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『家を出て四国の芦原さんのところに行きたい、行かせて下さいお願いします。』 生まれて初めてあとにも先にも、たった1度だけ両親に土下座して頭を下げた。 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』 私の性格を知っているからなのか両親とも無言だった。 結婚して離れて暮らす姉からは一言 『バッカじゃないの、頭冷やしなさいよ。』とだけ言われた。 以前バイトしていた空港の職員に見送られて松山行きの飛行機に搭乗した。 高校卒業して約1年後の19の旅立ちだった。 松山空港に降り立って当時極真会館四国支部がある八幡浜に向かった。 八幡浜の神社の前にある当時からぼろい道場でした。 そこで約1年半ぶりに支部長の芦原英幸と会った。 国内に160海外に170の支部を持ち、約5万人の門弟を抱える現在の芦原会館の創設者芦原英幸である。 年に数回本部の池袋に来られる芦原さんとは、数回稽古後に食事等に連れて行ってもらったり いろんな相談もさせて頂いた。 私が心機一転、この芦原さんの下でやり直す事を決意しての四国行きだった。 そんな芦原さんが、子供を抱えて玄関に現れた。 その子供が現館長の英典館長である。 『おうよく来たな、お姉さんから電話で知らせがあったよ。』 『押忍、お久し振りです姉貴が何か余計な事は言っていませんでしたか。』 『いや弟がそちらに行きますので、宜しくと言っていたぞ。』 『押忍、そうですか。』 この時に姉貴と芦原さんとで、取り交わされた本当の事を知らされてはいなかった。 とぼけた表情で 『で今回は何しに来た?!』 『押忍、自分を芦原さんの内弟子にして下さい。』 『そっかそう言う事か、ひとつ条件がある。それをクリアーしたら弟子にしてやる。』 『押忍、ありがとうございます。条件と言いますと・・・・・・・・・・。』 『まず住むところと働くところを自分で探して来い。そしたら弟子にしてやる、期限は1週間だできるか。』 『押忍、住むところと仕事を見つけてくればいいんですねわかりました。』 高校時代地元で新聞配達のアルバイトをしていた私は、住み込みで新聞配達か牛乳配達でもすれば すぐに見つかると思っていた。 でもこれが浅はかだった事を後に知らされる事となる。 見つかるまでは一切援助はしないという事も約束だった。 当時まだ2歳ぐらいだった実子を抱える芦原さんの眼は、あの厳しい武道家の眼ではなくどこにでもいる 最愛の子供を抱える親の優しい眼でした。 『押忍、これが芦原さんの子供さんですか。』 『そうじゃ可愛いじゃろ、お前も抱いてみるか。』 『押忍、宜しいんですか。』 『ええよ、ワシにとっては本当に眼の中に入れても痛くない存在じゃ。』 『押忍、失礼します。』 こうして今の2代目館長を抱かせて頂いた。 その日から私は八幡浜の小さな駅のホームに寝泊りをして、住み込みの働き口を探す事になった。 駅前の喫茶店でモーニングを食べながら、新聞の求人欄と織り込みチラシを見る事が朝の日課になった。 でも予想をはるかに超える厳しさだった。 仕事そのものもなかった上にまして住み込みで働けるところなんて皆無だった。 4日目の朝、いつものように喫茶店でモーニングを食べながら新聞を見ていると、そこのアルバイトの女性 から声をかけられた。 『旅の人ではなさそうだけど、こんな田舎に何しに来たの。』 『神宮前の芦原さんところに弟子になりたくて来たんだけど、住むところがなくて。』 『仕事は見つかったの。』 『仕事と住むところを見つけないと弟子にしてくれないんだ。』 『ふーんそうなの、こんな田舎じゃ住み込みの仕事なんてないわよ。』 『知り合いの新聞屋さんか牛乳屋さんないですか。』 『じゃあ私も一緒に探してあげる。』 こうしてこの日から彼女と二人して八幡浜市内を探し回る事になりました。 新聞や求人誌だけではなく彼女のつてを頼りに歩き回りました。 でも住むところもないよそ者に仕事等ありませんでした。 約束の期限の1週間目の夕方、道場に顔を出しました。 『どや見つかったか。』 『押忍、それがダメでした。』 『そうか残念だったな、かわいそうやけど一旦家に戻れ。お姉さんも心配しているし。この寒い中駅に寝泊りして 探していたのはワシも知っている。だけど約束じゃもう一度出直して来い、いいな。』 『・・・・・・・・・・押忍、わかりました。』 『ワシからお姉さんには電話で知らせておく、いいな帰るんだぞ。』 こうして私は志を果たせず、八幡浜をあとにする事になった。 このまま家がある川崎にどうしても戻る気にはなれなかった。 高校時代から通い慣れていた本部道場がある池袋に向かって、行きとは違い鈍行で約1日がかりで帰って来た。 両親に土下座までした出て来た私が、このまま家に帰る事にはどうしても抵抗があった。 知り合いの家に居候しながら今後を考える事にした。 あとで知った事ですが、姉と芦原さんとの間では私を帰す事の話し合いが付いていたようでした。 姉からの頼みを心を鬼にして芦原さんは実行したんだろうと思います。 この翌年に松山駅前に芦原本部道場を完成させ、1980年極真会館を除名と言う形で去り国際的な空手団体 として築き上げました。 極真会館大山館長の死から1年後の1995年4月、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と言う病気で2年以上の闘病 の末に亡くなられました。 その後当時18歳の実子が2代目館長に就任し今に至ります。 風の噂で具合が悪いらしい事は知っていました。 まさかそんな難病と闘い亡くなられるとは思ってもみませんでした。 かつての師大山館長の死後ほぼちょうど1年後に亡くなられるとは。 これからもっといろんな方面で活躍される方だったのに。 亡くなって6年後の2001年にようやく遅ればせながら墓参りに行く事が出来ました。 私が知らなかった松山にあるりっぱな芦原会館本部にも顔出しました。 その時はお母様が対応して頂き、とても丁寧な労いの言葉をかけて頂きました。 松山市街が一望できる高台のそのまた一番高いところにお墓はあります。 この時は1時間程、墓周りの清掃と今まで来れなかった非礼をお詫びし住職からも労いと貴重なお話を 聴く事が出来ました。 その後昨年日本縦断旅の途中、四国を訪れる最大の理由が実は芦原さんの墓参りでした。 正直讃岐うどん食べる事もお遍路さんを見るのも全て2の次の理由でした。 前回同様、芦原会館本部に顔を出し内弟子君に断りを入れてからお墓に向かいました。 そのお墓を見て驚きました。 いや驚いたと言うより悲しさと腹立たしさで煮えくり返るようでした。 その日は15回忌の1週間程前の日でした。 お墓の花どころかここ最近墓掃除がされた形跡がまったくありませんでした。 早速住職に訊ねました。 『ここ最近どころか、もう何ヶ月もお弟子さんはお墓にみえていないですよ。 来週の15回忌のお話も聴いていません。』 お墓の周りは落ち葉だらけです、その落ち葉の中からお墓参り用のバケツが埋もれていたんです。 つまりバケツが埋もれる程、落ち葉が積もっていたのです。 ほうきとちり取りもしっかり埋まっていました。 いかにお墓の清掃がされていないかです。 本部会館に戻って実子(英典館長)と連絡とりたいとこちらの素性を明かした上でお願いしました。 『最近、いつお墓の掃除をしたの?!』 『さあ、わかりません。』 『とにかく、実子が帰えられたら連絡くれるように必ず伝える事、わかったね!!』 しぶしぶの顔で『はい。』 天下の芦原会館の現館長を訳のわからない男に実子呼ばわりされて憮然としてました。 それから戻ってお墓回りの片付け・清掃そして住職に聞いてお花を買って来たり都合3時間かけて きれいにさせて頂きました。 その後、電話やメールもしましたが一度も本部及び実子の英典館長からは連絡はありません。 きちんと所在を明かし名刺まで置いて来ながらも何の連絡もありません。 ここまで大きくなった芦原会館は2代目の実子が大きくした訳では決してありません。 先代の芦原英幸館長が一代でここまでしたものです。 2代目館長とは2歳の頃以来会った事はないですが、雑誌等では若いながらも立派な人物だと言われています。 ですがもうすぐ命日それも15回忌まで1週間前の創設者である先代実父のお墓があれではいかがなものか。 住職が嘆くのも無理はない。 もしかしたら若いが故に周りの連中に取り込まれているのかも知れません。 芦原会館の皆さん、実子をきちんと補佐してあげて下さい。 貴方達の芦原空手・芦原会館は貴方達が想像する以上に素晴らしいものです。 先代の芦原英幸は日本を代表する素晴らしい空手家であり武道家でした。 今一度本部に近い先代のお墓でそれを確かめて下さい。 芦原さんの遺志を継ぐのは貴方達ですから。 この時の模様はこちらの記事をごらん下さい。 今日はこちら神奈川県厚木も雨からみぞれそして雪になっています。 雪国育ちの方はまだしも、関東都市部の方は雪に慣れていません。 くれぐれも雪での事故・怪我に注意して下さい。 こんな雪の日に日本で一番早い桜をお見せします。 ブログ友達の沖縄在住のイオさんのブログ記事です。
今帰仁城跡の桜祭りの様子です。 まだまだ寒いですが、沖縄の桜を見て一足早い春を感じて下さい。 ※返コメ遅れましたがこれからしますのでお許し下さい。 愛媛県八幡浜神宮前にあった元極真会館四国支部道場です 松山市街を見下ろす高台にある芦原英幸先代館長のお墓です。 マンションの外廊下もうっすら雪が積もりました。 外の家の屋根にも雪が積もっています。 ベランダもこんな感じです
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私らしく
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私には客観的に見てどうもこれは明らかにおかしいなという性格があります。 それはすぐに感化されて思い込んじゃう事です。 『思い込んだら試練の道を 行くが男のど根性』 あの巨人の星の主題歌そのものに自分でなりきっちゃうんです。 私が小学校6年の時、子供会で野球をやっていたという事もありますが この巨人の星に随分感化されていたようでした。 当時の私の家の隣が鉄工所でした。 家族と僅かな従業員でやっている小さな町工場でした。 ある時社長の息子のお兄さんにあるお願いをしました。 『あのね、作って欲しいものがあるんですけど。』 『何だい学校の宿題かい、うちは鉄工所だから鉄関係のものなら作れるけど。』 私は少年雑誌を見せて言いました。 『これを作って欲しいんだ、大リーグボール養成ギブス。』 『はあ?!っこれ漫画だろう、こんなもの作ってどうするんだい。』 『これはめて星飛雄馬のようになるんだ。』 『あのさこれは漫画なんだよ、漫画の世界のお話なのわかるだろう。』 『作れないの、お金ならお年玉がある。』 無理やりにお願いして、このお兄さんに作ってもらう約束を執り付けました。 2週間後、お兄さんに呼ばれて工場へ行きました。 ジャジャジャジャーン、大リーグボール養成ギブスの完成です。 材料は野球のベルト5本、エキスパンダーのバネ部分6本あと取付金具や鉄輪を自作してくれました。 一応私の身長や腕の長さを測ったので私専用の養成ギブスです。 訝しがるお兄さんをよそ目にいよいよ取り付けです。 星飛雄馬と同じように装着直後は、体が締め付けられて小さくなっていく感じです。 いざ腕を伸ばします。 グッグッグググーーーーーーーー。 『痛ててて、痛いーーーー!!!』 腕の肉部分や体毛がエキスパンダーに食い込んですごく痛いのです。 伸ばす時よりも縮めた時が非常に痛い、お兄さん笑いこけています。 『ほーらやっぱり、あれは所詮漫画の世界のお話さ。無理なんだよ。 本当に有効なものならとっくに誰かが作っているさ。』 悔しいけどお兄さんの言う通りでした。 こうして大リーグボール養成ギブスは失敗に終わりました。 次に考えた事 花形満のピッチャー返しの剛打を受ける為に星飛雄馬が行った特訓。 燃える火の玉ボールを下駄を履いてバック転し下駄で跳ね返すあのシーンです。 子供会野球部のメンバーに無理やり協力してもらいました。 さすがに燃える火の玉は無理でしたが、顔めがけて投げたボールをバック転してスパイクで蹴り返します。 バック転そのものは体操部なので全然問題なしですが、タイミングが難しい。 『投げる時に、行くって言ってよ。』 『わかった、よし行くぞ。』 足や背中に何度も受けてもちろんあざだらけです。 『やっぱり無理に決まってるよ、バック転できたってボールを跳ね返す事なんてできないよ。』 『いやできる、必ずできるんだ!!!』 1ヶ月近く同じ事を何度も繰り返してようやく完成させました。 『やればできるんだ、できるんだよ。』 高校時代、学校で柔道大会でクラスの代表になりました。 この当時柔道はまったくの専門外素人です。 同じクラスの柔道部主将にお願いして臨時入部させてもらいました。 受身と投げを一通り教わり、小さな体を活かして背負い投げを毎日練習しました。 ある時家の近くにある神社へ走り込みに行った時大きな麻袋を見つけました。 一瞬閃いた事がありました。 この麻袋を持って神社の石段に向かいました。 百段くらいある石段です、転げ落ちればもちろん怪我するはずです。 私は石段の最上部からこの麻袋に包まって転がったのです。 柔道一直線の地獄車の特訓を真似て。 受身さえしっかりしていれば大丈夫だろうと思っていました。 でもそれはまったくの浅はかでした。 あの急で幅のない石段で麻袋に包まれて前転したらどうなるか。 普通冷静に考えれば充分に危険な事はわかるはずです。 小中学時代体操部だったので受身に対しては自信ありました。 受身は一種の飛び込み前転の応用みたいなものでしたから。 でも結果はもう書かなくてもお分かりですよね。 背中と腕・肘そしておしり体中打ち身打撲状態でした。 転げ落ちて7・8段目でもう限界でした。 でももう自分の意思では止められません。 結局15段目ぐらいで麻袋から何とか抜け出せたので助かりました。 やはり柔道一直線の地獄車は出来ませんでした。 自宅に帰っても誰にも訳を言えず、翌日理由は言わずに病院へ行きました。 診断は全治2週間の打撲でした。 翌日学校でクラスの柔道部主将に訳を話しました。 『お前バカか、あれは作り話だぞ。柔道家の俺だってそんなバカな事考えないぞ。 お前頭おかしいんじゃないか。』 さすがにここまで言われても反論できる材料が見つかりませんでした。 実際には10日前後で治りましたが、柔道大会の本番が迫っています。 まだ完治しないまま柔道大会の本番です。 クラス対抗の5人ずつの団体戦で行われます。 私は同じクラスの柔道部主将の指示で副将です。 『おい、俺は柔道素人だぞ副将はあり得ないだろう。』 『いいんだ作戦だから、副将となれば相手もそれなりの大きな奴が出て来る。 そうすればお前の背負い投げも決まりやすくなる。』 そんなもんかと思いながら今はこの男の言う通りにするしかない。 1回戦目、私は引き分けでしたが2−1で勝ちました。 2回戦目、背負い投げが決まり1本勝ちクラスも3−0で3回戦進出です。 3回戦目、寝技有効で判定取りましたが、すぐに返し技で引き分けでもクラスは3−1で決勝進出です。 あれよあれよと言う間に決勝戦です。 相手は3年生です、私の前で2−0なので私が負ければそこでお終いの状態でした。 私の相手は私より20センチ程大きな男でした。 町道場で柔道をやっているそうです。 背負い投げするにはちょうどいい相手だと軽く思いました。 でもさすがに柔道がうまく技がかかりません。 終盤でかけた技が崩れてそのまま押さえ込みしました。 主将がセコンド代わりにいろいろアドバイスをしてくれます。 相手も必死ですごい力で返そうとしています。 『もっと締めろ返されるぞ、もっと思いっきり締め上げろ。』 私も勝ちたかったのでその言葉で思いっきり締め上げました。 すると ボキッ、と大きな音がしました。 一瞬相手の体から力が抜けるのがわかりました。 『痛えー、痛いーーーーどいてくれ!!!』 審判のやめで終了です。 私の一本勝ちです。 自力で起き上がれない彼は救急車を呼びそのまま運ばれて行きました。 結果的は3−1で負け準優勝でした。 しかし私はみんなから白い目で見られました。 セコンドしてくれた柔道部主将が 『折るまでやるバカがいるかよ、あのまま時間で勝ってたんだから。』 おいおいさっきと話が違うじゃないか、お前さんがもっと締めろと言うから。 決勝戦で戦った3年生の彼は鎖骨骨折及び頚椎損傷で2週間の入院と言う事でした。 こうして私の柔道大会は終わりました。 翌日この主将を連れて彼のお見舞いに行きました。 良くも悪くも感化されやすく思い込んだら・・・・・・・・・の世界です。 今は少しはいや大分丸くなったように思いますが。 『思い込んだら試練の道を 行くが男のど根性』 今日夜自宅に戻ったら窓が全開に開いているはずなのに、なぜか寒くない。 エアコンが付けっ放しでした。 地球に優しくない今日の私でした。 自宅の玄関先もちょっとだけクリスマス・バージョンです。 |

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男である前に人間だけど 速くなくても辿り着ければいい 強くなくても弱くなければいい 不器用だけど迷惑かけなけりゃいい 好きな誰かを思い続けられる そんな時代遅れの男でありたい 時代おくれ 作詞 阿久悠 作曲 森田公一 一日二杯の酒を飲み 魚は特にこだわらず マイクが来たなら 微笑んで 十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ 妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに 男の嘆きはほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く 目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい 不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく 上手なお酒を飲みながら 一年一度 酔っぱらう 昔の友には やさしくて 変わらぬ友と信じこみ あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず 好きな誰かを思いつづける 時代おくれの男になりたい 目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい |

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昨日変な夢を見ました。
母方の祖母と私が言い争いをしている夢でした。母方の祖母が亡くなってもう30年以上なると思います。 そんな祖母がなぜ今頃出てくるんだろう。 私が漬け物を食べなくなった理由のあの事件です。 小学校に上がる前だからゆうに40年以上前の事です。 私は子供の頃から上から頭ごなしに言われる事に、ものすごい反発を感じる少年でした。 今ももちろんそうですが。 私自身で認めた相手なら、乱暴な言葉を言われようが態度されようが全然平気ですが。 明治生まれのその祖母はとにかく偏屈で厳しい人でした。 その上自慢話が好きで、母方の実家にいる伯父やその家族の自慢話ばかりです。 父と母の結婚の経緯が絡んでいるんでしょうが、こちらには変に厳しかった記憶があります。 子供心にも表と裏が激しく威張って、自分の家族の自慢話ばかりするいけ好かないババアと思っていました。 5歳か4歳の頃の夏母の実家に帰省した時、土間の玄関から座敷に上がる時に何かでもめました。 詳しい内容は忘れましたが、とにかくそこで謝る事を断固拒否しました。 なら勝手にしろとなって、理不尽な大人への憤りから決めたというか誓いました。 『絶対に死んでも漬け物は食べない。』 ブロッコリーやアスパラが嫌いでも、目上に呼ばれた席であれば無理して食べます。 でも漬け物だけは食べれないのではなく食べません。 あの時の悔しい情景が断固拒否するのです。 相手にはどうしても食べれない非礼を理由は言わずお詫びしますけど。 この事に関してはどんなに尊敬する人から諭されたとしても、表面上聴くだけで曲げるつもりはありません。 高校時代のあの数学の教師に逆らって、テストを白紙で出した時も同じでした。 前職の時、定年間際の先輩が放った暴言に対して上司を通して詫びを求めた時も同じです。 派遣先のお偉いさんが偉そうに両手ポケット突っ込んで、社内を見学に来て立ち入りを拒否したのも同じです。 年上・年下関わらず、気持ちが通じ合えていない間柄での頭ごなしや、地位や立場を利用した偉そうな 態度には、異常と思える程の拒絶反応を示します。 息が苦しくなって脈が速くなって死にそうになる。(オーバーですが) 他人からすればそのくらいと思う事が許せなくなるのです。 『たかだか少し先輩・年上あるいは上司だからといってその気になってんじゃねえよ。 こっちはどんなバカでもアホでも人の道として目上を立てているだけなんだ。 それがわからないようなボンクラに、偉そうな口叩かれる筋合いねえんだよ。 こっちからケツまくってやるよ。』 舐めた坊やはまだかわいいけど、その気になった年上や先輩は反吐が出ます。 昔派遣先のその気になって威張って派遣の人間から恐れ嫌われていた社員に 『お前はその上着を着ているから社員として崇められているけど、上着を脱がせばただの坊やなんだからな。 いつまでもその気になっていると、みんなの前で襟首掴んでその上着を脱がしちゃうぞ。』 若気の至りならかわい気があるけど、現在もingな人間には 今のような管理社会には向いていないかな。 そんな事を思った今日でした。 やはり人間、穏やかが一番です。
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皆さんはお酒を飲んで酔っ払うとどんな癖がでますか。 十人十色、いろんなおかしな癖、困った癖があるんでしょうね。 私の場合も普段は決してそうではないのですが、酔って訳がわからなくなるとでるそうです。 酔うと他人にものをあげちゃうらしいんです。 普段の酔いでは決してそうなる事はありませんが。 自分が身に付けているものを、あげちゃうらしいのです。 以前このブログの記事でも書いた、写真だけの結婚式をさせた彼にも。 久し振りに会って飲んで相当酔っ払って、彼が子供のビデオを撮りたいけどカメラがないという話をされて じゃあ私のビデオカメラをあげるから、明日の朝取りにおいでと言ったそうです。 翌日彼が家に来て何の事だかわからず、うっすらの記憶で言ったらしい事を思い出しました。 まあこれは自分で買った物なので、誰に遠慮する必要のない事なんですが。 人からプレゼントされたものまであげちゃうんです。 厚木に来る以前15年程東京に住んでいました。 まだ20代半ばの頃、当時の彼女と新宿や渋谷でよく飲んでました。 ある時歌舞伎町ですごく安いボトル・キープのお店があって、試しに入ろうと言う事になりました。 でも実際確かにボトルは安いけど、料理は高いしあまり美味しくなかったんです。 そこで15分もしないうちに出ようという事になって、でももう二度と来ない店にボトルを残すのは勿体ないという 二人の結論になりました。 彼女の一杯を除いて30分程の時間で、度数35度のお酒を全部飲んじゃいました。 彼女に財布を渡して先に表に出ようと、階段を上ったら急に目の前がぐるぐる回り始めました。 完全にこの世の中が全て回りだし、腰にもきました。 酔いを醒まそうと外で涼んでいたら、目の前の路地でおじさんが雑誌を売っていました。 『おじさんご苦労様、雑誌売れるの今何時かなあ。』 『ごめんよ、おじさん時計持ってないんだ。』 『へー、おじさん時計持っていないの、時間困るでしょう。じゃあこれあげる、頑張ってね。』 そこへ彼女が払いを済ませて出てきました。 『何しているの、ここで。』 『あのさー、あのおじさん時計持っていないんだって。うちの親父みたいな歳なのにかわいそうだよね。 だからあげちゃった。』 『えーっ、時計あげちゃったの。あれこの間私が誕生日プレゼントであげたものじゃない。』 『だってちょうどサイズぴったりだったよ。』 『ぴったりじゃないでしょ、取り返してきなさいよ。』 『わかった、じゃあ行って来る。』 おじさんのところへふらつく足で辿り着き 『ごめんねおじさん、怒られちゃったから時計返してくれる。』 無言で渡してくれましたが、それを見ていた彼女がおじさんに5千円札1枚を渡していました。 『おじさんごめんなさいね、少ないけどこれで安い時計買ってね。』 お陰で彼女が欲しがっていた服を、買わされる約束をさせられてしまった。 ある時はまたも彼女からプレゼントされたライターをあげてしまって、ごまかす為に同じものを自分で買いました。 このライター普通は置いていないものらしく、取り寄せで手元に届くまで下手な嘘を繰り返してた。 絶対にばれていたと思います。 ある冬の日、友達の結婚式の3次会の帰り彼女と合流した私は、すぐに着ていなかった コートの事を指摘されました。 『あれー、おかしいなあ。どこかのお店に忘れて来ちゃったのかなあ。』 と答えました、その時は本当に忘れたと思っていたんです。 でも結婚式会場から、2次会、3次会の場所をひとつひとつ追求されているうちに思い出しました。 『またあげてきちゃったでしょう、あのレノマのコート私が気に入って選んであげたんだからね。』 そうなんです、買ったのは私ですが選んでくれたのは彼女でした。 その当時私が身に付けているもののほとんどは、彼女からのプレゼントか選んでくれたものでした。 今考えたら彼女には相当悪い事をしてました。 でもあの当時は、半分呆れ顔で笑ってくれました。 皆さん酔っ払っても人からもらったものを、安易に他人にあげたりしてはいけませんよ絶対に。 それはその人を裏切る行為になるかも知れませんからね。 あなたを想って選んでくれた大切な真心ですから。
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