・ヴェイス』というレースが、天皇賞の原型になったと言われています。勝ち馬の馬主には明治天皇から花瓶が下賜されたそうです。

 現在、「馬の博物館・根岸競馬記念公苑」で、その当時の様子が伺えます。馬に関するあらゆる分野の資料を6つのテーマのもとに展示(てんじ)しており、馬ファンは必見です?!


◆アクセス◆ 馬の博物館・根岸競馬記念公苑
       住所 横浜市中区根岸台1-3
       交通(1)JR根岸線「根岸」駅 徒歩15分 
         (2)JR根岸線「根岸」駅 市営バス7〜8分「滝の上」バス停 徒歩0分
       開館時間 10:00〜16:30(入館は16:00まで)
       毎週月曜日(祝日、振替休日の場合は開館)、その他臨時休館有
       料金<一般> 大人:100円、高校生:30円、中学生:30円、小学生:30円(団体は半額)
       (特別展示開催期間中は変更有)

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