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古代菊其の7

江戸菊
花弁は平弁で開花するにつれて花がさまざまに変化して(芸をする)と呼びます。狂いは開花直後から始まり、終わるまで1ヶ月近く掛かります。

江戸菊は江戸時代の初頭から育成されていました現在の様に成ったのは江戸時代後期、文化、文政期とされております。

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↑ 戸多摩の紫 ↓

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↑ 江戸瀬田の秋 ↓

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嵯峨
嵯峨菊 菊は、嵯峨天皇御愛の菊として嵯峨御所(現大覚寺)の大沢池の島に植えられたのが始まりで.糸のように細い花弁は、打上花火のような感じで細長い平弁で弁の内側が巻く様に見え毛筆の穂のように直立しているのが特徴とか?

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↑ 嵯峨たちばな ↓

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丁字菊(ちょうじぎく)
丁子菊は、昔、おもに関西地方で作られた菊です。

花の中心の筒状の花びらが香料の丁子の花に似ていることからこの名前がつきました。

外国では「アネモネ咲き」とよばれ人気があります。花びらは平たいものや匙のような形のものまでいろいろあります。

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↑ 丁子白雲丸 ↓

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伝統の古典菊 其の6


古代菊・江戸菊 5系統から

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↑ 江戸花散里(はなちるさと) ↓

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           ↑ 江戸秋偲 ↓

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↑ 江戸錦秋 ↓

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食用菊
菊の一種で、特に食用として栽培されている菊を指す。食菊とも。
料理のつまに使われるつま菊などの小輪種の他、花びらのみを食用とする大輪種がある。

菊そのものは、古代より中国で延命長寿の花として菊茶・菊花酒、漢方薬として飲まれていた。その中でも食用菊は、苦味が少なく花弁を大きく品種改良された種。

奈良時代に、日本で現在でも食用菊として栽培されている「延命楽(もってのほか・カキノモト)」が中国から伝来した。

平安中期の927年に行われた延喜式の典薬寮の中に「黄菊花」の名が示されている[3]。食用としては、江戸時代から民間で食されるようになったとされており、1695年に記された『本朝食鑑』に「甘菊」の記述が見られる。

また、松尾芭蕉は、菊を好んで食したらしく、1690年(元禄3年)晩秋に近江堅田で句に詠んでいる。

効能・栄養素
菊そのものの解毒効果に関しては、株式会社ポーラの研究により、生体内の解毒物質「グルタチオン」の産生を高めることが発見されている。

また、食用菊としては、日本大学薬学部・理学部 山形県衛生研究所により、発ガン効果の抑制・コレステロールの低下・中性脂肪を低下させる効果の研究結果が発表されている。

栄養面では、ビタミンやミネラルが比較的に多く、特にβ-カロテンやビタミンC、葉酸をはじめとしたビタミンB群などの抗酸化作能力の高い栄養素を多く含む[1]。さらに、紫菊花には抗糖化作用があるとされ、アンチエイジングの観点からも注目されている。

調理方法
観賞用の菊に比べて苦みが少なく、甘みがある。茹でてお浸しにしたり酢の物や和え物、天ぷらや吸い物に用いられる。

また花びらを湯がいたり蒸した後に海苔のように薄く四角い形に乾燥させた「菊海苔」「干し菊」「のし菊」などの加工品がある。

また、刺身やちらし寿司などにつまとして添えられる。これは、菊そのものの解毒効果を利用した、殺菌目的のため。ただ添えるだけでなく、醤油に花弁を散らして彩り・香りを楽しむ食べ方もある。

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伝統の古典菊 其の5

古代菊・江戸菊 5系から

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↑ 江戸下谷花川戸 ↓

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江戸菊
花弁は平弁で開花するにつれて花がさまざまに変化して(芸をする)と呼びます。狂いは開花直後から始まり、終わるまで1ヶ月近く掛かります。

江戸菊は江戸時代の初頭から育成されていました現在の様に成ったのは江戸時代後期、文化、文政期とされております。

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↑ 江戸下谷金婚 

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↑ 下谷金星 ↓

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世界を驚かせた江戸の園芸市場
日本で品種改良された菊に、心を惹かれた植物学者がいました。スコットランド出身のロバート・フォーチュンです。

彼は東北アジアの植物に強い関心を持ち、1860年に日本と台湾を訪れています。

その際、養蚕や稲の栽培を視察するとともに、染井、王子の植木村を訪問しました。そこで見た世界最高水準ともいえる「菊」の園芸市場に大変驚いたのだとか。

フォーチュンによって海外に紹介された菊は、その美しさゆえ、西洋でも注目をあびました。もともとイギリスには1789年に中国より菊が伝わっています。しかし、いまいち人気が出なかったようですね。

フォーチュンが持ち帰った日本の菊は品種に富み、それだけインパクトが強かったのかもしれません。それ以降、イギリスでは菊の栽培が盛んになり、日本の菊が西洋の園芸育種に大きな影響を与えたといわれています。

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↑ 江戸荏原紫玉 ↓

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伝統の古典菊 其の4

肥後菊 御所車

ひとつの花序を構成する花弁の数が極めて少なく、
シンプルな花蓉となるのが特徴で[肥後六花]に数えられております。

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↑ 古代菊・肥後御所車 ↓

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肥後菊は,古くから肥後(熊本)地方で作られた一重咲きの古典菊で,おもに武士の精神 修養として発達しました。

一重咲きの ため線の細いイメージの肥後菊ですが、開花した花は華やかです。

芸術にも取り入れられる
江戸っ子の菊人気が高まると、菊は鑑賞用だけではなく、芸術の場でも求められるようになっていきました。

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↑ 古代菊・肥後鳳の舞(おおとりのまい) ↓

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18世紀頃、中国の清(1636〜1912年)時代に作られた彩色版画絵手本『芥子園画伝(かいしえんがでん)』の模刻版が刊行されます。

この絵画手本には、草花や動植物の書き方が克明に記されていました。江戸中期の画家、与謝蕪村や浮世絵技術にも大きな影響を及ぼしたとか。

この本の中で菊の描き方に関する解説があり、見事な見本が掲載
されています。大輪の菊は豪華絢爛な花の象徴とされ、ダイナミックに描かれていたようですね。

また、歌舞伎にも菊ブームは反映されました。当時の歌舞伎は庶民の娯楽であり、その時々の流行を巧みに取り入れていました。

「鬼一法眼三略巻」は、江戸時代でも人気が高かった源義経が題材。舞台に菊畑を再現したり、セリフの中であえて菊の名前を登場させていたりしたそうです。

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↑ 古代菊・肥後宝珠(ほうじゅ) ↓

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伝統の古典菊 其の3

古典菊 丁字菊(ちょうじぎく)


丁子菊は、昔、おもに関西地方で作られた菊です。

花の中心の筒状の花びらが香料の丁子の花に似ていることから、この名前がつきました。


外国では「アネモネ咲き」とよばれ人気があります。
花びらは平たいものや匙のような形のものまでいろいろあります。

丁子菊 牛若丸 ↓

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丁子菊 岸の赤星 ↓

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丁子菊 金光丸 ↓

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古典菊の誕生

江戸時代には現代にも伝わる菊が作られています。江戸、伊勢、京都、熊本など、各地域で独自に発展を遂げ、それらの品種をまとめて「古典菊」といいます。

古典菊には、その品種が生まれた地域の名前がつけられています。例えば、江戸で開発された菊なら「江戸菊」。

長野と岐阜にまたがる地域で開発された菊は「美濃菊」です。中でも江戸菊は1位、2位の人気を誇りました。「正菊」とも呼ばれ、菊といえば江戸菊をさすこともあったようです。

また、古典菊には同じ菊とは思えないほど、それぞれに特徴があります。例えば、江戸菊の場合、咲き始めから終わりにかけて、徐々に花の形が変化していきます。
また、季節外れに咲くことも多かったことから、「狂い菊」とも呼ばれていたようです。

他方、美濃菊は岐阜県南部の美濃地方で品種改良されました。野菊を元に長い年月をかけてつくり出され、現在の形になりました。八重咲きした姿は、蓮の花にも似ています。

こうして日本独自の発展を遂げた菊は、その美しさから、のちに中国に逆輸入されていくようになりました。

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