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晴天に誘われ「有田陶器市」へ出かけた。
場所は、佐賀県有田町、長崎から車で2時間余で行ける。この陶器市はもともとお遍路
さんに半端物を提供したことから始まったらしい。現行の町を上げて取り組み始めた
のも100回を越える。有田は、山合いの町である。町の形状が登り窯に似ている。町の
中心道路2キロに渡って両側の家々が商品を並べている。通りは観光客で賑わってい
る。
「陶磁器」という言葉がある。陶器と磁器は全く別ものである。日本には縄文、弥
生から又古窯と呼ばれている渥美・常滑・信楽・備前などは全て粘土をこね、成形し
焼いて出来上がる。
磁器は、陶石などの石を粉砕し粉にしそれを粉ね成形、絵付け焼き上げる。この磁器
は秀吉の朝鮮侵略で陶工を捕虜にして連行した人々がもたらした。この有田の地には
「李参平」が連れて来られ苦労の末、近在に適う石を見つけここから日本の磁器の生
産が始まった。「有田焼」あるいは「伊万里焼」と
して全国ブランドを確立していった。江戸期、有田焼は肥前鍋島藩の官窯として外部
者出入り禁止の御用窯として技術が漏れるのを防止している。そのために商談は港町
伊万里で行われこの港から輸出、
船積みされたことから「伊万里焼」としての名前も広まって行った。ヨーロッパの王
侯貴族はそれまで中国景徳鎮の製品を愛用していたが中国国内が明末清初頭にかけて
内紛で衰微する。その需要がこの有田にもたらされた。かのマリーアントワネットの
愛用品にも入っている。
連行された朝鮮陶工はここの有田だけではない。薩摩の沈寿官さんの祖も又その内
の一人であり苦労の末今の苗代川の焼き物が出来ている。この経緯は、司馬遼太郎氏
の好短編「故郷忘じがたく候」に詳しい。沈寿官さんは、朴大統領の時代にその故地
を訪れているこの文章は読むと朝鮮民族の一族を思う気持ちが伝わり心を深く動かさ
れる。
私のお目当ては、この陶器市ではない。ここは100M位歩いて安物のご飯茶碗を2つ
購入して引き揚げた。
JRの有田駅の正面に小高い山がある。その中腹に「佐賀県立 九州陶磁文化館」が
威容を誇っている。中庭があり誠に立派な箱物である。ここに「柴田コレクション」
が公開されている。実業家の柴田夫妻が生涯をかけて収集したコレクションが寄贈さ
れてこの焼き物の故郷に展示されている。総数16000点余一部は大英博物館にも寄贈さ
れた。ここには有田の全てをみることができる。ただただ「ウーン」と唸るばかりの
名品がある。小さな器に品があり美があり宇宙がある。
同じフロアで「現代九州陶工展」も開催されていた。大きな壷、甕、花入れ。奇抜な
デザインと装飾。しかし、心を動かされるものはなかった。こんな物を家のどこに置
くのか。我が陋屋に置き場所はない。強いて置き場所を探すとなると庭の隅において
水桶にするしかないが庭の静寂を破壊する。
展覧会狙いの奇抜な現代作家と言われる陶工の作品は魅力に乏しいというしかない。
柴田コレクションの手の上に乗る小さな皿には品があり美があり余白に宇宙を感じ
る。これらの作品の陶工名は全て不明である。
この期間、有田は賑わいをみせるが「深川製磁」も「香蘭社」も元気があるとはい
えない。売れていないのである。有田はもともと高級磁器製品が得意である。
諸事情があるがこの小さな町に早く賑わいが戻ってくることを思い暮れ行く街を後に
した。
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