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◆ヒント◆ 下関市西部の彦島・江の浦の沖合400mに浮かぶ巌流島は、二刀流の達人・宮本武蔵と燕返しで知られる剣客・佐々木小次郎が、慶長17(1612)年4月13日に決闘した場として、吉川英治、村上元三らの小説にも描かれている。もともと、小さい島だが今は観光スポットとしても人気。









◆答え◆ 巌流島の正式名称は船島。決闘に敗れた佐々木小次郎の号(流派)にちなんで巌流島と呼ばれるようになったという島である。この島は、大正時代から埋め立てが進み、現面積は10.4ヘクタール、周囲1.6kmで決闘当時の3〜6倍になったといわれていわれている。島内には、佐々木巌流之碑や巌流島文学碑、巌流島灯台などがある他、延長90mの人工海浜に決闘の砂浜を再現するなど、現在、海上公園としての整備が進んでいる。正解は○。

◆アクセス◆ JR下関駅から、サンデン交通バス彦島営業所行きで10分、バス停:江の浦桟橋通り下車、森渡船(往復1000円、要予約)に乗り換えて3分。またはJR下関駅→唐戸経由で7分、バス停:唐戸下車、徒歩3分の唐戸桟橋から関門汽船(往復800円、要予約、電話:093-321-3081)に乗り換えて10分

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◆ヒント◆井伊家は徳川家の重臣。家康は、武田家と合戦しているから、その強さはよく知っている。武田軍団は、当時、戦国時代最強の無敵騎馬軍団を持つ。軍を束ねるのは、やはり強靭な武田信玄やその息子、勝頼。







◆答え◆信玄には武田二十四将と呼ばれる優れた強い部下がいた。彼らの何人かが自分の隊に赤い甲冑などを揃えさせていた。これが世に恐れられた武田の赤備えである。しかし、この武田赤備えの無敵騎馬軍団も、長篠の合戦では織田信長の鉄砲隊に壊滅させられた。この時、信長は武田残党狩りを家康に命じるが家康はこっそり残党をかくまった。なぜなら武田軍の強さを徳川軍に取り入れるためである。そして、家康は自分の部下の井伊隊に赤備えまで着させ、その強さのノウハウを習得させた。これが井伊家の赤備えである。従って、答えは○。
 写真は彦根城。天下の名城の一つに数えられる赤備え彦根藩井伊家の居城である。国宝。午蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる特徴のある石垣に屋根の曲線の調和が美しい三重の天守をはじめ、大名庭園「玄宮園」など見所が多い。桜の名所としても有名。

◆アクセス◆JR琵琶湖線「彦根駅」から北西へ徒歩15分。

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◆ヒント◆宮本武蔵は、九州細川藩に召抱えられている。柳生十兵衛は、柳生宗矩の長男。柳生宗矩は徳川家兵法指南役である。









◆答え◆宮本武蔵は二天一流の、柳生十兵衛は柳生臣陰流の使い手である。果たして軍配はどちらに…。十兵衛の父、柳生宗矩は徳川将軍家兵法指南役で1万2000石もらっていた。その宗矩の死後、長男十兵衛と三男宗冬との間で遺領が分割され、石高は一万石を切ったとされる。一方、宮本武蔵は、九州熊本の細川藩に仕え、17人扶持、石高は300石であった。つまり、石高においては、圧倒的に柳生新陰流の勝利、二天一流の負け。答えは×である。

◆アクセス◆巌流島へのアクセス。JR下関駅から、サンデン交通バス彦島営業所行きで10分、バス停:江の浦桟橋通り下車、森渡船(往復1000円、要予約)に乗り換えて3分。またはJR下関駅→唐戸経由で7分、バス停:唐戸下車、徒歩3分の唐戸桟橋から関門汽船(往復800円、要予約、電話:093-321-3081)に乗り換えて10分

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◆ヒント◆家康は幼少時代は人質だったり、青年期も信長配下の一武将として働かされたりして苦労した。しかし、やがて秀吉の重臣となり、ついには豊臣家をも滅ぼして日の本をまとめた。老獪な戦国武将として名高い。





◆答え◆1600年の関が原の合戦後、家康は1603年に征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた。もともと征夷大将軍になれるのは鎌倉幕府を開いた源頼朝以来、源氏の姓を持つ一族だけであった。しかし、家康は1602年まで藤原氏であった。ではなぜ、征夷大将軍になれたのか?江戸幕府を開くにあたり家康が、源氏に復姓したからだ。家康いわく、「もともとは源氏だったが、たまたま藤原氏を名乗っていただけ」というのが言い分だったそうである。これはルール違反である。答えは○。

◆アクセス◆岐阜県JR関ヶ原駅より徒歩10分。関が原合戦場は今、史跡公園になっている。

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◆ヒント◆宣教師のルイスフロイスが来日し、その様子を記録している。





◆答え◆フロイスいわく「欧州人は糞尿を金を払って掃除させるが、日本人は金をもらって掃除させている」。すなわち、糞尿を売っているのだと。これは、戦国大名たちが山野を積極的に開墾させたためで、そのため肥料が少なくなったためだという。だからその頃、公衆便所を一人でいくつも持って稼いでいた人もあったという。また、金持ちの糞尿ほど栄養価が高いということで高く売れた。宣教師のルイスフロイスは戦国時代、信長などと会っている。その彼が日本の公衆便所のことを書いているのだから、すなわち、江戸時代以前の戦国時代には既に公衆便所はあったのだ。答えは×。ちなみに藤原京(694)には水洗便所の遺跡が残っている。

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