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除夜の鐘が近所迷惑と言われるとか、節分の豆撒きにおける掛け声

「鬼は外、福は内」も近所迷惑か。

知人が社宅から新築マンションを購入し転居した。
長期に亘りこの社宅で子育てなどを通じ様々な「伝統行事」を継承して来た。


其の一つに「節分の豆撒き」もある。
マンションに転居し「豆撒き」をどうするかで悩んだと言う。

窓を開け高層階から掛け声とともに豆を撒くか。玄関ドアを開け「鬼は外、福は内」と言って共用の廊下(塵取りと箒を持たせた奥様を待たせて)に撒くかである。

何れの方法も誰かに何か言われそうな気がして取り止めにし、此の家の伝統行事は子等に継承する事無く此処で途切れてしまったと言う。

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豆撒き
(浅草寺節分会の写真は以前に撮影したものです)

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邪気を追い払うために、古くから豆撒きの行事が執り行われている。宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われる。

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山田太郎(中央)

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アニマル浜口・京子

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Wコロンねづっち・木曽さんちゅう

イメージ 11ナイツ 塙 宣之 土屋 伸之

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おぼん 井上 博一

豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。

豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもある。初期においては豆は後方に撒くこともあったと言う。

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なぎら健一

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ファイティング原田

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九代目林家正蔵

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林家三平

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内海桂子

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毒蝮三太夫

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斎藤 こず恵

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笹みどり

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三遊亭金馬   桂 伸治

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古今亭文菊・宮田章司・十朱幸代・橘家圓平

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十朱幸代

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松島トモ子

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世志凡太

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宮田陽・宮田昇・古今亭文菊

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小野由紀子

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松旭斎小天華

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黛志芳

豆まきの仕方
豆をまく際には掛け声をかける。1447年の『臥雲日件録』には「散熬豆因唱鬼外福内」とあるように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。

しかし、地域や神社によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。

奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている。また新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする。

「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の鳥海月山両所宮でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている。

大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている。また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある。

使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)である。豆を神棚に供えてから撒く地方もある。炒り豆を使用するのは、旧年の厄災を負って払い捨てられるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。

北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった。

かつては、豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたという。豆まきとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない。

近代の傾向
スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売される。

鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。

しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった。

小学校では5年生が年男・年女にあたるため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。

相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。

豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めて豆まきを行う乳幼児施設もあり、もはや豆まきではないとも言えよう。

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雨の成人式

8日は初孫が成人式を迎えました。

天気予報道り雨が降り出しましたので、直接式典会場へは行かず、我が家に来て記念写真を撮ってから会場へ車で送りました。

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↑ 先ずは室内で記念撮影を ↓

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私は27歳で結婚し、29歳のとき長男が誕生、其の長男が30歳の時に長女が生まれ二十歳になりました。

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↑ 壁面に邪魔の無いスペースのある駐車場でも数枚撮影 ↓

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↑ 式典会場にはすでに大勢の新成人が ↓

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成人式は制服で出席? 18歳成人、呉服業界に危機感
政府は22日から始まる通常国会に、成人年齢を18歳に引き下げる民法改正案を提出する方針だ。

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↑ 晴れ着の裾が気になります ↓

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18歳が成人年齢になったら、1月の「成人式」は大学受験と重なり、参加者が減ってしまう――。
そんな心配の声が呉服業界からあがっている。晴れ着姿の若者たちを見る機会は減ってしまうのだろうか。

成人式は市町村や新成人らでつくる実行委員会が主催する例が多い。現在、多くの自治体で年度中に満20歳になる学年を対象に実施。

文部科学省の2000年度の全国調査では約8割の自治体で「成人の日」がある1月に開かれていた。

成人年齢引き下げに伴い、年度中に満18歳になる学年を対象にすると、大半は高校3年生で成人式を迎えることになる。

1月は大学受験直前の生徒も多い。文科省の担当者は「より多くの人が参加できるよう、各自治体で判断して欲しい」と話す。

そこで浮上するのが、1月を避けて実施する方法だ。いまも降雪量が多い地域などで5月の連休や8月のお盆の時期に開く自治体もある。

青森県では例年、40市町村のうち18市町村で8月に開かれる。
成人年齢引き下げに危機感を募らせているのは、呉服業界だ。

業界誌を発行する「きものと宝飾社」(京都市)の松尾俊亮編集長は、「成人式が2年前倒しされれば、振り袖の販売に深刻な影響が出るだろう」とみる。

同窓会としての側面もある成人式。松尾編集長は「高校在学中や卒業から間もない時期に開かれたら、友達に会う懐かしさに欠け、出席率は低くなるのでは」と指摘。
在学中なら制服で出席する新成人も多いだろう、とも予想する。

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謹賀新年

平成三十年元旦

ご趣味や希望に満ちた新春を迎えお慶び申し上げます。
本年も旧年同様ご交流の程お願い申し上げます。

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お餅
お正月にお供えする理由
鏡餅の丸い形は人の魂(心臓)を模したものといわれ、また昔の鏡が円形だったことから「鏡餅」と呼ばれるようになりました。

元禄8(1695)年に出版された「本朝食鑑」に「大円塊に作って鏡の形に擬(なぞら)える」との記載があることから、鏡餅は拝み見るべきものだったのかもしれません。

大小2つ重ね合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表しており、福徳が重なって縁起がいいと考えられたからとも伝えられています。

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↑ 餅搗きの様子 ↓

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↑ 飛び入り参加 ↓

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地方の呼び名いろいろ
鏡餅の呼び名は地方によって違います。お住まいの地域では鏡餅を何と呼んでいますか?もちろん「鏡餅」が一般的ですが、地域によってさまざまな呼び名があります。方言を集めた書物「物類称呼」(安永4年、1775)を紐解いてみましょう。

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↑ 撞き上がったお餅は「からみ餅(大根おろし、餡子、黄な粉、納豆等を絡めて食べる)」にして振舞う ↓

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「かがみ餅 諸国の通称也 円(まどか)なる形によるの名なりとかや 東国にてそなえと呼 又ふくでん共云 越後及信濃にてふくでと云」このように、「そなえ」「ふくでん」「ふくで」という名が昔の文書に記されています。

他にも「具足(ぐそく)餅」「座り餅」という地域も。一方で、鏡餅に限らず正月に食べる餅を「年玉」と呼ぶ地方もあります。これは、年を取らせてくれる穀霊が餅に宿ることを意味しているからです。

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お正月にお餅を食べる理由
お正月に餅を食べるのは、平安時代に宮中で健康と長寿を祈願して行われた正月行事「歯固めの儀」に由来します。

もともと餅は、ハレの日に神さまに捧げる神聖な食べ物でした。又、餅は長く延びて切れないことから、長寿を願う意味も含まれています。

年神様に供えた餅を神棚から下ろしお供え物をいただくことで、一年の無病息災を祈る気持ちが込められています。

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↑ 焼いたお餅をお雑煮として頂く ↓

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tabiプログは7日(日曜日)から再開させて頂きます。

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スタチューパフォーマー
スタチュー(Statue)とは・・・銅像のように動かない大道芸の一種です。
 
宇宙飛行士(上野公園にて撮影)

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↑ 日本伝統文化フェスティバル会場入り口 ↓

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↑ 宇宙飛行士スタチューパフォーマー ↓

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パントマイム(英語: pantomime)は、台詞ではなく身体や表情で表現する演劇の形態。黙劇(もくげき)、無言劇(むごんげき)とも呼ばれる。

パントマイムは大道芸(ストリートパフォーマンス)としても多く見られる表現方法で、実際には無い壁や扉、階段、エスカレータ、ロープ、風船などがあたかもその場に存在するかのように身振り手振りのパフォーマンスで表現する。

単にマイムともいうことがある。
「パントマイムをする人」を、パントマイミスト(pantomimist)、マイマー(mimer)、パントマイマー(pantomimer、まれ)などと呼ぶ。英語圏ではマイムアーティスト(mime artist)という呼びかたもある。

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英語圏(アメリカなど一部を除く)においては、パントマイムという単語は、主にクリスマスに子供向けに演じられるコメディ要素の強い伝統的演劇を指す。

通常主役はオリジナルと性別の異なる演者が担い、勧善懲悪の要素も強いなど、外国人には興味深いものである。

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↑ 宇宙飛行士絶妙なバランス ↓

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一方日本語におけるパントマイム(台詞を用いないパフォーミングアートの一種)を意味する正しい英単語はマイム(mime)であるが、日本語においてはマイムという意味でのパントマイムの用法が広く使われていることもあり、此処ではパントマイムという語を使う。

パントマイムの歴史
パントマイムの語源は「全てを真似る人」「役者」を意味する古典ギリシア語 pantomimos であり、その起源は古代ギリシアに遡る。

ただし、このころのパントマイムは、演劇の一演目という扱いで、また今日我々が「パントマイム」という言葉で想像するものよりは、仮面舞踏に近いものであったようである。

今日我々が見ている「パントマイム」に強い影響を与えたものとして、初期中世イタリアで起こったコンメディア・デッラルテが挙げられる。

今で言う旅芸人の一座であり、ヨーロッパ全土を放浪し大道芸を行った。その影響もあって、ヨーロッパの言語的な壁を乗り越えるために、今で言うパントマイムの技法が洗練されていったとされる。

その後18世紀頃までに、コンメディア・デッラルテは衰退していく。そののち、コンメディア・デッラルテの遺産を取り入れ、フランスで道化芝居が発達していった。

現在の道化のイメージ、白塗りでちょっととぼけたキャラクターは、この時期のフランスの道化芝居によるものである。

その後、時代の流れとともに19世紀後半にはこのような道化芝居も衰退していくが、その流れを取り入れたドゥクルー、ジャン=ルイ・バローなどが身体技法としてのパントマイムを洗練させてゆく。

そして、ドゥクルーの生徒として、マルセル・マルソーが存在した。今日のマイムの大衆化には、彼によるものが大きい。
出典・ウィキペディアフリー百科事典。

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ハロウィン

ハロウィン あるいはハロウィーン

ヨーロッパを起源とする民族行事で、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Hallowseveが訛って、Halloweenと呼ばれるようになった。
 
ケルト人の行う収穫感謝祭が、カトリックを信仰する他民族の間にも行事として浸透していったものとされている。
由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われる。

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概要
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

601年にローマ教皇・グレゴリウス1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさいと広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもある。
 
これに因み、31日の夜、カボチャ(本来はカブ)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン (Jack-o'-lantern) 」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. 悪戯かご馳走か)」と唱える。

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家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。
 
現代では主にアイルランド、イギリス、アメリカ、カナダ、プエルトリコ、ニュージーランド、そしてオーストラリアの一部に広まっている。

これらの国ではハロウィンが盛大に開かれるが、プロテスタント信徒が多いせいもあって、その翌日にあたる諸聖人の日には通常、これといった行事は催されない。

宗教改革以降、プロテスタント諸国ではカトリック教会の祭日である諸聖人の日が徐々に廃れたため、ハロウィンのみが残された格好になっている。
 
アメリカの一部の学校では、ハロウィンがキリスト教由来の行事ではないことから、「ハロウィンを行わないように」という通達が出されることがある。
 
東方教会(正教会・東方諸教会)の広まる地域(東欧・中東など)においてはハロウィンはあまり普及していない。

ロンドンにあるロシア正教会の司祭はハロウィンを「死のカルト」であると批判している[2]。またロシアにおいてはロシア教育省が宗教行事の一環であることを理由に、公立学校に対してハロウィンの関連行事を行わないよう通達を出している。
 
カトリック信徒の多いラテン系諸国(イタリア・スペイン・ポルトガルおよび中南米諸国)ではあまり普及していない。これらの国においては、諸聖人の日が重要視されており、祝日に制定している国もある。
 
ドイツと日本においてはアメリカの大衆文化として一部受容されている。
 
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歴史
古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン (Samhain) 祭であった。

ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。したがって、この収穫祭は毎年10月31日の夜に始まった。

アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。
 
11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー (Sith) 」と呼ばれる。

女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。
 
祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込んだ。

かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。アイルランドでは10月最後の月曜が祝日となっており、ハロウィンを祝う習慣が最も純粋な形で残っている。

この祝日に続く週は、学期の半ばであるがすべての学校が休みになり、一般にハロウィーン休みと呼ばれる。
 
ハロウィンの習慣は、イングランド南部では17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・デイ)に置き換わり、廃れた。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままであった。
 
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ハロウィンの行事
トリック・オア・トリート
「トリック・オア・トリート (Trick or Treat) 」の習慣は、クリスマスの時期の酒宴(古い英語で wassailing と呼ばれる)の習慣に似た、soulingと呼ばれるヨーロッパの習慣から発展したと思われる。

11月2日の死者の日に、キリスト教徒は「魂のケーキ (soul cake) [3]」を乞いながら、村から村へと歩いた。物乞いをするときには、亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束した。

魂のケーキの分配は、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習に代わるものとして、キリスト教会によって奨励された。
 
ジャック・オー・ランタン
 「ジャック・オー・ランタン (Jack-o'-lantern) 」(お化けカボチャ、カボチャちょうちん)は、オレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたもので、最もハロウィンらしいシンボルである。

ハロウィンを祝う家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く。
これは「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」を象徴したものである。
 
その昔ウィルという、口は巧いが卑怯で素行も最悪な鍛冶屋の男がいた。彼は死後に死者の門へ着いたのだが、そこで聖ペテロ(天国へ行くか地獄へ行くかを選定する者)を騙し、 生き返った。

しかし生き返った後も反省はせず、前のとおり最悪な男のままだった。そのため、再び死後に死者の門を訪れた際、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われ、暗い闇の中を漂うこととなった。

それを見て哀れんだ悪魔は、地獄の劫火から轟々と燃える石炭を1つ取り、ウィルに明かりとして渡した。その明かりは時々、現世に種火のような弱い光を投げかける。
それから、夜中に不思議な光が見えるとき、哀れなウィルの話になぞらえて「種火のウィル」「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」と呼ぶようになった。

仮装
ハロウィンで仮装されるものには、幽霊、魔女、コウモリ、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビ、魔神、などの民間で伝承されるものや、ドラキュラやフランケンシュタインのような文学作品に登場する怪物が含まれる。

ハロウィン前後の時期には、これらのシンボルで家を飾る。
 
1990年代以降、仮装の対象としてあまり扱われなくなったモチーフも多い。黒人・インディアンなどは人種差別の見地から、妊婦や身体障害者なども同様の見地から好まれないようになった。
 
日本での受容
ハロウィンのパレードとしてはJR川崎駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」が知られる。このパレードでは約3000人による仮装パレードで約10万人の人出を数える。

東京ディズニーランドでも1999年まではイベントはなかった。しかし、2000年に入ってから次第に秋のイベント化し、今では9月初旬からイベントが始まる。
 
欧米系島民が多数在住する東京都小笠原村父島では、島民の秋のイベントとして定着しており、幼年の子どもたちの大多数が参加する程の盛況振りを見せている。
 
日本のカトリック教会では11月1日の「諸聖人の日」を祝日としているが、教会の行事としてハロウィンが行われることはほとんどない。
 
2007年10月27日にはJR山手線、大阪環状線に数十人のグループが押し寄せ、車内の蛍光灯を外す、網棚の上に寝転ぶ、他の乗客とトラブルを起こすなどして電車を遅延させるなど暴徒化する者もいた。

JR内での騒動は2005年から報道されはじめたが改善せず、2008年にはJR側が警視庁と連携を取りながら事前にビラを配り、ガードマンを配置するなど対応を強化するなどの対応をとった。

批判・非難
ハロウィンイベント参加者による飲食類の散らかし、路上での暴力などの非常識が問題視されており、日本のハロウィンへの批判や非難も年々増加している。2015年は、特に東京都渋谷区への批判が集中した。
出典:フリー百貨1辞典「ウィキペディア」より。

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