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代表作品というものは、「時代への整合性」「その作者でないと書けない」この2
つの条件が揃って生みだされるものだと思っている。
この本は、明確に竹中労という時代を駆け抜けた反権威・反権力の人の代表作品であ
りドキュメンタリー作品として秀逸であり時代に残るものだと思う。現代文学におい
て記録文学の実質的創始者というべき杉浦明平はその著書の中で「真実は記録の書き
とめる些細な事物の底に包含されているのだから、記録的なものなしには、フイクシ
ョンも芸術的真実をかちえないのである。・・記録とフイクションの統一の
問題が現代芸術のもっとも大事な課題となる。」と書いている。竹中は、嵐寛寿郎と
いう映画の大看板を通して杉浦のいう「芸術的真実」を手中に修めた作品といえるの
ではないか。
この本のプロローグは、「嵐寛寿郎の他に神はなかった。みたされぬ欲求は永遠の
願望となって、人の情念に生きつづける。誰もがみな少年期に、魔人願望を抱くもの
だろうか?私には、とりわけてそれが強かった。紙芝居の黄金バットから活動写真の
鞍馬天狗へ、天かける夢をずっと見つづけてきた。・・」で始まる。嵐寛寿郎への思
いを告白し少年期の自分を描写している。この思いは尋常ではない
。この本は2人の対話・聞書きを通じて、日本映画史が語られ、監督、役者の人物評
の中に嵐寛寿郎の時代への醒めた眼も浮びあがる。この方の以外な饒舌と進取性には
驚く。話芸でも銭がとれるのではないかと思うほど描写がありユーモアを持ってい
る。頭脳が明晰でないとこの語りはできない。
時代は、役者が「河原乞食」として規定されていた時でありその時に「活動写真」
の世界は「・・当時映画俳優は河原乞食のもう1つ下やった。板から泥におりると
は、どういう了見やと叔父はいきなりワテの横面を張りました。・・ふだん縁のない
親戚まで(映画界入り)に目クジラをたてよる」とある。
嵐寛寿郎は、「寛寿郎自身がいうように京都のいわゆる被差別芸能者、河原乞食の出
にはちがいない。だがそれは、歌舞伎のあらゆる家系・門閥についても言えることで
ある。嵐家は関西劇壇の名流だった。だが寛寿郎がデビューしたとき、斜陽の一門で
あった」とある。
面白いエピソードも書いておきたい。
「ワテは衛生家ですよってゼニで女買うのなら、根びきにして、ほかの男に触らせん
ようにせな気色悪い。だから数は少ない。先代実川延若も、成駒屋(雁次郎)はん
も、曽我廼家五郎も掛け値なし1000人斬り・・・・・ワテはそうはいきません。
せいぜい300人」「坂東妻三郎。女遊びもこの人にはとても及びません。祇園の芸
者総揚げにした。花見小路から八坂さんまでずらーっと芸者末社ひきつれて、大名行
列をくりひろげた」晩年の面白い騒動記もある。「神々の深き欲望」の監督
今村昌平に懇願されて出演をOKすると南大東島へ連れていかれ,暑く、シケがくる、
食べ物もない、煙草もなくなり逃げ出したが又連れ戻される。監督は女優の沖山秀子
とオ〇〇コばかりやっている。沖山は素っ裸でその辺を歩く・・・この世のことと
思へん。ワテも奇人やと自認してま、だがこれはタダゴトやない・・・」この場面は
抱腹絶倒!さすがの鞍馬天狗も脱出も試みている・・・・?
竹中労の少年期よりの熱き思いはこの1冊に結実している。加へてこの本により時
代を画くした希代な映画スター・大御所・葉村屋・嵐寛寿郎は私たちの脳裏に染みる
ことになった。私たちがこの作品を読めることは幸福なことである。著者の力量に賛
辞を惜しまない。
※ 同本は、1976年白川書院より刊行され、1985年徳間書店より文庫版が刊行されている
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