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「時間屋(8)…おんなじ夢」 月島衣音 男は、舅の介護疲れで倒れ、病院に運び込まれた妻のベッド脇に腰掛けている。 一昼夜、生死の間を彷徨っていた妻は、ようやく落ち着いて、今、小さな寝息をたてている。 男は、仕事に追われ、家庭を顧みることなく、近頃は老人性痴呆の父親の世話も妻に任せっきりで来た年月を、胸の内で数えていた。 長年の罪滅ぼしをせねばならない。仕事を休み、父親の介護をして、妻の大変さが分かった。 昼間、男は、妻の看病の合間をぬって、「時間屋」という不思議な看板を掲げた店ののれんをくぐった。 「時間」を商うという、その店で、店主のヨボヨボバアさんから説明を聞き、「商品」を購入した。 男は、妻のベッドの脇で、購入した紙の包みを開く。 みずみずしい明るい赤色をした、小さな「時間」の結晶が出てくる。それを二つに割る。 妻に一つ、自分に一つ。 寝息を立てる妻の口を開け、「時間」の破片を押し込む。そこに、病人用の水差しで、ぬるま湯を数滴注ぐ。 こぼさないように、指を添えるうち、妻が溶けた「時間」の破片を呑み込む。 男も同じように「時間」の破片を呑み込む。そして、イスに背をもたれかけ、男は目をつぶった。 妻は夢を見ていた。男は夢を見ていた。 湖のまん中で、女はボートに乗っている。ボートを漕いでいるのは、見覚えのある男の子だ。 湖のまん中で、男はボートを漕いでいる。一緒にボートに乗っているのは、付き合い始めた頃の若い妻だ。 男の子は、足を踏ん張りオールを操る。女を見て白い歯をみせて笑う。女も笑顔で応える。 話すことは他愛のない話なのに、おかしくてたまらない。 ボートを漕ぐ男の子の額に、うっすら汗がにじむ。 「替わろ」 自分も漕いでみたくなり、女はそう言って中腰で立ち上がる。 「OK。交代」 男の子もオールを離し、中腰で立ち上がる。ボートが不安定に揺れる。 「きゃははは、あぶないよ」 「おーとととっ」 男の子が手を差し伸べる。女はその手を掴む。暖かく力強い手。 男の子はもう片方の手でボートの縁を掴み、ボートの安定をはかりながら、女を引き寄せる。 ボートがまたも、不安定に揺れる。女の両手が、差し伸べた男の子の腕をつかまえる。 ふたりの頬が触れ合う。胸が「トク・トク」鳴り、女の頬が熱くなる。 女は、男の子の腕を両手でしっかり抱え、ふたり中腰のまま、ボートが安定するのを待つ。 時間が長く、長く感じられる。なのに、ずーっとこのまま時間が止まっていてほしいと願っている。 水面に映る雲が、流れていく。ボートが動いているのか、雲が動いているのか、そのどちらともなのか。 水面を渡る初夏の風。風が若葉の香りを運んでくる。 男の子の手が動き、女の肩を抱く。触れていた頬がこすれ合う。胸が「トク・トク」騒ぐ。 「しゃがんで」 男の子が言う。 ふたり、いっしょにしゃがみ、その姿勢で、そろそろと移動する。 ようやく、入れ替わって、あとは、訳もなくふたり笑う。 「あははは」「きゃははは」 男は、オールを手にした女の顔を見る。はにかんだ顔に、「キュッ」と胸が縮む。 女は、オールを手に取り、男の子の顔を見る。付き合い始めた頃の若い夫の顔だった。 男は夢から覚めた。 顔を上げると、そこに「ニッコリ」微笑む妻の顔があった。 「ずっと、看ててくれたの?」 「ああ、まあな」 「夢を見た」 「オレもだ」 「どんな夢?」 男は、空の紙包みを手の中で握りつぶして、答える。 「おんなじ夢さ」 〈ion〉 ★ 久しぶりに、「時間屋」 シリーズが還ってきました。 〈ion〉
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ああ、優しいお話・・・。これからこの夫婦はやり直せるのですね。また二人で笑い合えるですね・・・♪
2006/11/23(木) 午前 1:36 [ ささ鳴き娘 ]
ion0012002jpさんお早うございます何時も御訪問有り難うございます、 本当にいいお話ですね有り難う。
2006/11/23(木) 午前 9:44
介護問題の深刻さを感じます。でも、夫婦の関係が改善されて良かったこと、ほーっとしました。
2006/11/23(木) 午後 1:07 [ たかやん ]
水面はふたりの記憶。。。二人乗りの小船をオールですすむ人生・どちらが欠けても前進はできなかった恋のふね。。。夢中になるストーリでした。
2006/11/23(木) 午後 2:11 [ rika/rikarudo ]
昔のいい時代に帰ろうとしても「良い」には「悪い」もくっついていて、結局今で良いやとなるのが寂しい現実です。
2006/11/23(木) 午後 3:48
いいお話ですね。じーんときました。
2006/11/23(木) 午後 4:49
☆ささ鳴き娘さんありがとうございます。ここから新しい出発。
2006/11/24(金) 午前 1:06
☆山奥の狸さんありがとうございます。またよろしくお願いします。
2006/11/24(金) 午前 1:06
☆tkayannさんありがとうございます。実際もっと深刻なケースがあると思います。がんばってほしいです。
2006/11/24(金) 午前 1:08
☆rikarudoさんありがとうございます。オールをそのように見立ててくださりすばらしい。
2006/11/24(金) 午前 1:10
☆tonnsukeさんありがとうございます。現実はなかなかと思います。やるっきゃないですね。
2006/11/24(金) 午前 1:11
☆オダギリさんありがとうございます。嬉しいコメントでした。
2006/11/24(金) 午前 1:12