伊織の旅の映像

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今思う事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
旅に出たーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!
 
 
今の生活が嫌になったとか全然そうじゃないけど
むしろ日々の仕事にやりがいを持ってるし
 
 
でも
 
 
でもね
 
 
 
旅に出たい、そんな衝動に駆られます
 
たぶん今足がこんな状態だからだと思うんですけどね
 
 
 
 
過去ユーチューブに投稿して削除されたものを48時間限定でアップします。
 
 
 
あの時はアクセス数110万  チャンネル登録者数確か400人くらいでアカウント失いました
 
あれから新たにアカウント取得してから2年半、今現在アクセス総数209万回
 
チャンネル登録者数810人です
 
 
またまたアカウント失うかもしれないので48時間したら削除します
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
すぐには無理だけど
 
5年以内には日本海側を周って縦断して前回と合わせて日本一周にします
 
通過都道府県もあと20以上周って47都道府県完全制覇します
 
 
 
その時はまたみなさん一緒に旅してくれませんか?
 
 
 
お願いしまーす
 

 
 


                       沖縄波照間島ポタリング2001.夏   

         
 
 沖縄県八重山諸島にある日本最南端の有人島の波照間島。
台湾までおよそ100キロの距離にあります。
 
島の周囲約15キロメートル、人口およそ550人の小さな島です。
日本で唯一南十字星が見られる星でもあります。
 
波照間島では「我らの島」を意味する「ベスマ」と呼ばれ、現地でもこの呼び方を使う事があります。
波照間の名は当て字であり、「果てのうるま」であったという説が一般的です。
 
主な産業はサトウキビ栽培と製糖です。
島内の酒造所では、泡盛の中でも製造量が少なく入手困難な事で有名な「泡波」という銘柄を生産しています。
 
この貴重な泡波ですが、民宿に泊まると飲ませてくれる事があります。
私もはじめて訪れた時に一泊した民宿のオジーにご馳走になりました。
 
緯度が低く日本で唯一南十字星を観測できる数少ない島で、200ミリの屈折式天体望遠鏡やプラネタリウムを
備えた星空観測タワーがあります。
 
ニシ浜やペー浜、ペムチ浜等白砂の美しい遠浅の海岸があります。
私はこの島でシュノーケリングで小さいながらもマンタと出会う事ができました。
 
2008年まで石垣島から空路波照間空港へ行く事ができましたが、今現在は運行停止で船だけです。
 
 
 
                  画像は昨年日本縦断旅の時のものです。
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北海道自転車ひとり旅1999.夏


 
 私は過去に6回程北海道を訪れました。
飛行機だったり青函トンネルを通っての陸路だったり。
 
以前札幌に転勤していた2番目の妹家族の家を基点にしたりしました。
札幌の街は想像以上に大きな街で、北大のキャンパスが私のお気に入りでした。
 
初めて北海道を飛行機で訪れた時、空からの町並みに驚かされました。
家と家との間隔がこちらとは随分広い事に驚かされました。
 
『さすがに北海道はでっかいぞー。』ってひとり感動していました。
大陸的な風土も感じていました。
 
こちら関東とは明らかに違う風習や慣習も感じました。
冬のすさまじい気候風土に耐えた人の営み・考え方の違いに驚かされもしました。
 
初めて自転車で走った時も、こちらとは違ってすごく走りやすかったです。
冬の雪掻きした雪を溜める路肩部分が、ちょうど2輪専用レーンのようになっている事でした。
 
こちらのようにうしろから車に煽られたり、ぎりぎり横を走られて風圧に驚かされる事もなくてすみます。
夏にバイクを含めて2輪で走るには北海道は最高だと思います。
 
キャンプ場やライダー・ハウスも沢山あって何より料金が安いです。
最近オート・キャンプ化して料金ばかり値上がりの関東他のキャンプ場とはえらい違いです。
 
旅人を安く泊まらせるライダー・ハウスもいろんな人間が集まってとても有意義な体験ができます。
北海道に多くあるコンビニ『セイコーマート』も私のお気に入りでした。
 
惣菜が豊富でとにかくコンビニなのに値段が安い、貧乏旅人にとってはありがたい味方でした。
広い北海道まだまだ走った事がないところが数多くあります。
 
昨年の日本縦断旅の時は、最短距離をわざと避けて海岸線を主に2週間1500キロ程を走りました。
キタキツネに出会ったり、放牧されている競走馬の子馬とお友達になったり鹿と併走したり。
 
熊出没地域を一人走りながら、全神経を全方位に走らせて神経が疲れたり恐ろしく長いトンネルに恐怖の
連続だったり。
 
だけど夏の北海道は素晴らしいです。
 
また是非北海道を走りたいと思います。
 
北海道はでっかいどー、感動も大きいどー。
 
 
 
                    画像は昨年日本縦断旅の時のものです。
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※昨日の通勤途中、自転車と車の事故に遭遇しました。
加害車両は逃走し当て逃げでした。
 
私が119番と110番通報し、被害者の女性の介護&警察の事情聴取に応じました。
おかげで約1時間の遅刻になりました。
 
交通事故は気を付けていても巻き込まれる時があります。
でもそんな時加害者側になった時は最低限の被害者の救助をしましょうよ。
 
逃走車両は何かしら後ろめたい事があったんだろうと思います。
いずれの場合も被害者を置き去りにする事は、運転者以前に人間として最低な行為だと思います。

 

竹富島でポタリング



沖縄竹富島ポタリング2001.夏



2001年に訪れた時の動画版です。
鳥の鳴き声、風や波の音そして車輪が珊瑚をかむ音しか聴こえない世界です。
 
ラジカセ持参で大黒摩季を聴くのが当時のマイ・ブームでした。
途中からBEGINの『竹富島で会いましょう』を挿入しています。
 
 
沖縄県八重山諸島にある周囲9キロ、人口320人程の小さな島竹富島。
八重山の中心石垣島から高速船で10分(約6キロ)の距離にあります。
 
星砂で有名でとても癒される島です。
私も石垣島に行く度にこの島を訪れます。
 
平坦でアップダウンがなく楽に自転車でポタリングが楽しめます。
私がこの島を訪れると必ず立ち寄るお店があります。
 
そこで毎回同じものを食べます。
それがこの島の名物?!タコライスです。
 
初めて頼んだ時は、タコが乗っているライスだとばかり思っていました。
でも全然違いましたね。
 
元々は金武町にあるキャンプハンセンのゲート前のお店で米兵相手に考え出されたもののようです。
今では有名になり沖縄のどこでもあるし、全国的にはタコスライスとして知られていると思います。
 
タコスの具である挽肉・チーズ・レタス・トマトをご飯の上に乗せて辛いサルサをかけて頂きます。
私も自宅で代用したもので伊織スペシャルを作って食べます。
 
 
                   これが伊織スペシャルタコライスです。
イメージ 2
 
 
 
普通はご飯にレタス、あとパスタのミート・ソースにトマトがあればOKです。
伊織スペシャルとしてオプションでチーズ、ベーコン、玉子、バナナにミカンを加えます。
 
私的には暑い夏食欲がない時でも食べれますよ。
一応簡単なんですが、レシピはこちらのブログをご覧下さい。
 
 
                こちらが竹富島で食べるいつものタコライスです
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                     有名なコンドイ・ビーチです
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      重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、勝手な改築取り壊しはできないし
       毎日の住民の努力によってこのような美しい昔ながらの町並みが残されています。
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                 竹富島のランドマーク・タワーものみの塔です
                        島の全てが見渡せますよ
イメージ 5
 
※画像は昨年日本縦断旅で訪れた時のものです。
 
石垣島に行った際には是非この島を訪れてみて下さい。
そしてできれば民宿に宿泊して下さい。
 
観光客がどっと押し寄せる昼間の風景と、観光客が引き上げた後の島本来の姿を感じて下さい。
ここにいる間は時計を外して時間に縛られる事から解放してあげて下さい。
 
そうしてきっと感じる・見えるものがあるはずです。
 
いつか偶然に竹富島で会えたら素晴らしいでしょうね。
 
それではいつの日か竹富島で会いましょう。

沖縄県民かく戦えり


 
 沖縄には、様々な戦争の爪痕が今も残っています。
唯一の地上戦が行われた沖縄で戦争の悲惨さを残す戦跡があちらこちらにあります。
 
今回は沖縄にあった旧帝国海軍の最後の司令部があった壕の映像をお届けします。
2001年に訪れた時に撮影したものです。
 
この狭い壕の中に多い時は4000名の兵士がいたそうです。
アメリカ軍による本格的な攻撃が1945年3月23日頃から始まり、5月半ばには那覇市街まで迫りました。
 
6月4日小禄飛行場(現在の那覇空港)の北部に上陸し、司令部壕のある那覇市南西部を包囲する。
司令官の大田海軍中将は辞世の句と共に『沖縄県民斯く戦ヘリ』の電報を打って沖縄県民の勇猛な戦闘を
称えました。
 
13日大田司令官が自決をし小禄地区の組織的な戦闘は終結しました。
 
戦後2300名以上の遺骨が壕内から収集されました。
慰霊の塔が建てられましたが、もしかしたら今も壕内に魂として残っているのかも知れません。
 
 
沖縄はレジャーとして楽しい場所です。
ですが唯一の地上戦が行われた都市として戦跡を巡り、沖縄県民の苦悩を少しでも理解する事が同じ日本人
として重要な事だと思います。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
 
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県
ニハ既ニ通信力ナク三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メ
ラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ
看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県
民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇(イトマ)
ナカリキ 然レドモ本
職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧
ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ
焼却セラレ僅
(ワズカ)
ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ
小防空壕ニ避難尚砲爆撃下???風雨ニ曝
(サラ)
サレツツ乏
シキ生活ニ甘ンジアリタリ
(シカ)モ若キ婦人ハ率(ソツ)
先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦炊事婦ハモトヨリ砲弾運ビ挺身斬込隊
スラ申出ルモノアリ 所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク
婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生
別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄
(ミヨ
リ)
無キ重傷者ヲ助ケテ??真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラ
レタルモノトハ思ハレズ 更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ
自給自足夜ノ中ニ遥
(ハルカ)
ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラ
レ輸送力皆無
(カイム)
ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之
(コレ)
ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資
節約ヲ強要セラレテ
御奉公ノ??ヲ胸ニ抱(イダ)キツツ
遂ニ?
(数字不明)コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形 ?
(数字不明)一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノ
ミナリト謂フ 沖縄県民斯
(カ)
ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別
ノ御高配ヲ賜ランコトヲ



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