雑感

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 先日、夏目漱石の書簡集と、鈴木大拙の『無心について』と、立花隆の『知の現在』という本を読み、その影響が残っているのを感じる。
 自分に限らず、意外と、人は他人に影響されやすいのではないかと思う。
 であれば、良い影響を受けたいと思うのは当然だろう。
 また、そのための時間を確保したいと願うのも自然である。
 だからではないが、怠け者の自分は、少しでも良い本を読みたいと思うのである。

 良い本だけではなく、良い人と話し、良い気持ちを持つようにできれば最高だが、時間に限りがある以上は、選択しなければならない。
 素晴らしい人や、素晴らしい自然と接するには、それだけの努力を要し、その間のストレスを覚悟しなければならないかもしれない。
 だから、自分は、高級料理に舌鼓を打つよりも、粗食を旨いと思える生活を心掛けたいと思う。
 休みの晴れた日に、裏の山を歩き、自然の気に触れながら、おにぎりを食うだけで好い。
 できるなら、漱石の本のように、Tさんと一緒に知的な話をしながら、筑波山を登ってみたいが、それすら出来ないのが現在の自分の姿である。
 煙草すらやめられないのが現在の自分である。
 しかし、『それもまたよし』である。
 意志が弱いからこそ、素直に、意志の強い人を尊敬できる。
 駄目な自分であればこそ、他の人の中に優れたものを感じ取れる。
 無駄なものは何一つない、という考えにも同調できる。
 それでも、いまだに、『杯を空』にはできないが、宗教人として生きるつもりはないので、それもまたよし、とする。
 今思いついたことだが、我が強く不純である自分の心を、いかに純化できるか、残りの人生の時間をそのためにいくらかでも費やしてみたいと思う。
 この会社では、そのための時間を少なからず持たせてもらった。
 そうしたことのために、仕事をさせてもらった気がする。
 感謝している。
 それ以上に、別の違った環境で、自分の心を試してみたいと思う。

 自分の考え方は、『常識的』ではないのだろうと思う。
 一昨日、KとSと話している時にも感じたことである。
 おそらく、自分は、周囲の人の目には『理解しにくい人間』に映っているのだろう、と思う。
 特に、仕事についての考え方が、『非常識』で『無責任』である、と。
 『常識的に考える』と、次のようになるのだろうか。
 ―今の会社を辞めたいのなら、すぐに辞表を出して、残務処理や引継ぎをきちんと行い、次の仕事を見つける努力をすべきである、と。それが出来ないのならば、今の会社を辞めるべきではなく、社長に相談するなりして、将来の生活設計が成り立つように、具体的な仕事にむかって努力をすべきである、と。
何もしないで、終日、その日暮らしをしようという考えは改めるべきである、と。独身ならいざ知らず、妻子を養う責任がある以上は、何もしないことは許されないことである、と。―
 KとSに言ったことは、次の通りである。
 ―現在の会社を辞めるつもりには変わりがないが、しばらく会社の出方を眺めていようと思っている。また、仕事をしなくても良いので、宇宙のことを考えてみたりぼんやりとしたりしているが、Kが言うように、そのために自分がだめになる、とは思わない。現在の気分は落ち着いていて、以前のようにノイローゼになったりすることは考えられない。心配してくれるのはありがたいが、来るときが来たら、行動する、と。―
 自分は、「KやSとは違って、経営者にはなれない」とも言った。Kは、サラリーマンの方が、時間を大切にしている(仕事と個人の時間を明確に区切っている)と言っていたが、つまりは、自分のサラリーマンとしての資質を問われているのかと思った。「わかっている」とは答えたが、「自分にはその資質に欠けているのがわかっている」という意味で伝わったかどうか不明である。正直なところ、Aが言うほど酷くはないと思うが、自分には、仕事をする能力や意欲が、人並みにはないことを自覚している。だから、こうして何もしないでも平気でいられるのだろうと思っている。

 こうしてワープロのキーを叩きながらも、常に、どこかに空しい気持ちが存在する。
 それは、生きていることの空しさに通じるものであり、仕方がないことだと思っている。
 また、それとは別に、自分に対する不満や不平もいくらかは原因としてあるのだけれど、それ以上に、人間の存在自体が抱える不安、といったものの方が大きいように思う。だからでもないが、本を読んでいたり、何かに熱中している間はその気分を忘れていられるが、例えば、『孤独』を感じる時には、『その不安』に押し流されそうになってしまう。
 『その感情(不安)』は、誰しもが感じることであり、自分だけに特有のものではないことは知っている。しかし、『孤独感』とは、『個別の』感情であるために、よほど『精神を強く』持たなければ恐ろしいものであると思う。(ふと、ストレスの原因は、そのあたりにも存在するのではないかと思った。都会人にストレスが多いのは、人口過密の中に置かれたネズミの実験でも明らかである。三木清も、「孤独は街の中にある」と書いている。)
 宗教心にも通じるが、孤独とは逆に、生命は皆一つである、と本心から思えるならば、ストレスをほとんど感じないで済むかもしれない。『気』の基本の考え方もそうであるし、稲盛和夫氏や船井幸雄氏の説く『宇宙観』も似ている。立花隆の考えの中にもあるし(エコロジー的思考)、最近そのようなことを書いてある本が多くなったように感じる。
 もしかすると、人間はとてつもなく変化するものかもしれない、と空想する。
 昔読んだ本(アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』)ではないが、デザイナー・ベィビーが現実に出現し始まれば、やがて、本格的に宇宙に適応する人類が誕生するのかもしれない。そうした方向に進むように人間の遺伝子が設計されている可能性は小さくないと思う。
 こんなことを考え?たりしているせいか、1日のうちのほとんどは、ストレスを感じないで過ごしている。まさかと思われるかもしれないが、家に帰った時の方が、ストレスを感じるほどである。

 ここまで、出鱈目に書いているようだが、その理由(?)は、一昨日、KをSに会った時に話したことを、少しでも丁寧に説明したいからである。
 自分の考えが、常識的ではないことが、少しでも理解できるのではと思って書いているのである。というよりも、理解して欲しいから書いているのである。
 

  
 

  ………

 見たくないと思いつつ、NHKの『にんげんドキュメント』を見てしまった。
 それは、桜井哲夫(本名:長峰利造)という77歳のハンセン病の人が、実に60年振りに、青森県の実家へ里帰りするという話であった。
 見てしまって、やはり、感じることは少なくなかった。
 チョンヒという在日3世の韓国人の女性との交流や、実家の人々、古い友人との対面など、その時々の桜井さんの気持ちを想像してしまうと。
 「人間っておかしいね、嬉しいと悲しくなる。」という言葉が、とても重く感じた。
 ムンクの『ザ・クライ』の絵の人物よりも骸骨に近い風貌を見ていて、『他人の顔』という安部公房の小説に出てくる顔半分が醜い少女のことを思い出した。また、その本をくれたKさんが、顔全体を包帯で巻いて醜くなって登場した昔の夢を。
 
 久米宏や筑紫哲也の番組では、その番組の話はなかった。他局だし、そうした番組を見る時間もないのだろう。しかし、ひとこと欲しかったと思う。
 
 沖縄の地位協定の改定案については、TBSだけである。
 テレ朝の、レポート記者の表情やコメントには落胆する。ただ、竹中平蔵の話に対して批判した某論説委員はよし、とする。
 竹中氏も、立花隆のいうところの米国帰りのエコノミストに過ぎないのか、と感じた。
 借金を抱えている者には、デフレは脅威である。しかし、英国留学の漱石ではないが、くだらないところに金を使うことを止めるには、デフレは良いのである。地球資源の枯渇(は起こらないかもしれないが=その前に人類の滅亡がある)を考えても節約は必要である。
 昔の日本人の持っていた美徳である質素倹約の精神を取り戻すためにも。

 ………
 
 独断でTV局に優劣をつけた場合、3、1、6、8、12、10、4という順番になる。
 実は、自分が見る時間の多い順なのである。
 番組の内容で評価した場合、NHKは特集と海外ドラマ、TBSは報道、フジはアニメ、東京は経済、朝日は政治、日本はバラエティといったところかと思う。
 自分が見たいと思う番組は、圧倒的にNHKに多い。
 読売と朝日は、新聞だけでなく、TV局の体質も似ているのかもしれないと思う。

 Aへ
 
  …………
 
 緒方貞子という人のことを書きたかったのだが、おそらく教育TVの番組を見ていないだろうから、自分の感想だけを書く。
 犬養毅の曾孫だかに当たるという緒方さんは、TVで誰かが言っていたが、現代の日本には少なくなった(気骨のある)日本人だと思う。彼女の話を聞いていて強く感じた。
 『侍』というイメージを抱かせる日本人であり、『国際人』の資質が豊かな日本人でもあるとでもいうべきか。また、加藤周一氏のイメージをダブらせるのは自分くらいかもしれないが、それほど彼女の言葉が真直ぐに自分の心に届くのである。現実的な行動力という点では、あるいは加藤氏以上かもしれないが、その考えの深さを感じさせてくれる点では加藤氏に匹敵すると思う。
 問題の本質がどこにあるか、その問題を解決するには何が一番重要か、それはもしかすると誰もがわかっていることかもしれない。分かっていながらそれを意識できないのは、日本人という殻に囚われているからかもしれない。
 
 最初に書いたように、一個の人間として考えることができるなら、そのことは簡単に意識できることだと思う。
 問題の本質は、一個の人間として、相手の立場を理解できるかどうかである。
 といえば、余りにそれは単純ではないかと批判したくなるかもしれないが、どうしてどうして、実際は、相手の立場を理解するということはさほど簡単ではないのである。
 逆に、相手の考えを単純なものとして批判してしまうからこそ問題が困難になるのである。
 旧約聖書の世界では、神が怒り、人間の言葉を通じなくしてしまった、という。それは、互いに理解できないもの同士で殺し合うが良い、と神が人間に与えた試練であると考えることもできる。
 つまり、言葉を失えば、人間は、理解し合うことがいかに困難であるか、ということである。
 ヴィトゲンシュタインではないが、言葉の持つ力には、限界がある。
 だから、言葉にできないことこそ自覚すべきなのかもしれない。
 もしも、過去の日本社会において尊重された『以心伝心』というテレパシーのような力があれば、言葉が通じなくても互いを理解できるのかもしれないが、残念ながら、現代のように他者との関わり合いが薄い世の中では、とうてい無理である。
 たとえ不十分であっても、言葉を通して理解するしかないのである。

 …………

 

 明け方の夢に、かの人が登場した。
 
 夢の中のかの人の姿は、昔とも、現在とも違っていた。
 
 しかし、夢の中での自分は、かの人であると認識した。…夢から覚めてからも。
 
 どうして、かの人が夢に登場したのだろう…。
 
 自分が望んでいたのだろうか…。
 
 なにか、この数日の間に、かの人を連想するような出来事があったからだろうか…。
 
 思い出せない。

 夢を見た日は、いつも、切ないような気分になる。
 
 かの人は、遠い…。
 
 

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