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			<title>朱儒の空言2</title>
			<description>その時々に変化する自分の想いを文章にしてとどめて置きたいと考えて、手紙風に記録したものです。
２０世紀末から書き始めたもので、現在の自分の想いと違っている部分が少なくはありませんが、全体的には、否定するほどのものではありません。
これを読んでいただいた方のお一人にでも、僅かでもお役に立てることがあれば幸いです。
また、反対意見をお寄せいただければ、幸甚であります。
よろしくお願いいたします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>朱儒の空言2</title>
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			<description>その時々に変化する自分の想いを文章にしてとどめて置きたいと考えて、手紙風に記録したものです。
２０世紀末から書き始めたもので、現在の自分の想いと違っている部分が少なくはありませんが、全体的には、否定するほどのものではありません。
これを読んでいただいた方のお一人にでも、僅かでもお役に立てることがあれば幸いです。
また、反対意見をお寄せいただければ、幸甚であります。
よろしくお願いいたします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2</link>
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		<item>
			<title>２００２年２月２０日（Ａへの手紙）その2</title>
			<description>　先日、夏目漱石の書簡集と、鈴木大拙の『無心について』と、立花隆の『知の現在』という本を読み、その影響が残っているのを感じる。&lt;br /&gt;
　自分に限らず、意外と、人は他人に影響されやすいのではないかと思う。&lt;br /&gt;
　であれば、良い影響を受けたいと思うのは当然だろう。&lt;br /&gt;
　また、そのための時間を確保したいと願うのも自然である。&lt;br /&gt;
　だからではないが、怠け者の自分は、少しでも良い本を読みたいと思うのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　良い本だけではなく、良い人と話し、良い気持ちを持つようにできれば最高だが、時間に限りがある以上は、選択しなければならない。&lt;br /&gt;
　素晴らしい人や、素晴らしい自然と接するには、それだけの努力を要し、その間のストレスを覚悟しなければならないかもしれない。&lt;br /&gt;
　だから、自分は、高級料理に舌鼓を打つよりも、粗食を旨いと思える生活を心掛けたいと思う。&lt;br /&gt;
　休みの晴れた日に、裏の山を歩き、自然の気に触れながら、おにぎりを食うだけで好い。&lt;br /&gt;
　できるなら、漱石の本のように、Ｔさんと一緒に知的な話をしながら、筑波山を登ってみたいが、それすら出来ないのが現在の自分の姿である。&lt;br /&gt;
　煙草すらやめられないのが現在の自分である。&lt;br /&gt;
　しかし、『それもまたよし』である。&lt;br /&gt;
　意志が弱いからこそ、素直に、意志の強い人を尊敬できる。&lt;br /&gt;
　駄目な自分であればこそ、他の人の中に優れたものを感じ取れる。&lt;br /&gt;
　無駄なものは何一つない、という考えにも同調できる。&lt;br /&gt;
　それでも、いまだに、『杯を空』にはできないが、宗教人として生きるつもりはないので、それもまたよし、とする。&lt;br /&gt;
　今思いついたことだが、我が強く不純である自分の心を、いかに純化できるか、残りの人生の時間をそのためにいくらかでも費やしてみたいと思う。&lt;br /&gt;
　この会社では、そのための時間を少なからず持たせてもらった。&lt;br /&gt;
　そうしたことのために、仕事をさせてもらった気がする。&lt;br /&gt;
　感謝している。&lt;br /&gt;
　それ以上に、別の違った環境で、自分の心を試してみたいと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/30056881.html</link>
			<pubDate>Sun, 19 Mar 2006 01:01:42 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>2002年２月２０日（Ａへの手紙）</title>
			<description>　自分の考え方は、『常識的』ではないのだろうと思う。&lt;br /&gt;
　一昨日、ＫとＳと話している時にも感じたことである。&lt;br /&gt;
　おそらく、自分は、周囲の人の目には『理解しにくい人間』に映っているのだろう、と思う。&lt;br /&gt;
　特に、仕事についての考え方が、『非常識』で『無責任』である、と。&lt;br /&gt;
　『常識的に考える』と、次のようになるのだろうか。&lt;br /&gt;
　―今の会社を辞めたいのなら、すぐに辞表を出して、残務処理や引継ぎをきちんと行い、次の仕事を見つける努力をすべきである、と。それが出来ないのならば、今の会社を辞めるべきではなく、社長に相談するなりして、将来の生活設計が成り立つように、具体的な仕事にむかって努力をすべきである、と。&lt;br /&gt;
何もしないで、終日、その日暮らしをしようという考えは改めるべきである、と。独身ならいざ知らず、妻子を養う責任がある以上は、何もしないことは許されないことである、と。―&lt;br /&gt;
　ＫとＳに言ったことは、次の通りである。&lt;br /&gt;
　―現在の会社を辞めるつもりには変わりがないが、しばらく会社の出方を眺めていようと思っている。また、仕事をしなくても良いので、宇宙のことを考えてみたりぼんやりとしたりしているが、Ｋが言うように、そのために自分がだめになる、とは思わない。現在の気分は落ち着いていて、以前のようにノイローゼになったりすることは考えられない。心配してくれるのはありがたいが、来るときが来たら、行動する、と。―&lt;br /&gt;
　自分は、「ＫやＳとは違って、経営者にはなれない」とも言った。Ｋは、サラリーマンの方が、時間を大切にしている（仕事と個人の時間を明確に区切っている）と言っていたが、つまりは、自分のサラリーマンとしての資質を問われているのかと思った。「わかっている」とは答えたが、「自分にはその資質に欠けているのがわかっている」という意味で伝わったかどうか不明である。正直なところ、Ａが言うほど酷くはないと思うが、自分には、仕事をする能力や意欲が、人並みにはないことを自覚している。だから、こうして何もしないでも平気でいられるのだろうと思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こうしてワープロのキーを叩きながらも、常に、どこかに空しい気持ちが存在する。&lt;br /&gt;
　それは、生きていることの空しさに通じるものであり、仕方がないことだと思っている。&lt;br /&gt;
　また、それとは別に、自分に対する不満や不平もいくらかは原因としてあるのだけれど、それ以上に、人間の存在自体が抱える不安、といったものの方が大きいように思う。だからでもないが、本を読んでいたり、何かに熱中している間はその気分を忘れていられるが、例えば、『孤独』を感じる時には、『その不安』に押し流されそうになってしまう。&lt;br /&gt;
　『その感情（不安）』は、誰しもが感じることであり、自分だけに特有のものではないことは知っている。しかし、『孤独感』とは、『個別の』感情であるために、よほど『精神を強く』持たなければ恐ろしいものであると思う。（ふと、ストレスの原因は、そのあたりにも存在するのではないかと思った。都会人にストレスが多いのは、人口過密の中に置かれたネズミの実験でも明らかである。三木清も、「孤独は街の中にある」と書いている。）&lt;br /&gt;
　宗教心にも通じるが、孤独とは逆に、生命は皆一つである、と本心から思えるならば、ストレスをほとんど感じないで済むかもしれない。『気』の基本の考え方もそうであるし、稲盛和夫氏や船井幸雄氏の説く『宇宙観』も似ている。立花隆の考えの中にもあるし（エコロジー的思考）、最近そのようなことを書いてある本が多くなったように感じる。&lt;br /&gt;
　もしかすると、人間はとてつもなく変化するものかもしれない、と空想する。&lt;br /&gt;
　昔読んだ本（アーサー・Ｃ・クラークの『幼年期の終り』）ではないが、デザイナー・ベィビーが現実に出現し始まれば、やがて、本格的に宇宙に適応する人類が誕生するのかもしれない。そうした方向に進むように人間の遺伝子が設計されている可能性は小さくないと思う。&lt;br /&gt;
　こんなことを考え？たりしているせいか、１日のうちのほとんどは、ストレスを感じないで過ごしている。まさかと思われるかもしれないが、家に帰った時の方が、ストレスを感じるほどである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ここまで、出鱈目に書いているようだが、その理由（？）は、一昨日、ＫをＳに会った時に話したことを、少しでも丁寧に説明したいからである。&lt;br /&gt;
　自分の考えが、常識的ではないことが、少しでも理解できるのではと思って書いているのである。というよりも、理解して欲しいから書いているのである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/30054264.html</link>
			<pubDate>Sun, 19 Mar 2006 00:35:18 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００２年２月１３日の記録から（その3）</title>
			<description>　　………&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　見たくないと思いつつ、ＮＨＫの『にんげんドキュメント』を見てしまった。&lt;br /&gt;
　それは、桜井哲夫（本名：長峰利造）という７７歳のハンセン病の人が、実に６０年振りに、青森県の実家へ里帰りするという話であった。&lt;br /&gt;
　見てしまって、やはり、感じることは少なくなかった。&lt;br /&gt;
　チョンヒという在日３世の韓国人の女性との交流や、実家の人々、古い友人との対面など、その時々の桜井さんの気持ちを想像してしまうと。&lt;br /&gt;
　「人間っておかしいね、嬉しいと悲しくなる。」という言葉が、とても重く感じた。&lt;br /&gt;
　ムンクの『ザ・クライ』の絵の人物よりも骸骨に近い風貌を見ていて、『他人の顔』という安部公房の小説に出てくる顔半分が醜い少女のことを思い出した。また、その本をくれたＫさんが、顔全体を包帯で巻いて醜くなって登場した昔の夢を。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　久米宏や筑紫哲也の番組では、その番組の話はなかった。他局だし、そうした番組を見る時間もないのだろう。しかし、ひとこと欲しかったと思う。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　沖縄の地位協定の改定案については、ＴＢＳだけである。&lt;br /&gt;
　テレ朝の、レポート記者の表情やコメントには落胆する。ただ、竹中平蔵の話に対して批判した某論説委員はよし、とする。&lt;br /&gt;
　竹中氏も、立花隆のいうところの米国帰りのエコノミストに過ぎないのか、と感じた。&lt;br /&gt;
　借金を抱えている者には、デフレは脅威である。しかし、英国留学の漱石ではないが、くだらないところに金を使うことを止めるには、デフレは良いのである。地球資源の枯渇（は起こらないかもしれないが＝その前に人類の滅亡がある）を考えても節約は必要である。&lt;br /&gt;
　昔の日本人の持っていた美徳である質素倹約の精神を取り戻すためにも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　………&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　独断でＴＶ局に優劣をつけた場合、３、１、６、８、１２、１０、４という順番になる。&lt;br /&gt;
　実は、自分が見る時間の多い順なのである。&lt;br /&gt;
　番組の内容で評価した場合、ＮＨＫは特集と海外ドラマ、ＴＢＳは報道、フジはアニメ、東京は経済、朝日は政治、日本はバラエティといったところかと思う。&lt;br /&gt;
　自分が見たいと思う番組は、圧倒的にＮＨＫに多い。&lt;br /&gt;
　読売と朝日は、新聞だけでなく、ＴＶ局の体質も似ているのかもしれないと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/26951572.html</link>
			<pubDate>Sun, 19 Feb 2006 17:06:58 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００２年２月１３日の記録から</title>
			<description>　Ａへ&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　…………&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　緒方貞子という人のことを書きたかったのだが、おそらく教育ＴＶの番組を見ていないだろうから、自分の感想だけを書く。&lt;br /&gt;
　犬養毅の曾孫だかに当たるという緒方さんは、ＴＶで誰かが言っていたが、現代の日本には少なくなった（気骨のある）日本人だと思う。彼女の話を聞いていて強く感じた。&lt;br /&gt;
　『侍』というイメージを抱かせる日本人であり、『国際人』の資質が豊かな日本人でもあるとでもいうべきか。また、加藤周一氏のイメージをダブらせるのは自分くらいかもしれないが、それほど彼女の言葉が真直ぐに自分の心に届くのである。現実的な行動力という点では、あるいは加藤氏以上かもしれないが、その考えの深さを感じさせてくれる点では加藤氏に匹敵すると思う。&lt;br /&gt;
　問題の本質がどこにあるか、その問題を解決するには何が一番重要か、それはもしかすると誰もがわかっていることかもしれない。分かっていながらそれを意識できないのは、日本人という殻に囚われているからかもしれない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　最初に書いたように、一個の人間として考えることができるなら、そのことは簡単に意識できることだと思う。&lt;br /&gt;
　問題の本質は、一個の人間として、相手の立場を理解できるかどうかである。&lt;br /&gt;
　といえば、余りにそれは単純ではないかと批判したくなるかもしれないが、どうしてどうして、実際は、相手の立場を理解するということはさほど簡単ではないのである。&lt;br /&gt;
　逆に、相手の考えを単純なものとして批判してしまうからこそ問題が困難になるのである。&lt;br /&gt;
　旧約聖書の世界では、神が怒り、人間の言葉を通じなくしてしまった、という。それは、互いに理解できないもの同士で殺し合うが良い、と神が人間に与えた試練であると考えることもできる。&lt;br /&gt;
　つまり、言葉を失えば、人間は、理解し合うことがいかに困難であるか、ということである。&lt;br /&gt;
　ヴィトゲンシュタインではないが、言葉の持つ力には、限界がある。&lt;br /&gt;
　だから、言葉にできないことこそ自覚すべきなのかもしれない。&lt;br /&gt;
　もしも、過去の日本社会において尊重された『以心伝心』というテレパシーのような力があれば、言葉が通じなくても互いを理解できるのかもしれないが、残念ながら、現代のように他者との関わり合いが薄い世の中では、とうてい無理である。&lt;br /&gt;
　たとえ不十分であっても、言葉を通して理解するしかないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　…………&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/26945346.html</link>
			<pubDate>Sun, 19 Feb 2006 15:33:14 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>2001.9.1</title>
			<description>２００１年９月１日　朝　その2&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今も、立花隆は、異常にさめた目で、現在の日本や世界を見ているのだろうか。&lt;br /&gt;
　氏の知性にとっては、今も、自分が何者で、いかなる時間の、いかなる場所にいるのかを追求する&lt;br /&gt;
ことが最大の関心事なのだろうか。氏の哲学書は、いつ書かれるのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　どうして、急に、立花隆のことを思ったのか、少し、自分の心を探ってみる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　特別な理由とか、何かがあって、（立花隆のことを）連想させられたわけではない。また、自然発生的に生じた思いでもない（つまり、過去に何度かは感じたことのある思いである）が、今、その結果が生じた原因は不明である。&lt;br /&gt;
　バス停で、自分が思っていたことは、雑念は別にして、今日事務所でやるべき仕事のこと、こうして&lt;br /&gt;
ワープロに向かって書こうと考えたことである。その時には、立花の「た」すらも思わなかった。&lt;br /&gt;
　思った人物は、小泉首相くらい。&lt;br /&gt;
　ワープロには、新聞を読んで、感じた出来事を、記録しておこうと思った。また、今日のビル火災のことは、すでに書いた通り。関係があるとすれば、ワープロに書くつもりだったことだろう。&lt;br /&gt;
　科学に対する日本の予算が、欧米より少なく、かつて読んだ本の中で、立花隆も、もっと予算をつけるべきだと主張していた。このことが、間接的に、立花隆を連想させたのかもしれない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/26419157.html</link>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 07:34:05 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年９月１日朝</title>
			<description>　久しぶりに、青空を見た気がする。&lt;br /&gt;
　バス停で、何台かバスを見送って、しばらくぼんやりと青空を見ていた。&lt;br /&gt;
　今日は、関東大震災が起こった日である。阪神大震災にも想いを寄せて、次の大震災は、１１月の９日ではないか、などとクダラヌことを空想した。&lt;br /&gt;
　新宿のビル火災で、４４人も亡くなったという。自分だって、いつどこで死ぬかわからない。何度か死にそうな時もあったが、なぜか生かされてきた。もっと生きよ、という天の声は聞こえないが、近頃では、生きている自分を意識することが多い。年齢のせいばかりではないだろう。&lt;br /&gt;
　道を歩く人を見ていても、空を眺める人は皆無である。きっと、夜空を眺める人も少ないだろう。大半の人は、自分がなぜ生かされているのか、などとは考えないのだろう。ガンなどに罹病した時に、初めて考えるのだろうか。&lt;br /&gt;
　災害についても同じである。不断から考えていることが大事なことがわからない。東海地方は、おそらくどうにか対処できるだろうが、東京などの都市は、悲惨だろう。対処するにも、人口が多すぎる。&lt;br /&gt;
　自然に対する配慮が少ない。自己中心的である。そうした都会の持つ脆弱さが、人間の野生の適応能力を駄目にしている。&lt;br /&gt;
　都市の姿は、そのまま現在の日本に重なるのではないか。ひとりだけ野生の適応能力を持っていても、日本は救えない。&lt;br /&gt;
　教育によって、どれだけ野生の能力を高められるか不明だが、そうするしか現在の日本を救う道がない、と思う。さもなくば、戦後の廃墟の中から、人々が、民主主義という価値観を与えられ、復興したように、大震災により、都市が廃墟となる機会を待つしかない。多くの犠牲を伴って…。（つづく）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/25528815.html</link>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2006 10:19:32 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００５年１月１５日 夜</title>
			<description>　明け方の夢に、かの人が登場した。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　夢の中のかの人の姿は、昔とも、現在とも違っていた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　しかし、夢の中での自分は、かの人であると認識した。…夢から覚めてからも。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　どうして、かの人が夢に登場したのだろう…。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　自分が望んでいたのだろうか…。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　なにか、この数日の間に、かの人を連想するような出来事があったからだろうか…。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　思い出せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　夢を見た日は、いつも、切ないような気分になる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　かの人は、遠い…。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/23438140.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Jan 2006 23:59:54 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年８月１１日 朝 （その3）</title>
			<description>　教育が重要であること。&lt;br /&gt;
　将来のことを考えた場合、現在の教育体制の問題と、教育内容の問題を明らかにし、どのように変えて将来に繋げるか。&lt;br /&gt;
　その問題点は、現在の教育を指導する立場の人には明らかにはしにくいだろう。&lt;br /&gt;
　過去の経緯を見ても、文部省は、国家の立場から、組織のための人間づくりを考えているだろうから、真の教育からはほど遠く、問題を見極めるのは無理だろう。また、管理体制に組み込まれた人間に、自由な個人の能力や、生きる力がどうのなんて本気で考えられるはずがない。&lt;br /&gt;
　情熱を感じるからというだけで、ファイヤーと叫ぶ男を議員に選んだように、文部省に期待するという国民は、それこそ時代錯誤の戦中派か、ネオ・ファシズム思想の連中か、無知であるか、そのことに気づかない人々しかいないだろう。&lt;br /&gt;
　とにかく、わが国よりも教育面で充実した国から、普通の人も含めて人材を求め、教育の問題を明らかにする、というぐらいの度量ある判断をすべきである。&lt;br /&gt;
　日本の教育について、他国から干渉されたくない、というエセ民族主義者（本当に国民の半数がそうなのか？）には、明治維新からの日本の歴史を再教育すべきである。富国強兵政策のために、他国からいかに多くの技術的な専門家を招聘したのかを知らしめるべきである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/23406413.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Jan 2006 18:07:35 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>２００１年８月１１日朝（その2）</title>
			<description>　信教の自由は、思想の自由であり、個人の自由である。だから、個人がどのような神を信じようが信じまいが勝手である。心の問題である。たまたま、ある時代のある場所に、ある人間の子供として生まれた個人の問題である。別の時代に別の場所で、別の親から人間として生まれた個人とは違って当然である。&lt;br /&gt;
人間は、社会的な動物であるから、生まれ育った環境の影響を、他の動物より大きく受ける。大事なことは、この事実を、自覚することである。&lt;br /&gt;
　たまたま、自分は、今、人間として、日本という国に生きている、生かされている、という事実。その環境・条件が、自分という個人を形成しているという事実。そこで、考えるべきことは、仏教でいう輪廻転生について。生命を尊重するという考え方が、輪廻転生にはある。魂を尊重する考え方もある。&lt;br /&gt;
　宗教としてとらえるのは、釈迦の死後のことであり、釈迦は、自分の悟ったことを宗教とは考えなかったのではないか。個人の考え、あるいは自分に与えられた生き方、としてとらえたのではないか。&lt;br /&gt;
　キリストの場合は、多少異なるにしても、死後の教会主導の宗教活動については、自身の考え・生き方とは相容れないものを感じるのではないか。&lt;br /&gt;
　現在、宗教と考えられているものは、単なる組織であり、企業活動と違わないものである。資本主義という考え方と、そう違わない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　個人主義については、夏目漱石に。『私の個人主義』という小冊子（薄い本）がある。それは、イギリスのいわゆる知識人に共通する考え方だが、人によっては、未だに利己主義と同じであると思っているようだ。個人主義と利己主義の違いを明確に区別することが必要である。&lt;br /&gt;
　社会あるいは国といった組織に対して、個人はどのように対峙するか、という問題意識が、個人主義という考え方には含まれる。というより、漱石の生き方が、個人主義そのものである、ともいえるだろう。&lt;br /&gt;
　宮台眞司が、この夏目漱石について、昨夜から何回かＴＢＳラジオで話すらしいが、おそらく宮台氏の問題意識も自分に近いのではないかと思う。&lt;br /&gt;
　今、自分は、なんとなく、ＴＶもラジオも避けたいので、宮台氏の話を聴かないつもりである。これまでの自分は、余りにも受身でありすぎたので、少しでも自主的に時間を使いたい。自分との関係が遠い人の意見は、（当然だろうが）すぐに忘れてしまう。ＴＶ人間である自分を、変えたいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しばらく、文章を書かないでいたせいか、集中力が無いためか、自分のためのメモになりがちである。&lt;br /&gt;
　一服して、ここまでの文章を読み返してみよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　肝心のことを書いていない。　何を、自分は、考えているのか！&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/21226196.html</link>
			<pubDate>Sun, 25 Dec 2005 10:06:32 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>復活します</title>
			<description>　ご訪問いただきありがとうございます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかしながら、諸般の事情により、新規投稿をしばらくの間お休みいたします。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００５年１１月１３日（金）←（日）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　乾　辰夫&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　クリスマスの日を記念しまして、復活いたします。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　とはいえ、依然としてタワイモナイ独り言で恐縮ですが…。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００５年１２月２５日（日）　タツ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/inuitatsuo2/16849882.html</link>
			<pubDate>Sun, 13 Nov 2005 18:50:13 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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