|
俳句は、疎い。
季語集は何冊か持っているがたまに自分でも作ろうと思うが言葉が出てこない。
小学校6年生の時に朝日俳壇に投稿したことがある。何日たっても連絡がなく、憤慨
した。結婚して何かの話の折に義父が森澄雄氏と同級生と判り、義父か
ら紹介してやろうかと言われたがもうその時には関心はうすろいでいたので
話が進展することはなかった。
掲題のエッセイは、誓子が「壁画」の昭和28年4月号に発表している。
気になることが書いてあるのでメモしておきたい。
「伊勢街道の堀切に藤岡さんという医者がある。その先代の頃無医村だった
神島で病人が出ると舟で藤岡さんへ送り込んだ」
神島は三重県ですが対岸の伊良湖の方が近い。伊良湖の岬からは島影がはっきり
見える。三島の小説で有名になったが当時伊良湖からはたしか定期船は出ていない
。しかもその間の伊良湖水道は流れが速く難所といっていい。名古屋港へ入る
船は水深もあり激流のこの水路を通る。
藤岡先生は、鉄砲と刀剣の収集を趣味としていた。
鉄砲の話は、杉浦明平のエッセイにも登場する。松方弘樹の父親近衛十四郎も
冬になると何度か先生宅に宿泊し狩猟に出ている。子供の頃、先生はインデアン
?のオートバイで往診していた。当時は無論珍しくその音が聞こえると子供達は
暫く遊びを止めて見ていたものだ。
長塚節が、明治36年に伊良湖へ渡り次の歌を詠んだと紹介している。
伊勢の海をふきこす秋の初風は伊良湖が崎の松の樹を吹く
この松林も伊良湖の景観を彩る趣もあったが今は少なくなった。
防風林や水田の周囲に家の用材として当時は植えて管理していたが家の建築と
しては使用しなくなり伐採したら植林をしなくなった。海岸の防風林も朽ちたり
台風で倒木したりあるいは強風のために地面を這うような枝ぶりな松は庭木用に
盗まれたりしても新しく植林もしていない。中電火力の周囲の松林も開発で見る
影もない。この海岸の防風林に雨が上がった朝、松露を採りに行っていたが
もう松露も幻となっている。
崖椿 昔伊良湖へ行くをやめ
参考文献 山口誓子全集 明治書院
|