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今回から沖縄について私なりの想いを3回に分けて書いてみたいと思います。
第1回目の今日は私と沖縄との関わりです。
私がそもそも沖縄と関わりを持ったきっかけは石垣島出身のウチナンチューと知り合った事でした。
1978年春、当時東京池袋に住んでいた私は石垣島から専門学校に通う為に上京したカズに出会いました。
沖縄がアメリカから本土復帰してまだ6年、通貨がドルから円に変わり車の通行が右側からから左側通行に
なり、生活全てがやっとどうにか慣れ落ち着き始めた頃くらいだと思います。
その頃の私はウチナンチューはみんな英語が話せるんだと思っていました。
もちろんそんな事はありませんでしたけど。
カズは私と同い年でしたが病気で1年休学した為に私より1年後の高校卒業でした。
彼は中学を卒業して石垣島を離れて本島のおばあの元に下宿しながら興南高校に通っていました。
部活は軟式テニスで県代表でインターハイにも出場し私とは正反対?!の爽やか系のスポーツマンでした。
そんなある意味正反対の彼がなぜか私に懐いて来ました。
『今まで生きてきた中で一番の親友に出会えた!!』
『お前さ、よくそんなウソを平気で言えるね?!そんな事を平気で言える奴は信用できないし嫌いだ!!』
『ウソじゃない本当にそう思ってる、もう両親にもそう言ってるから。』
『お前さ、沖縄でよっぽど友達いなかったのか?まだ知り合って数か月だぞ。』
『だけどわかるんだよ、兄貴の事が。』
『悪いけど兄貴じゃないし、同い年だしガタイもお前の方がでかいし。』
私から言わせると優しいけど優柔不断で女々しいところが好きじゃなかった。
よくケンカもしました、でもいつも一方通行のケンカでしたけど。
『お前さ、その態度が気に食わないんだよ!!文句あるなら言えよ。』
『だって、面と向かったら敵わないし。』
『お前の方がガタイでかいじゃないか、そう言う女々しいところが大っ嫌い!!』
でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
べそかいて泣くか、貝のようにだんまりになっちゃう。
1週間2週間まったく口きかなくなる。
こちらが普通に挨拶しても無視状態
周りから私がいつも一方的に責められる
『また何かしたんでしょう、かわいそうですよ。』
でーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いつもいつも私が無理やり飲みに誘って
『ごめん、私が悪かった!!』
いつもいつもこのパターン
本当に殴ってやろうかと思った事は1度や2度じゃなかった
だけどいつもいつもなぜか
私が謝って彼のご機嫌とって意味不明な仲直りをする
私が妹と二人で住み始めると、彼も1年後くらいに石垣島の妹と暮らし始めた。
いつしか4人で行動する機会が増えていった。
私も彼もステーキが好きで、4人のうちの誰かお祝い事があると4人で銀座のスエヒロに行きました。
私の22歳の誕生日に4人でスエヒロ行った時も
『いいないいな22歳いいな、22歳が一番好きさあ!!』
『お前さあ、同い年なんだから半年後にはお前も22歳になるだろう?!』
『昔から22歳に憧れてたんだ!!』
?????????本当に不思議な奴でした。
彼にバイクの楽しさを教えたのは私だし
両親が来た時に案内するのに横浜や鎌倉・江の島の魅力を教えたのも私でした。
彼がバイクで事故って入院した時に文句言いながらも2か月間毎日通ったのも私でした。
それから酔っ払いスピード違反ひき逃げされて亡くなったのを石垣島の両親に電話で告げたのも私でした。
生前彼と付き合ってた期間は3年と1か月2週間
亡くなってからもう35年になります
今から思えばあんなにも憧れてた22歳で亡くなって彼としてどんな思いなのかなあ。
私が初めて沖縄を訪れたのが彼の死から1年後の1982年でした。
ちょうどJALの片桐機長が逆噴射して羽田沖に墜落した2週間後くらいでした。
那覇から石垣のチケットが買えず、那覇で空席待ちをしました。
結局その日の便はすべて満席で初日那覇の国際通りで飲みながら夜を明かす事にしました。
初めての沖縄でひとりで飲みながら夜を明かす事に若干の不安はありました。
だけどいつしか同じ店にいた数人と打ち解け合ってました。
『何しに石垣に行くさあ?』
『去年東京で亡くなった親友の墓参りに来ました。』
『本当ね?!わざわざ東京からその為に来た?!ありがとうね今日は私達がおごるさね。』
そう言って気のいいウチナンチューが初めて会った私に朝まで付き合ってくれました。
翌日朝一番の飛行機で石垣島に初上陸しタクシーに乗りました。
『お客さん、今日はどちらから?観光ですか?』
『いいえ、東京から友達の墓参りに来ました。』
『わざわざこんな遠くまで?本当にありがとうね。』
予約したホテルに到着し、まだ早い時間にもかかわらず荷物を預かってくれたり
忙しいはずの支配人がカズの実家を地図で一緒になって探してくれました。
みんなに親切にされ、友達の墓参りに来たと知ると全員にありがとうねとお礼を言われ
大層な事してる訳じゃないのに熱いものがこみ上げてきました。
あれから彼の命日の3月25日に合わせて数年に一度2・3泊の日程で沖縄を訪れました。
それがいつの頃からか離島観光がメインでついでに?!墓参りって感じになってきたり。
真夏の沖縄で10日間かけて本島や石垣島離島を自転車で回ったり
正月元日に29度の暑さの中レンタル自転車で走り回ったりもしました。
今年の3月に前回に続き彼女を連れて2年半ぶりに石垣島と竹富島を訪れました。
ここ最近10年間では2007年、2009年、2010年、2013年、2016年と5回訪れました。
正確には覚えていないけど、これまで少なくともトータルで15回以上は沖縄を訪れたと思います。
だけど回数的に特別多いとも沖縄に対して特別に詳しいとも思っていません。
だから私が沖縄の事をさも知ったかぶりに語れる資格はないです。
でも私にとって沖縄は大切な場所なんです。
私が沖縄を訪れるきっかけはカズの死であり、その後リピートしてるのは
沖縄の自然ももちろんですが、沖縄の人の温かさだったと思います。
最後にカズが東京に出てくる際におばあに言われた言葉を書きます。
たぶん当時(もしかしたら今現在もかも)多くのウチナンチューが両親やお年寄りから言われたそうです。
『ヤマトンチューを信用しちゃダメだよ、最後には裏切られるからね!!』
日本で唯一地上戦が行われた沖縄
自分達を守ってくれるはずの
兵隊さんに殺された沖縄の人達
日本から見放され
見殺しにされた沖縄
今、日本でありながら
アメリカの基地の中にある沖縄
琉球として生まれ育ったのに
日本人として戦うことを強要された沖縄の人達
なのに最後は日本人として認められず
本土の捨て石にされて
見殺しにされた沖縄の人達
次回は私が沖縄に対する素朴な疑問を書いてみたいと思います。
2001年夏初めて日本最南端の波照間島を自転車で訪れました
あの頃はまだまだ若かった石垣の父さん・母さん
今週、カズの妹からラインに母さんの画像が送られてきました
先月母の日に贈ったパジャマを気に入ってくれたようです
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こんばんは、ブロッサムさん。
返コメ遅くなりました。
いい出会いなのか喜んでいるのかもわかりませんが、私の人生において
意味深い場所なのは確かだと思います。
2016/6/19(日) 午後 9:38