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			<title>朱儒の空言</title>
			<description>その時々に変化する自分の想いを文章にしてとどめて置きたいと考えて、手紙風に記録したものです。
２０世紀末から書き始めたもので、現在の自分の想いと違っている部分が少なくはありませんが、全体的には、否定するほどのものではありません。
これを読んでいただいた方のお一人にでも、僅かでもお役に立てることがあれば幸いです。
また、反対意見をお寄せいただければ、幸甚であります。
よろしくお願いいたします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>朱儒の空言</title>
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			<description>その時々に変化する自分の想いを文章にしてとどめて置きたいと考えて、手紙風に記録したものです。
２０世紀末から書き始めたもので、現在の自分の想いと違っている部分が少なくはありませんが、全体的には、否定するほどのものではありません。
これを読んでいただいた方のお一人にでも、僅かでもお役に立てることがあれば幸いです。
また、反対意見をお寄せいただければ、幸甚であります。
よろしくお願いいたします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo</link>
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		<item>
			<title>福田康夫総理の辞任会見に想う</title>
			<description>　おそらくマスコミは相変わらずの批判合戦を行うだろう。&lt;br /&gt;
　が、そうした見方とは違う感想をもったので記録しておく。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　まず、福田首相が、今の時点で辞任することが無責任であるとは、私は思わない。&lt;br /&gt;
　私は、今回の辞任が、今後の自民党政権にとって、最適に近い判断であったと思う。&lt;br /&gt;
　ＴＢＳのキャスターの後藤氏などが説明していたが、民主党の動きを的確にとらえた対応であり、おそらくこれからしばらくは、民主党の影が薄くなるだろうと予想する。&lt;br /&gt;
　そのへんのことは、マスコミのこれからの次期首相の予想合戦が、証明してくれるだろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　また、今回の福田首相の辞任会見を見ていて、いつもよりも自然な態度だと思った。&lt;br /&gt;
　言いたいことを言って、さっぱりしたような感じを受けた。&lt;br /&gt;
　内容はともかく、素直な感想であることは確かだと思う。&lt;br /&gt;
　記者の質問にも率直に答えていたと思う。&lt;br /&gt;
　・・・最後の中国新聞の記者の質問は、失礼であると私も感じた。&lt;br /&gt;
　「あなたと違って・・・」という答えは、記憶に残るだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　どうでもよい話だが、今回の会見放送は、ＮＨＫが、最も聴きやすかった。&lt;br /&gt;
　ＴＢＳや、テレビ朝日は、記者の質問の声が聴き取りにくかった。&lt;br /&gt;
　なぜだろう？&lt;br /&gt;
　また、この会見を、日本テレビ、フジテレビ、テレビ東京は、（リアルタイムで）放送しなかった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　日本国の首相の辞任会見よりも、ドラマなどの定時番組のほうが大事なのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　つまらないことかもしれないが、私は、こうしたことで、テレビ局の真剣さを判断している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんなこと、いまさら言われなくても分かっているよ、と思う人が多ければよいのだが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/56659481.html</link>
			<pubDate>Mon, 01 Sep 2008 22:51:26 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>ネット社会について思うこと</title>
			<description>　『インターネットはグローバル・ブレイン』（立花隆）にも書かれているが、たとえば、分からないことを手早く調べる時には、インターネットは最適のツールであると思う。情報が、網の目のようにつながっており、ある程度なら、細かく調べることもできる。&lt;br /&gt;
私も、休日には、「ブログ」や「YouTube」など「ネット・サーフィン」を愉しんでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『インターネット白書２００７』によると日本のネット利用者は、８０００万人超である。また、携帯電話による利用者を含めると、日本のネット人口は１．５億人と言われる。世界的には、2006-2007の１年間で10％以上伸び、ネット人口は７億人超となり、現在は、第三の「産業革命」と呼ばれるように、インターネットを介して情報と通信を中心とした社会（ネット社会）が地球規模で拡がりつつあるのを感じる。&lt;br /&gt;
　もしも、地球規模で張り巡らされたこの情報網が、良い方向に展開して行くならば、双方の情報不足が原因となっている紛争や戦争は、やがて減少するに違いない。&lt;br /&gt;
　だが、物事には良い面だけではなく悪い面が存在するのが普通である。&lt;br /&gt;
　インターネットやネット社会においても、例外ではない。&lt;br /&gt;
　悪い面は、投機市場における世界規模のマネー・ゲームにおいて顕著であろう。&lt;br /&gt;
　かつて投資家の投機対象は、株式や商品、不動産、通貨などに限られていた。&lt;br /&gt;
　だが、今や自由主義経済の名のもとに、エネルギーや食料などあらゆる市場に、オイル・マネーやファンド・マネーなどの巨大資本が投機的に流入し、その結果、食料品やガソリン価格の高騰となって庶民の生活に甚大な影響を与えている。すなわち、これまでの南北間（先進国と後進国）の経済格差問題に加え、新たに日本やアメリカなど先進国の国民の所得格差問題を悪化させる要因となっている。&lt;br /&gt;
　それでは、「ネット社会」において個人的にはどのように対応すべきなのだろうか。&lt;br /&gt;
　おそらく、この問題について個人的に解答を導き出すのは相当に難しいはずである。しかしながら、自分の頭で考えなければ、永久に解答は得られない問題でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私が、ネット社会について真剣に考えなければならないと思った理由は、6月8日に東京の秋葉原で起こった事件が、決して他人事ではないと感じたからである。&lt;br /&gt;
　これまで、同様の事件が発生した場合、「本人が悪い」「親の責任だ」「教育や政治の問題だ」「現在の社会システムに欠陥がある」という無責任な責任論ばかりで、具体的な改善案や「自分ならばこうする（しない）」という意見は例外的に少数である。&lt;br /&gt;
　今回も、テレビや新聞、ネット上などでの各方面の識者と呼ばれる方々の意見の多くは、「本人（犯人）や、家庭、職場などの社会環境が問題（原因）」というもの。&lt;br /&gt;
　中には、「ネット社会に内在する問題」とする鋭い指摘もあったが、いずれにしても今回の事件を、「対岸の火事」ではなく、「他山の石」と捉えた意見は皆無に近い。&lt;br /&gt;
　今後、ますます社会のネット化が進むにつれて、さらに広範囲な地域、すなわち、我々の身近な場所でも、様々な問題が発生する可能性は高まり、もしかすると、自分や家族などが、そうした悲惨な事件に遭遇するかもしれないのである。&lt;br /&gt;
　それ故に、今回の事件のような「ネット社会における問題」について、他人事として捉えずに、「他山の石」として、自らの認識を変えなければならないと考えるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後に、現代のネット社会を「脳化社会」と評する養老孟司氏が、現代の若者に対する生き方のアドバイスとして、次の記述・発言をしているので紹介したい。&lt;br /&gt;
　・「自分探し」なんてやめろ、本当の自分なんてない。&lt;br /&gt;
　・身体を使え。&lt;br /&gt;
　・努力・辛抱・根性　　&lt;br /&gt;
　・自分の世界観が『変わる』ことに勇気を持ち、それを楽しめ。&lt;br /&gt;
　・100年たってもなくならないような、人間の生活に密着した普遍的な職業を選べ。&lt;br /&gt;
　・教養とは他人の心が解ることだ。　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　インターネットから転記しただけのものである。だが、これを、単なる情報と思うか、真剣に考えれば自分のためになる生きた情報に変えられると判断するかどうかは、情報を受け止める本人の問題のとらえ方（認識）次第である、ことは言うまでもない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/56157729.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 Jul 2008 20:54:50 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>2007.01.14</title>
			<description>　しばらくぶりにブログに向う。特別の理由は無い。何となくそうした時間ができたというだけである。&lt;br /&gt;
　今日は日曜日。今、事務所にいる。自分のほかには誰もいない。２０人足らずの事務所のそれぞれのデスクにはパソコンが置いてあるありきたりの事務所である。そう書いたのは、決して○○組事務所ではないことを知らせたかった？からである。&lt;br /&gt;
　本当ならばやらなければならない仕事がないではない。明日のための準備もあれば昨日までにやり残した仕事もある。また、今日出勤した理由の第一には、新聞広告を見て求職者からの問合せがあるかもしれないと思ったからである。（残念ながら、その件に関してはまだ一本の電話も無い。想定内であるが。）&lt;br /&gt;
　というわけで？久し振りに近くの図書館に行ってきた。&lt;br /&gt;
　借りてきた本は次の５冊。「丸山眞男」（岩波新書）「日本の漢字」（岩波新書）「武満徹」（河出書房新社）「井筒俊彦著作集2」（中央公論社）「７つの習慣」（キング・ベアー出版）。&lt;br /&gt;
　２週間後には図書館へ返却しなければならないが、いつも期限をかなり過ぎても返せない。だから、５冊でなく２冊程度にすれば良かったかもしれない。最初の新書の２冊だけならば何とか２週間後には読み終えて返却できるだろうから。&lt;br /&gt;
　　実は、そもそも図書館に行くことの目的は「井筒俊彦」の本を借りることだったのである。&lt;br /&gt;
　自分は、どこかで誰かに約束したつもりでいるのである。「井筒俊彦」の本を読み、イスラーム文化を少しでも知る努力をすると。以前から読んでみたいと思っていたこともある。&lt;br /&gt;
　また、勉強はほとんどしなかったが、本だけは人並みに読んでいるため、私は、漢字だけは知っている人間だと誰かに思われているらしい。が、実際には漢検４級程度。ということもあり「日本の漢字」なる本を無意識で借りてしまったのである。&lt;br /&gt;
　「丸山眞男」「武満徹」「７つの習慣」の本を借りた理由は、名前を知っているが、それ以上には知らないからである。たまたま、見て行って目についたのがそれらの本だった、というだけのことである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ここしばらくは全く読書をしていない。それでなくてもボケ気味の頭がいよいよおかしくなってきた気がする。少なくとも本を読んでいる間は、少し自分の頭が良くなった気がするのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　本を借りて帰ってくる途中で空を見たら、快晴である。今日は、富士山がきれいに見えるだろう。先週の日曜日、山梨に住む娘のところからは、裾野しか見えなかった。風が強くて帰りの高速道路では100キロのスピードも出せなかったが時間的には早く家に辿り着いたことを思い出した。&lt;br /&gt;
　また、ここ一週間ほど寝込んでいる？次男のことをなぜか考えた。そして、子供を教育する母親を教育すべき自分を教育するのは自分しかいない、などと考えたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　久し振りに、Ａからの誘いの電話が入った、のでまとまりのないまま終了。&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/45612155.html</link>
			<pubDate>Sun, 14 Jan 2007 17:03:14 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年１２月１８日夜（その2）</title>
			<description>　自分は、朝、起きて飯を食い、二度寝をする悪習慣の鎖を切れずに、心中もがいている状況である。&lt;br /&gt;
　夜は、ゆっくりと本も読めず、ただこうして少しばかりの自己満足の文をワープロで書いている。&lt;br /&gt;
　ささやかではあるが、それが、今の自分にできることである。&lt;br /&gt;
　昨夜も、Ａから借りっ放しになっている宇沢弘文の本を、わずか３頁だけ読んで寝てしまった。&lt;br /&gt;
　三木清の本は、時々、昼間、運転中に読む程度である。&lt;br /&gt;
　『人格は、秩序であり、自由も、秩序である』という言葉が、何となく分っているようで分らないのである。&lt;br /&gt;
　現代は、戦前の三木清の時代よりも、秩序の失われている時代なのかもしれない、と思う。&lt;br /&gt;
　人格者とか、自由人という言葉は、ほとんど死語になっている気がする。&lt;br /&gt;
　それは、淋しいことであり、誤りであると思う。&lt;br /&gt;
　少なくとも、自分は、人格者になりたいし、自由人でありたいと願っている。&lt;br /&gt;
　だから、考えるために本を読み、考えるために行動することが必要だと、考えている。&lt;br /&gt;
　確かに、今の時代には流行らない考えであるかもしれない。&lt;br /&gt;
　だからこそ、自分は、変わり者であると思われているのだろう。&lt;br /&gt;
　子供のまま大きくなったような人間だと思われているのだろう。&lt;br /&gt;
　しかしながら、大事なのは、自分が、自分自身をどのように思うか、思えるかである。&lt;br /&gt;
　自分には、自分以外に、誰が自分のことを、本当に大切に思えるだろうか、理解できるだろうか、と思う。&lt;br /&gt;
　神を求める人と、自分の中に共通する部分は、そこにあるのだろう、と思う。&lt;br /&gt;
　しかし、自分は神を求めてはいない。&lt;br /&gt;
　神は、おそらく自分自身の中に存在するものだと思っているからだ。&lt;br /&gt;
　こんなことを書いても、実際に、そう感じた人以外には、どうでも良いことに違いない。&lt;br /&gt;
　おそらく、いつか、これを読んでもらう誰かにとっても、こうした自分の思いは、明日のその人の仕事よりは重要ではないに違いないと思う。&lt;br /&gt;
　しかしながら、自分は、こうして書いている。&lt;br /&gt;
　それは、自分と同じように感じている人が、必ず存在すると信じているからである。&lt;br /&gt;
　あるいは、十分に理解してくれる人がいると確信しているからである。&lt;br /&gt;
　三木清は、今は生きてはいないし、そのような人と、自分は出会うこともないだろう。&lt;br /&gt;
　それでも良いのである。&lt;br /&gt;
　限られた時間を、今、こうして過ごせることが、ありがたいと思えるから。&lt;br /&gt;
　それは、自分にとって、幸福な時間だと思えるからである。&lt;br /&gt;
　これで良いのである。今は。&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/29522108.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 18:31:40 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年１２月２５日夜</title>
			<description>　久し振りに、Ａの家を訪ねる。&lt;br /&gt;
　昼は留守だったが、夕方、会って話をする。&lt;br /&gt;
　コーヒーを一杯よばれる。&lt;br /&gt;
　話は（偏っていてＡには面白くないものだったろうが）結局、現在の自分の心境を吐露しただけである。&lt;br /&gt;
　Ａの心境はわからない。&lt;br /&gt;
　おそらく、いくら話しても仕方がない、というところか。&lt;br /&gt;
　自分は「恵まれていることがわからない」そうだが、確かに、わかっていないかもしれない。&lt;br /&gt;
　一般的に、自分のことほど分らないものだと思う。だから、そうでもあり、違うとも思う。&lt;br /&gt;
　違うと思うのは、今は自分にしか関心が無いので、人よりは自分を平静に見ていると思うから。&lt;br /&gt;
　人より恵まれている点は、今まで、大病もせず、余り物質的なことに拘らない性質をもっていること。&lt;br /&gt;
　というより、自分本位の考え方ができること、かもしれない。&lt;br /&gt;
　だが、自己流の考え方ができるという点が、よいことであるか、どうも分らない。&lt;br /&gt;
　分らないことは、そのままにしておく…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今、財布には、２１０円ある。&lt;br /&gt;
　何とか、バスで帰れる。しかし、歩いて帰ろうと思う。&lt;br /&gt;
　考えるためには、歩くことが必要だから。&lt;br /&gt;
　こんな考え方は、恵まれているといえるのだろうか。&lt;br /&gt;
　正直なところ、経済的に恵まれているかどうかは明らかである。&lt;br /&gt;
　だが、精神的にどうか。それは、個人個人の思いによって違うのではないか。&lt;br /&gt;
　自由な精神を持っている人は、ある意味では、恵まれていると自分は思う。&lt;br /&gt;
　しかしながら、それは自分が思うだけであろう。&lt;br /&gt;
　その人にとっては、厳しい生き方をしているのかも知れず、実際には本人でないと分らないと思う。&lt;br /&gt;
　表面からでは、その人の精神状態はわからないと思う。&lt;br /&gt;
　当たり前のことだが、意外と分かっていない人が多いのではないか。&lt;br /&gt;
　他人と自分を比較しても、仕方がないと思う。&lt;br /&gt;
　そこからは、同情や憐れみ、あるいは羨望や嫉妬、蔑みといった感情しか生じないのではないか。&lt;br /&gt;
　ライバル意識の良さもあるが、その根底には、素直な感動といったものは無いのではないか。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　素直に他人を見られる、子供のような心を持った人に、自分は、親しみを感じる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/29516469.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 17:33:51 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年１２月２６日朝</title>
			<description>　今朝になって、太腿に痛みを覚える。&lt;br /&gt;
　一昨日、大子の月居山から男体山まで歩いた疲れからである。&lt;br /&gt;
　男７名、女３名の総勢１０名で、約６時間の雪混りの山道を歩いた。&lt;br /&gt;
　このパーティは『遊山』という名がついていて、発起人及び会長はＳ氏である。&lt;br /&gt;
　今回初めてＳ氏とＮ氏以外の人達と一緒に歩いたので、比較的に楽だった。&lt;br /&gt;
　今年２８回歩いているというＫ氏（高校の２級先輩）と、５０回以上は歩いているＳ氏。&lt;br /&gt;
　その二人にについていった最後の２kmはさすがにキツかった。&lt;br /&gt;
　膝がガクガクして、危うく道をはみ出しそうにもなった。（つまり、転落するところだった）&lt;br /&gt;
　山歩きは、危険を伴うものでもあり、それが面白いともいえるのだが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　２２日は、午前中は仕事で、午後からは娘のピアノの発表会だった。&lt;br /&gt;
　２３日の夕方には長男のピアノの発表会があり、それまでは家の掃除だった。&lt;br /&gt;
　そして、２４日は山歩きとクリスマスで一日が過ぎ、ゆっくりとしている暇は余りなかった。&lt;br /&gt;
　だが、それで良いのだろうと思う。忙しく、自分の事を考えない時間も大事だろうと思う。&lt;br /&gt;
　自由な時間（暇）があれば何かができるというのは、自分の場合には当てはまらない。&lt;br /&gt;
　逆に、忙しさの中に、自分の静かな時間を作り出すことにより、考えに集中できる気がする。&lt;br /&gt;
　とはいえ、この１２月というのは、気分的に落ち着かないものである。&lt;br /&gt;
　ところで、この『時間』に対し感じる強迫観念に似た気分は、場合によってはひどく辛いものである。&lt;br /&gt;
　もしも、『時間』の観念が存在しなければ、進歩も無い代わりに、不安は少なくなるだろう。&lt;br /&gt;
　少なくとも、時間を気にせずに過ごすひとときには、不安を感じることは無いであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　与えられた同じ一時間を、人はそれぞれに過ごす。&lt;br /&gt;
　独りで過ごす人もあれば、多くの人達と過ごす人もあり、座ったままの人や、動きながら過ごす人。&lt;br /&gt;
　自宅でという場合もあれば海外でという場合もあるだろう。&lt;br /&gt;
　自分は、どうだろうか。&lt;br /&gt;
　やはり、自宅のベッドで、ジャズを聴きながら、三木清の本を読むだろうか。&lt;br /&gt;
　それとも…、このようにワープロにむかっているだろうか。&lt;br /&gt;
　確かなことは、今の自分にとっては、考えるために考えることが、一番に望んでいること、である。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/29514622.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 17:14:03 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>再開そして富士山</title>
			<description>　2006年3月5日19：35&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何となく新規投稿ができないかと思い、書庫の設定を適当にやっていたら、新規投稿ができるようになりました。（万歳！？）&lt;br /&gt;
　パソコンの操作がわからないためというよりも、自分のいい加減な性格のために、新規投稿ができなくなったのだとわかりました。お恥ずかしい次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　昨日、3月4日（土）山梨県の都留市近くの高速道路を走っていて、真っ白な富士山を見ました。&lt;br /&gt;
　感激です！&lt;br /&gt;
　その前の晩に、少し雪が降ったそうで、グッドタイミングでした。&lt;br /&gt;
　デジカメを持っていないので写真はありませんが、手前の山に隠れた部分があったので、本当に真っ白な富士山でした。&lt;br /&gt;
　1月に、宮崎県からの帰りの飛行機から眺めた富士山も、雲の上に、真っ白な姿を見せていて、す～っと眺めていました。&lt;br /&gt;
　それよりも大きくて最高でした。&lt;br /&gt;
　初夢に、たくさんの富士山？を見たことがあるくらい、昔から大好きです。&lt;br /&gt;
　まだ、8合目（3,200ｍ）までしか登ったことがありませんが、やっぱり、下界から見る富士山の方が、いいと思います。&lt;br /&gt;
　毎日、富士山が見られるところに住んでいる人を、羨ましいと思っていました。&lt;br /&gt;
　ですが、ある時、新幹線の新富士駅で見ていたら、あんなに美しいものがそこにあるのに、ホームを行き来する人の中には、富士山を見ている人は皆無でした。&lt;br /&gt;
　富士山を見ていたいから、わざわざそこで降りて、次の列車が来るまで、富士山を見ていた自分は、やはり、単純バカなのだろうと思います。&lt;br /&gt;
　しかし、富士山は、最高です！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　とにかく、再開です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/28713836.html</link>
			<pubDate>Sun, 05 Mar 2006 20:01:27 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>2005.9.11</title>
			<description>　&lt;br /&gt;
　ご訪問下さった方へ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　新規投稿が出来なくなりましたので、このブログはお休みさせていただきます。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　現在、別にブログ（朱儒の空言２）を作り、時々ですが、投稿しています。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　もしも、関心のある方は、inuitatsuo2　または&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2&lt;/a&gt;　でご覧下さい。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　パソコンが不得手なもので、もっと簡単に出来るのでしょうが、ご容赦ください。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　平成１８年　２月　１１日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　乾　辰夫　&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
……　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　総選挙の結果を見れば見るほど虚しい気分が強くなってくる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　自分は、過去に一度として自民党に票を入れたことはない。&lt;br /&gt;
　あるとき、Ａに対して、現在の日本の政治上の問題は、自民党に投票した国民に責任があるのであり、&lt;br /&gt;
どのような悪い結果になっても、政府や行政を批判することはできない、と意見したことがあった。&lt;br /&gt;
　口先だけで実行力のない自分に対するＡからの非難に反発しての反論？のつもりだったが、言い過ぎであったかもしれない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　民主党の戦略のまずさを批判する評論家を見ながら、結果論はだれでも簡単に言える！と思う。&lt;br /&gt;
　昔から思っていることだが、マスメディアこそ自身の立場を明確にするために、自己批判をすべきである、とあらためて思う。ある意味、官僚と共通する無責任のシステムが存在する気がする。&lt;br /&gt;
　面白おかしく激戦区の状況を放映するばかりで、肝心のマニフェストについて詳細を解説したＴＶ局を自分は知らない。あるいは、郵政民営化関連法案の内容について、過去の経緯について、しっかりと説明をした番組があっただろうか。国民審査を受ける最高裁判所の判事についての情報が流されただろうか。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　不断から政治に関心を持ち、政党や政治家を見続けてきた人であれば、選挙前の情報としての上述した情報は必要がないかもしれない。しかし、どれだけの人が、しっかりとした政治的な信条を持っているだろう。国民年金の不払いの問題、ＮＨＫ受信料の不払いの問題、ニートの問題などと同列かそれ以上に大事な問題として、政治に対する関心を高める必要があるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　田原総一郎は、ますます傲慢な感じが強くなっている。小泉首相に対しての話し方もそうであるし、最後に首相が「ありがとうございました」と言っているのを無視した形になった。&lt;br /&gt;
　自分を何様だと思っているのか、と感じる人は、田原総一郎だけではなく、久米宏や竹中平蔵などもそうである。それぞれについて、期待したときもあったのだが。&lt;br /&gt;
　実際はどうであるか知らないが、ＴＶ画面で見る限り、キャスターや評論家などの方が、政治家よりもエラソウにしていると感じることがある。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　自民党に投票した人にとっては、小泉首相の人間性が、判断の大きなポイントになったのだろうか。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　あと1年間、どのように変わっていくか分からないが、小泉首相に期待するしかないのだろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/11206711.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Sep 2005 23:38:57 +0900</pubDate>
			<category>選挙</category>
		</item>
		<item>
			<title>2001.6.22</title>
			<description>　昨日のゾマホンの本の影響だろうか、自分にとって人生の目的は何かと考えてみる。&lt;br /&gt;
　しばらく考えてみるが、何かという明確なものは出てこない。&lt;br /&gt;
　目的はわからない、というのが正直なところである。&lt;br /&gt;
　何を成し遂げたいかではなく、どういう状態でありたいかは考えられるのだが、それは希望であり、目的ではない。　　&lt;br /&gt;
　自分の場合、おそらくは、その目的が明らかでないために、計画も立たず、行動にも現れないのだろう。というより、自分には、そうした目的を持たなくても構わないという、世捨て人の態度が変わらずに存在しているのを感じる。&lt;br /&gt;
　わからないことは考えても仕方がないと決めたのは4半世紀も昔のことであるが、現在も、人生に明確な目的などあるわけがない、と。&lt;br /&gt;
　何かしらやりたいことがあって、その結果、ある形をとれた時に、自分の人生を意味づけるのではないか。ダメ連の神長氏が言ったように、自己実現などと考えないことが自然なのではないかと思う。いかなる形にしろその結果に対する満足は、自己満足であると思うし、自己満足が人生の目的であるとするなら、それは本を読むことでも構わないのではないだろうか。少なくとも、自分にはそれが自己満足である。他の人のことは知らない。誰かに認めてもらえるような結果を出すことが、ある人にとっての自己満足であり、自己犠牲を伴う行為において、その満足が高まるという人もいるだろう。人それぞれの価値観に口を挟むべきではないし、できればお互いの価値観を認めるところから、関係を作る方が正しい考え方であろう。その価値観が正反対（であるとすれば）の場合には、お互いに交渉せずに離れて暮らすことが賢明であろう。なかなかそれが出来にくいのが世の中なのかとも思うが、かつてそれを実行した人もいるわけで、世捨て人とは世間の人には理解できないだろうが、本人には最善の選択であったはずである。と自分は思う。&lt;br /&gt;
　別な見方をするなら、できる限り同じ価値観の人々と暮らすのが、本人の自己満足には有効な選択であるといえる。たとえば、クエーカー教徒である。（新渡部稲造の影響か）現代の文明生活にその満足を求めず、日本ならさしずめ江戸時代の生活そのままの暮らしをしている人々にとって、その満足は決して小さくはないであろう。不満は、他者との比較において生じることが多いのであり、もしも他者を（田舎の人が都会を知らないとか）知らなければ、その不満は、具体性を持たず、仮に生じてもぼんやりとしたものであろう。情報は、その意味では、人を不幸にもすることを知っておきたい。競争もしかり、である。&lt;br /&gt;
　知的好奇心は、人間にとって必要である。情報も、競争も、同じく必要である。ただ、満足とか幸福とかを考える場合、負の働きをするものであることも知っておくべきである。子供が大人よりも不幸であるとは限らないのは、多くを知らないことが幸せであることもあるからである。無知であることも不幸は存在するが、それは無知であることを意識する人間がいるからである。動物の不幸かどうかは自分は知らない。高村光太郎の言ったように、檻に入れられた動物は、自由がないために不幸ではあるだろう、と自分も考える。つまりは、檻の存在と、自由の意識を持つからこそ、考えることである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　自分の頭は、あまり良い状態ではない。このところ、特に朝は微熱がある。前頭部が重い。しかしながら、幸いにも気分は普通である。なぜなら、頭の状態が悪いことと、それを気分に影響することとを区別しているからである。というか、その程度の頭の状態であるということ。虫歯の痛みのような状態であれば、気分も最悪になるだろうが。&lt;br /&gt;
　この文章（自分にとっての記録）は、読んでもらうための努力をほとんどしていない。だから、理解しにくいだろうと思う。ただ、前にも書いたように、この気分が伝われば、あるいは何となく感じてもらえればよいのであって、賛同を求めてはいない？から、批評してもらえれば有り難いが、批評してくれなくても差支えない。何かしら感じるものがあれば幸いだと思うし、そうでなくても自分は書き続けるつもりであり、また、それを読み返して、自分を知るように努めるつもりである。&lt;br /&gt;
　思えば、こうして書いているのは、ＡやＫのおかげである。本を読むばかりでなく、書いてみたら、というアドバイスに自然に対応していたということである。もちろん、このような文章を書いたら、ということではないのは分かっている。しかしながら、自分にはこれが自然の流れであり、いずれ、もう少し期待に沿えるものも書けるようになる気がしている。今は、自分の問題意識のなさを感じながら、それを探している（確かめている）状態なのだと考えている。Ｋのいうところの「自分さがし」というところか。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/11175102.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Sep 2005 14:54:13 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>2001.6.21</title>
			<description>　Ｋの誕生日（一説では22日）である。これで、自分以外は、1歳年上ということだ。&lt;br /&gt;
　といっても、あと1200時間もすれば、自分も同じ年齢になる。なるかどうかは、本当のところは分からないのだが、たぶんなるだろう。&lt;br /&gt;
　自分の歴史の中で、この時代は、どのような意味を持つのか、あるいは持たせるべきか。&lt;br /&gt;
　個人差があって、同じ年齢でも、体力的とか精神的とかを考えれば、幅のあるものである。&lt;br /&gt;
　むろん、既に、この年齢の前に故人となっている者もいる。&lt;br /&gt;
　アフリカなど若くして亡くなる人が多い国に較べて、この日本に生まれて、現在の年齢まで生存していることだけでも幸せと思うべきなのだろうか。&lt;br /&gt;
　未来については分からないが、長生きがすべてよいとばかり思えなくなっているのも、現在の社会の問題ではある。将来に対して、大人も子供も夢が描けなくなっていることが。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　夜&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ゾマホン・ルフィン『ゾマホンのほん』を読む。読み易さも手伝って、一気に読んだ。&lt;br /&gt;
　ゾマホン・ルフィンのことが、実によく理解できた。ＴＶではうかがえない彼の姿を知って、正直、感心した。テリー伊藤との対談の部分では、テリー伊藤の真面目な部分がよく出ていた。&lt;br /&gt;
　1964年6月19日生まれだというから、Ｋの誕生日に近い。Ｋが読めば、意外と共通する考えを見つけるのではないかと思う。ぜひ一読を薦めたい。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　日本ＴＶ『知ってるつもり？！4』は途中だが、意外と面白い。&lt;br /&gt;
　まず、「はじめに」の中で、梅棹忠夫、鶴見俊輔、加藤周一の名前が出てきたのには驚いた。他にはジョージ・オーウェルが出てくるだけである。まるで、自分のために「はじめに」が書かれたのではと錯覚する程の驚きである。&lt;br /&gt;
　この本で取り上げられているのは、1990年から1991年に放映された中から、「地球時代の先駆者たち」というタイトルにそって、ジョン万次郎、福沢諭吉、新渡戸稲造、南方熊楠、杉原千畝、加藤明の6人である。最後の加藤明という、女子バレーボールを育てたペルーの英雄、については全く知らないが、残りの5人については名前くらいは知っている。というか、漫画の日本の歴史で読んではいる。&lt;br /&gt;
　ただ、既に忘却の彼方の記憶になっていて、その一部でも著作を読んでいるのは福沢諭吉だけである。新渡戸稲造の本は、未だに読まないままにある。&lt;br /&gt;
　ところで、福沢諭吉のところを読んでいて、緒方洪庵の適塾に学んでいた時のことを、昔、何かで読んで面白かったことを急に思い出した。既に忘却の彼方の記憶になっていても、突然に思い出してしまう、この脳の働きというのは不思議なものである。無駄なものは何もない、ということを、こうした事にも感じてしまう。ありがたいことである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　加藤周一『夕陽妄語此戮癲∈廼瓩砲覆辰篤匹濬えた。&lt;br /&gt;
　とにかく、加藤先生の気分だけはよく分かる気がする。&lt;br /&gt;
　同じ気分を感じられない人には、面白くはない本であろうが。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　『マンガ中国思想大全』は、「孔子」の部分だけは読んだが、ひどく物足りない気がして、その後は読んではいない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　『ウィトゲンシュタイン』は、そのままで、残り30％くらいだが、どうも気分が違うので困っている。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　『老子』は、全く手付かずである。&lt;br /&gt;
　『ウィトゲンシュタイン』の気分とは少し違うが、どうにも入れないでいる。まだ、本を読む気力が弱いのだろう。『新しい日本の歴史教科書』の方が、まだ読む気になる。求めるものは、まるで違うのだけれども、気分としては、哲学よりは、まだ気楽であるからだろうか。&lt;br /&gt;
　いつになれば、三木清の本に入れるのか、我ながら、困ったものである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ここのところ、『「2001年」の首相候補生』のような軽い読み物が多い。&lt;br /&gt;
　対談集とか、漫画とか、時間をかけないで読めるような本が多い。&lt;br /&gt;
　逆に、立花隆『脳を究める』や『100億年の旅』は、未だに読んでいない。立花隆の本は、40冊以上読んでいるが、ここのところ全くである。歴史や科学関係の本は、全くである。&lt;br /&gt;
　Ａではないが、全く、自分の気分はどうしてしまったのか、と思う。理解できるできないはともかく、読もうという気分にならないのが、仕事に対してと同じで、実に、全く、困ったものである。&lt;br /&gt;
　時間が欲しいというのは、本を読む時間が欲しいというのではなかったのか。&lt;br /&gt;
　考える時間が欲しいというのではなかったのか。&lt;br /&gt;
　怠け者の、遊び人である自分が、唯一、普通にできることがそれなのに、である。&lt;br /&gt;
　自分のアイデンティティなるものは、そこにあるのである。よくは分からないが、そんな気がする。&lt;br /&gt;
　仕事も、金も、物質的な豊かさも、世界旅行も、火星への旅も、諦めるしかないと諦めて、残された自由を、そこに求めていたはずなのに、である。本の世界に遊ぶ自由、空想の世界に遊ぶ（考える）自由こそが、自分の唯一残された自由であるのに、である。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　気分としては、空虚、空気、虚脱感、ぽわぁっとした気分である。&lt;br /&gt;
　こんなことを書いても仕方がないと、Ｋに厳しく指摘されそうだが、事実なので、記録しておく。&lt;br /&gt;
　もしかすると、ひょっとして、ある日、素晴らしい気分になれる時を期待して…。と書いても、気分は同じである。&lt;br /&gt;
　独りでいると、時々、頭が余計に狂ってしまったのではないか、と感じることがある。正常が正常と思えず、異常である自分に気がつかない異常を感じることが。単なる気分の問題だとは思うが、元来、正常ではない部分を持っている自分だけに、時々、不安にはなる。&lt;br /&gt;
　こうして、書いていることは、その気分を重くはしないだけ、効果があるのかとは思う。&lt;br /&gt;
　少なくとも、書いている自分と、書かれている自分を区別するだけの効果はある。&lt;br /&gt;
　このことは、実際にも役立っていて、例えば、今夜、ＴＮ氏と話していても、生意気な意見を言っている、という自分を別な自分が意識しているのを感じられるのがわかるのだ。&lt;br /&gt;
　少しだけだが、自分自身を客観的に見ることに、こうして書いていることが影響しているのだろう。&lt;br /&gt;
　ただ、過ぎ去ってしまえば、ほとんど記憶に残らない自分の姿、あるいは心の動きを、この記録から、その記憶を呼び覚ましたり、その心の動きについて、考えたりすることが可能だからである。&lt;br /&gt;
　自分なりに、森田療法を実践しているのではないかと思ってみたり、することも可能である。&lt;br /&gt;
　無駄なことは、何一つない。&lt;br /&gt;
　ゾマホンの本では、「人生甘くない」という言葉が、よく出てくる。　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo/11144474.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Sep 2005 02:17:08 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
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