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東京・銀座で最大級の複合商業施設「GINZA SIX(ギンザシックス)」が20日午前、開業した。

開業に先立ち出店企業は関係者や顧客に「レセプションパーティー」の案内をするが、我が家の三男に「FSC」から招待状が届いた。

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周辺では3月にマロニエゲート銀座が開業するなど商業地図が大きく変化しており、さらなる活性化につながるかどうか注目される。

ギンザシックスは、J・フロントリテイリングや森ビルなどの共同企業体が、銀座6丁目の松坂屋銀座店跡地などを再開発した。

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↑ G SIX建設現場 2016‎年‎9‎月‎1‎日撮影 ↓

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↑ G SIX建設現場 2016‎年‎12月‎1‎2日撮影 ↓

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↑ G SIX建設現場 2017‎年‎1‎月‎6‎日撮影 ↓

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↑ G SIX建設現場 2017‎年‎2月1日撮影

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↑ G SIX建設現場 2017‎年‎4月21日撮影 ↓

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↑ 地下駐輪場
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↑ 行列最後尾 ↓ 

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地上13階、地下6階のビルの低層部が商業フロアで、上層部にはオフィスが入る。
売り場面積は約4万7000平方メートルと近隣の三越銀座店や松屋銀座をしのぎ、化粧品や生活雑貨など計旬なブランド241店舗が集結するだけでなく、屋上庭園や能楽堂など新しくできる体験スポットにも注目が集まっている。

旬なブランド241店舗が集結するだけでなく、屋上庭園や能楽堂など新しくできる体験スポットにも注目が集まっている。

2015年3月まで渋谷・松濤に構えていた観世堂の総檜の舞台をそのまま移築した「観世能楽堂」。

能の公演以外にもさまざまな創造的な舞台が催される予定で、2017年6月からは、観光客や仕事帰りのサラリーマン、OL、学生などが気軽に日本文化にふれることのできる伝統芸能の公演が、毎週月・火・水曜日の夜に行われる予定となっている。

都心の湾岸エリアなどに住む富裕層や、訪日外国人客が主なターゲットだ。

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水陸両用車

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コメント欄は閉じてあります。

水上、陸上共に走行が可能な自動車である。主として軍事用だが、民間でも観光や趣味に利用される

スカイダックは米国CAMI社製の水陸両用バスを日本仕様に改修したもの。観光バスを運行する日の丸自動車が2台導入した。

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↑ スカイダック(水陸両用バス) ↓

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エンジンは陸上用と水上用の2つを積んでおり、陸上用が前(後輪駆動)、水上用が後ろに置かれている。入水の際は直前に水上用のエンジンを始動し、入水してスクリューを回転させる。

上陸の際はタイヤがスロープに付くまではスクリューで進み、タイヤが付いてから陸上用のエンジンに切り替える。 ↓

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スカイダックの運行は社会実験の一環と位置付けられ、運行期間は2020年3月末までを予定している。

日の丸自動車興業株式会社
東京都文京区に本社を置く、主に貸切バス事業を運営するバス事業者である。日の丸リムジングループに属する。

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小型水陸両用車
カナダの厳しい自然環境の中で生まれたマルチ駆動ビーグル、水陸両用車アーゴフロンティア。

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↑ 8WDタイプ ↓

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6WDと8WDタイプがあり、4WD車でも行き悩むような丸太や岩塊、急斜面も強力な荒地走破力で突破。

キャタピラを付ければ雪上はもちろん氷上や泥地も走れます。
環境庁のシベリア調査隊、浅間火山観測所、全国のスキー場で活躍しています。

レジャーシーンでも楽しめる一台。日本でも輸入代理店アーゴ・ジャパンで購入ができます。1967年以来、世界各地に輸出され、個人ではレジャー、フィッシング、ハンティングなどに、世界各地の政府および機関は、アーゴの信頼度および万能性を認め、資源調査、農業、除雪作業、僻地物資輸送、海岸パトロール、消防および災害時の救難活動など様々な分野で活躍しています。

日本でも環境庁のシベリア調査隊、浅間火山観測所、全国のスキー場で活躍中です。

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8x8 アーゴ 750HDi
・タイプ:8輪駆動 8輪マルチビーグル
・エンジン:kohler製 748cc/ 水冷/ V型2気筒
・電子燃料噴射/ 31馬力
・燃料 / タンク容量:ガソリン / 27L
・コントロール:
  ワンピース・オートバイ型ステアリング
 ハンドグリップスロットル式アクセル
・ブレーキ:(1)油圧式ハンドレバ-ブレーキ
 (2)ワイヤー式パーキングブレーキ
・クラッチ:
  CVTベルトドライブ自動遠心式クラッチ ・トランスミッション:
 新型アドミラル・トリプル・
 ディファレンシャル
 前進/ニュートラル/バック・
 HI / LOW セレクタ
・寸法(mm):L3020*W1525*H1170
・乾燥重量: 570kg
・積載荷重計(陸上): 521kg
・タ イ ヤ サ イ ズ: 25×12-9NHS
・乗員数: 6名(陸上) / 4名 (水上)

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江戸時代雛祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。
しかし、明治6年の新暦採用が「五節句(=雛祭り)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。

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↑ 江戸東京博物展示品(1818〜1830)から ↓

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このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。
祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。

北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされる。

雛祭りは女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。ひいなあそびともいう。
ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)を飾り、桃の花を飾って、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭り。雛あられや菱餅を供える。

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↑ 白酒(しろざけ)とは、雛祭りにおいて祝いのために出される酒のことを指す。アルコール分は約9%、糖質は約45%含まれ、酒税法ではリキュール類に分類される。

一般的な製法は、蒸したもち米に同量以上の味醂を加えてかき混ぜるか、蒸したもち米に焼酎と米麹を加えるなどして仕込んでおいたものを、数週間後に臼で引きおろす。

白酒の製法は、博多地方において古くから造られていた「練酒」が起源であると伝えられており、江戸時代から雛祭りのお供えとして扱われるようになったのは、平安時代からの風習である上巳(桃の節句)において、室町時代から桃の花を浸した酒を飲んでいたものが変化したと伝えられている。

甘酒(あまざけ)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろくに似て混濁している。甘粥(あまがゆ)とも呼ばれる。

主に米こうじと米、あるいは酒粕を原料とする。酒という名がつくものの、アルコール含有はわずかで、市販されている商品はソフトドリンク(アルコール度数1%未満)に分類される。

甘酒の起源は古墳時代に遡り、『日本書紀』に甘酒の起源とされる天甜酒(あまのたむざけ)に関する記述がある。古くは「一夜酒(ひとよざけ)」または「醴酒(こさけ、こざけ(「濃い酒」の意))」と呼ばれた。 ↓

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↑ 菱餅(ひしもち)は、和菓子の一種。
3月3日の桃の節句に雛人形を飾る際に、それと共に供える菱形の餅であり、桃の節句の行事食である。

赤・白・緑の3色のものが多いが、地方によっては異なり、2色であったり、5色や7色になっている餅を菱形に切って重ねてつくる。今の形になったのは江戸時代からである。

赤い餅は先祖を尊び、厄を祓い、解毒作用のある山梔子の実で赤味をつけ健康を祝うためであり桃の花をあらわしている。

白い餅は菱の実を入れ、血圧低下の効果をえて、清浄を表し、残雪を模している。
緑の草餅は初めは母子草(ハハコグサ)の草餅であったが「母子草をつく」と連想され代わりに増血効果がある蓬を使った。春先に芽吹く蓬の新芽によって穢れを祓い、萌える若草を喩えた。 ↓

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↑ あられ
あられ餅(霰餅)の略で、米餅を長さ2、3センチ、縦横5ミリ程度の長さに切り、火で炙った菓子である。炒った豆(表面をコーティングする)を使用するものもある。
一般的には火で炙るが、油で揚げた物もある。

米餅は通常市販されている餅と同様のもので、一般には彩りを添える為、ヨモギなどの草を入れた物、赤、黄などの色となる食物または色素を入れた物を使用する。

専用の網籠にて遠火で炙る事により餅同様に膨らみ、冷ませば出来上がり。油で揚げた場合はかなり柔らかくなる。

食べる際は、若干の塩または砂糖をまぶす。 ↓

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↑ 「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数存在している。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。

その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。

しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。 ↓

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江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。

この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。

もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。

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↑ 伊豆稲取の「雛の館」吊るし飾り展示館 ↓

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吊るし飾り(つるしかざり)は伝統工芸の一種。雛祭りの際に、糸の先に布製の人形などを吊るしてひな人形とともに飾る。インテリアとして、折り紙やビーズを糸の先につけて飾った物を吊るし飾りと呼ぶ場合もある。

福岡県柳川市のさげもん、静岡県東伊豆町稲取地区の雛のつるし飾り、山形県酒田市の傘福を称して日本三大手芸とすることがある。

伊豆稲取地区でひな祭りに飾られる装飾。「雛のつるし飾り」及び「吊るし」と呼ばれる。ひな人形の代わりに手作りの人形を飾ったのがはじまりとされている。

雛のつるし飾りは、娘の成人後にどんど焼きにくべる習慣があったため、古い物は残っておらず、最古の物は100年程度前の物と言われている。戦後、一時期廃れたが、平成に入って稲取婦人会が中心となって復興した。

竹ひごに縮緬を巻いて作った輪に糸を5本掛け、各々に11個(計55個)布製の人形を吊るしたものを2組1セットとして雛壇の両側に飾る。

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雛人形
「雛人形」は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。

「女雛」の髪型は主に「大垂髪(おすべらかし)」と「古典下げ髪(こてんさげがみ)」がある。

「大垂髪」は、平安時代からの垂れ髪形式が鎌倉・室町を経て、江戸時代後期に完成された比較的新しい髪型で、ビン(前髪部分)を大きく張った髪型である。

「古典下げ髪」は、割り毛とも呼ばれ、平安時代では長く黒い髪が美人の条件とされていたため、髪を全て後ろへ流し、わずかに垂らした両頬の毛を切りそろえた髪型で、顔を髪の毛で三方から包むことで面長に見せ、肌色の白さを強調し、より美しく見せるためとされる。

「古典下げ髪」は、「大垂髪」よりも結髪の技法が難しく、結髪師の技量が問われるため現在は希少となっている。

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恵方巻

恵方巻きは、節分に食べると縁起が良いとされる太巻き、またはそれを食べる大阪を中心とした風習。

別称として「丸かぶり寿司」「恵方寿司」「招福巻」「幸運巻」「開運巻き寿司」などと表現されることもある。

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↑ 恵方巻き予約販売の広告 ↓

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大阪船場の旦那衆が遊女に太巻きを口にくわえさせるわいせつなお大尽遊びを始まりとする説のほか、豊臣秀吉時代の家臣が出陣の前日に巻き寿司のようなものを食べて大勝利したことに始まるという説。

江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分にこの恵方巻の習慣が始まったとされたと言う説などがある。

元々の「丸かぶり」という言葉から商売繁盛家内安全を願うものではなかったとも言われる。

商業的催事として、これを利用した関係業界の販売促進活動・関連商品・商戦が20世紀後半から活性化しており、「日本一長い恵方巻き」イベントも行われている。

節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われているが、同日にこの「恵方巻」を食べる場合がある。
 
恵方巻は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。

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↑ 今年の恵方は 北北西 ↓

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商売繁盛や無病息災を願って、七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、ウナギ、でんぶなどの7種類の具を入れることで、福を巻き込む意味があるとする説もある。
 
恵方巻が活発化したきっかけは、後述のように関係業界の販売促進活動である。2000年代以降には、形が恵方巻に類似する円柱状の食べ物、ロールケーキなどの各種商品においても販売促進活動が見られる。
 
普及
ミツカンの調査による恵方巻の認知度は、全国平均は2002年(平成14年)時点の53%が2006年(平成18年)には92.5%となり、マイボイスコムの調査では、「認知度」と「食べた経験」に関して増加傾向となっているが、「実際に食べた」と答えた人の全国平均は2006年(平成18年)の時点で54.9%である。また地方差がある。
 
「実際に恵方巻を食べるか」についての地域差は大きく、2008年(平成20年)12月後半にアイシェアが行った調査では、関西・中国・四国にて「実際に食べる」が半数以上占めたのに対し、関東では「6割が食べない」などの結果が出ている。

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浅草 浅草寺追儺式場

二月三日浅草浅草寺では恒例の「追儺式」が行われますが、追儺式場の準備万端が整い当日を待つばかりとなりました。

追儺(ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)の宮中の年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。
「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。

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歴史
追儺の儀式は、『論語』の郷党篇にも記述があり、中国の行事がルーツである。日本においては天皇や親王が行う宮廷の年中行事となった。その後、変遷があり、現在の節分の元となった。

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儀式の概要
方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人(おおとねり))と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人(特に役職は決まっていない)が20人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。

方相氏は玄衣朱裳の袍(ほう)を着て、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公卿は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。

ところが9世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる。古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。

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追儺召の除目
追儺の儀式の時に行われる除目で、春の県召(あがためし)の除目や、秋の司召(つかさめし)の除目の際にもれた人を任官した。追儺の除目ともいう。

節分と追儺
追儺は節分のルーツともされている。この節分においては、鬼を豆によって追い払う。「節分祭追儺神事」を行う社寺もある。

節分とは本来、年4回ある季節の分かれ目のことをいいます。
今日、節分といえば立春の前日を指すようになったのは、特にこの日に新年を祝うと同時に、厄を払っておこうとする特別な日であったためです。

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地方によって異なりますが、年齢の数だけ豆を食べて新年を祝う、体をこすり厄を移して四つ辻や川に捨てるなどの風習が見られます。

また、旧暦では元旦と節分の日が近いため、もともと大晦日の習俗であった「追儺(ついな)」という鬼払いの儀式も取り入れられました。

もとは宮中の行事であった追儺も、江戸時代には庶民の間に広まり、人々は大声で豆を撒(ま)いて悪鬼を払い、また間口や窓にヒイラギにイワシの頭を刺したものを吊るして魔除けとしたのです。

ところでこの節分の行事を寺院で大規模に行ったのは浅草寺が最初で、その様子は『江戸名所図会』に見られます。

かつては本堂において法要を行った後、本堂外陣(げじん)の柱に登った役僧が3000枚ほどの「お札」を団扇(うちわ)であおぎながら、堂内のご信徒に撒く行事でしたが、明治17年(1884)以後は禁じられてしまいました。

現在では正午と午後2時頃に、伝法院から本堂へ一山住職と年男による練行列の後、本堂東側に用意された特設舞台から年男による豆撒きと、三大寺舞(じまい)の一つ「福聚(ふくじゅ)の舞(七福神の舞)」の奉演が行われる他、午前10時頃には浅草寺幼稚園園児による豆撒きや、夕刻には「浅草観音文化芸能人節分会」といった行事が行われます。

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また、かつて本堂の柱から撒かれていた「お札」と「福豆」は、ともにご希望のご信徒に境内のお守授与所で授与されております。

ちなみに浅草寺の豆撒きでは、観音さまの前には鬼はいないということから、「鬼は外」とは唱えず、「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内」と発声いたします。

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