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「美しく輝く笑顔の裏に」 月島衣音 「美しい…」 キミの笑顔に、ボクは思わずつぶやいた。 全社員九十人足らずの小さな会社なのに、部署違いのキミとはあまり顔を合わす機会がなかった。 だけど、他に誰もいない階段でキミとすれ違ったことがある。 エレベーターはあっても、健康のためにと、ボクは階段を利用することの方が多かった。 上司に提出する書類を確認しながら降りて行く時、下から登ってくるキミを見た。 ボクに気付かず、その時、キミは、階段の隅に落ちていた小さなゴミくずを拾ってポケットに入れた。 以前から、細やかな心配り、優しい心遣いなど、感じてはいたが、顔をあげ、目があって、ニッコリ微笑んだキミの表情に、ボクは思わず心の中でつぶやいた。 「なんて美しいんだ…」 ボクの部署は、当時、仕事が増えだしたホームページ制作をさかんに手がけるようになっていた。 ちょうど、長浜の観光案内のコンペに提出するプレゼンを任されていたボクは、長浜の「黒壁スクエア」の紹介ページに、キミの笑顔を入れることを思いついた。 ガラス館を中心に、陶磁器、和菓子、雑貨、飲食店など、「黒壁スクエア」と呼ばれる街並みは、長浜でも、特に若い女性に人気のスポットだ。 古い街並みに、キミの笑顔は絶対合うはず。クライアントの心をつかめる。 担当の営業と相談し、取材にキミを連れていくことを上司に了解してもらった。 キミ自身は、この依頼に困惑の色を見せたが、仕事だからと、半ば強制で承諾させた。 当日、曇り空の下、快適な撮影日和とはいかなかったが、それでも、日常の業務から解き放たれ、営業マンを交えたボクらの取材旅行は、ほとんど観光旅行気分だった。 平日でも観光客で溢れかえる長浜の黒壁スクエアでは、目的の、街並みや商店を背景にしたキミの笑顔を何枚もデジカメに収めた。キミは、古い街並みに映えて、美しく輝いていた。 「なぜ、わたしを?」 途中、営業マンの抜けたところで、キミはボクに訊いた。 「見たことがあるんだ。キミは階段でゴミくずを拾っていた。細やかな気遣い、それでいて明るく、朗らかで、誰にも優しい。ボクは、理由をくっつけて、キミとおつきあいできればなんて、さもしい根性を出してしまった」 キミは笑ったが、すぐに、悲しそうな声になって言った。 「わたし、薬のんでるんです」 「え?」 ボクはキミの言葉の意味が分からなかった。 「明るく、朗らかってのは、ウソの姿なんです。だれにも内緒ですけど、お医者さんに通ってるんです」 重いウツと診断され、抗ウツ剤を処方され、それでなんとか保っているんですと、キミは言った。 もう、崩壊寸前で、明日にも辞表を出そうと思っているんですとも言った。 「だれも、わたしのほんとの姿、見ていないんです」 知らなかった。 取材から帰って、ボクは早速プレゼンの映像づくりに着手した。 観光客で溢れかえる長浜の黒壁を背景にしたキミの顔はどれも、微笑んで輝いていた。 だが、雨の近い、泣きそうな空の下で写した画像は、彩度やコントラストをいじらないと、ぼやけてしまう。 ボクは画像に修正を加えるべく、モニター上のキミの顔の部分を拡大した。 仕事に使うデジカメは解像度が高い。 にこやかな表情のキミをアップにした。そして、そこに、笑顔の下に隠れていた、キミの言っていた「ほんとの姿」をボクは見た。 にこやかにカメラに向けている目は、けれども、笑ってはいなかった。キミの目は怯えて、カメラを構えるボクを見ていた。 それから一ヶ月後、あの時の言葉通り、キミは辞表を出して、ボクの前から姿を消した。 残念なことにプレゼンはボツになった。 そしてキミの笑顔も、日の目を見ずにボクのディスクから消えた… 〈ion〉
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この話を読んで、胸が痛くなりますね。薬を飲まなくても無理して明るくふるまっている人の多いことに、ましてや我慢しきれずに、自分が怖くなる人もいますね。逃げることの大切さ…。
2007/5/15(火) 午後 10:59 [ yas*mi*0530 ]
☆ひとやすみさんありがとうございます。今の日本、野生の王国よりも厳しい生存競争に晒されている気がする。精神的に。
2007/5/16(水) 午前 0:14
切ない結末、強く生きるって難しいのか…
2007/5/16(水) 午前 1:16
外では強い殻をつけていないと壊れそうなことってあるよね。押しつぶされないように・・・・
2007/5/16(水) 午後 9:57