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今日の15回目の命日を記念して作成しました。
私の開設して1年ちょっとのブログで、芦原英幸を取り上げるのはこれで4回目になります。
以前から見てくれている方はまたかと思うかも知れませんね。
ここではあえて敬称を略させて頂きます。
今日は芦原英幸の15回目の命日に当たります。
知らない方の為に少し解説しますね。
芦原英幸、1944年12月4日現在の広島県江田島市に生まれます。
肉親をピカドン(原爆)でやられています。
この事がきっかけで後に道場でアメリカ人に対して、強い敵対意識を発揮します。
中学卒業後上京し、当事の大山道場に入門し指導員を務めます。
その後四国に渡り愛媛県八幡浜に道場を開き、正式に極真会館四国支部長に就任します。
1980年いろんな行き違いから極真会館を除名処分になり、松山に芦原会館を設立し初代館長に就任。
1992年筋萎縮性側索硬化症( ALS)という難病に冒され、2年以上の闘病の末にかつての師極真会館
大山総裁の後を追うように1年後の1995年4月24日に永眠されました。
芦原会館がある松山市街を一望できる高台にある安城寺に眠っています、享年50歳でした。
K−1で有名な正道会館宗師石井和義氏は、芦原英幸の元弟子になります。
他にも円心会館二宮城光氏をはじめ多数の元弟子が独立一派をなしています。
皆さんは『空手バカ一代』という漫画をご存知ですか。
少年マガジンに連載され、TVアニメとしても放映されブルース・リー映画の人気と重なり
空前の空手ブーム=極真ブームを巻き起こしました。
ドキュメンタリー・タッチで描かれていますが、大筋は当事極真会館大山館長をモデルとしていますが
細部は原作者梶原一騎によるフィクション・ストーリーです。
当事高校生で道場生の私はTVの前で正座をしてこのアニメを見たものです。
当事の私はノン・フィクションである事を疑わなかったので、師である大山館長に対する礼儀そのままでした。
この漫画の後半にこの芦原英幸が実名で登場します。
ある意味主人公の大山館長よりも人気が高く、当時の若者に絶大な支持を受けました。
ここでこの漫画で描かれたエピソードを紹介しましょう。
大山館長が道場で指導している時、眼だけをギラギラさせた細い青年がいました。
先輩への礼儀も反復練習も嫌いで、ただ倒せばよかろう式の組み手をする初心者が芦原英幸でした。
その後、持ち前の運動神経の良さで、メキメキと頭角を現し腕を上げていきます。
ただこの男にはひとつだけ大きな欠点がありました。
それは人一倍強い正義感と気性が荒い為に、街中でのケンカが絶えない事でした。
挙句には街を歩くやくざもんやチンピラにケンカを売っては、ストリート・ファイトを繰り返していました。
その後大きな暴力事件に巻き込まれ道場を破門され、反省の為に先輩のアイデアで頭を丸め廃品回収業
をはじめますが、反省の姿勢が認められ破門は解除され道場に復帰します。
しかし大山館長の命で、空手不毛の地四国へ単身飛ばされます。
四国の地で裸一貫で道場を立ち上げろと言う事でした。
立ち上げるまでは決して極真の名前は出すなと厳命されていました。
こうして四国に着いた芦原英幸は寿司屋の住み込み店員として働きながら空手の稽古が出来る
場所を探します。
ある事件がきっかけで芦原英幸の四国での道場破りが始まります。
『それもしかして空手?!』の言葉で相手を挑発し次々と道場破りを続け、少しずつ自分の弟子を増やしていく。
こうして四国の空手界を制圧しついには弟子の知己を得て、念願の道場を八幡浜の神社前に開き
正式に極真会館四国支部の看板を掲げ支部長に就任します。
この時期大山館長悲願の第1回空手道オープン・トーナメントが開催される事になり、後輩である山崎照朝や
添野義二が大会優勝を目指し、東京の本部から修行の為に訪れ芦原英幸の指導を受けます。
ここらぐらいまでが空手バカ一代に登場する芦原英幸のエピソードでしょう。
空手バカ一代で描かれている四国での山狩りは実際にななかったようです。
あとのエピソードはおおむね実話を元に、梶原一騎が誇張して描いています。
本部指導員の頃の貴重な画像です。
私と芦原英幸との関わりは過去記事を参照下さい。
もうあえて芦原会館の事は書きません、批判もしません。
ただ芦原会館の関係者の方には、是非とも過去記事を見て頂きたいと思っています。
武の道の有志が存在する事を信じています。
http://blogs.yahoo.co.jp/iori_dreams21/15212176.html
http://blogs.yahoo.co.jp/iori_dreams21/18160176.html http://blogs.yahoo.co.jp/iori_dreams21/24125720.html 私が高校時代そして今現在において男が男に惚れた唯一の存在でした。
良い事は良い、悪い事は絶対に許さない。
その中間が存在しない考え方の人間でした。
好き嫌いがはっきりし、嫌いになったものは受け付けない。
人間的には少々問題あり、しかし非常に人間味溢れた素敵な男でした。
相変わらずネットで、芦原英幸は本当に強かったのか等と言う事が書かれています。
身体を動かさない人間が、当時を知らないで偉そうに能書きを垂れる笑止千万です。
ここで当事の私とのエピソードを紹介します。
『お前強くなりたいか。』
『押忍、もちろん強くなりたいです。』
『そうかじゃあバカになれ、分かるか利口じゃなくバカになるんだ。』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・????!!!』
当時の私は意味不明でした。
そんな私を見かねてこう続けました。
『いいかバカには漢字の馬鹿とカタカナのバカがあるんだ。漢字の馬鹿はただのお馬鹿さんだ。
カタカナのバカはそれだけに打ち込むって言う事なんだ。素質なんて関係ない。どんなに素質がない奴でも
3年バカになれば素人よりは強くなる。10年バカになれば素質のある奴にどうにかついて行ける。
30年バカになれればその道を極められる。それが極真の道だ。館長の受け売り言葉だけどな。』
これは極真時代ですね。 こちらは芦原会館設立当初でしょうか。
昼間芦原英幸さんのお墓がある安城寺にお電話しました。
今日も芦原英幸さんのお墓には道場生の訪れも、法要もないそうです。
そんな事はないと信じていますが、私が1年前に3時間かけて墓周りを片付け・清掃して
もしもそれ以来の状態ならば怒りを通り越して、哀れを感じます。
そんな事はないと信じています。
芦原さん、あの世で会ったら今度こそは内弟子にして下さいね。
芦原英幸さんが創られた芦原会館の益々のご発展を心から願っています。
押 忍
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