オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

音楽

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 コンサートは、F・リスト 生誕200年記念とサブタイトルがついている。

演奏者は、無論 この楽器演奏の日本における第1人者、椎名雄一郎氏。(東京芸大ー

ウイーン国立大ー現在、活水学院大学准教授)

 場所は、新戸町の音楽学部のホール。キャンパスは初めてなので通りががりの私た

ちに挨拶をしてくれた女子学生に場所をたずねたら明るく親切に教えてくれた。ここ

の女子学生はいつきても気持ちが暖かくなる。

 プログラムは

 F・リスト  バッハの主題による前奏曲とフーガ

 F・ショパン リスト編曲 2つの前奏曲

 R・ワーグナー リスト編曲 歌劇「ダンホイザー」より「巡礼の合唱」

 F・リスト 「わたしたちへ 救い願う人々へ」による幻想曲とフーガ

 1年ぶりに平戸の「おば様」にもお会いできた。家人は音楽学部長に歌を習っていて

この方は椎名准教授にオルガンの指導を受けているのであれ以来キャンパスで時々お

会いしている。私は1年ぶりである。始まる前の控え室で「弟は五高へ行って、結核で

なくなった。平戸はみんなキリスト教徒だとおもわれがちですが両親は禅宗です」と

話す。私は、こういう年齢の方と話すのが好きである。残念ながら入場の時間がきて

短時間で終わったのは残念であった。

お育ちになった頃の平戸の風景などを聞けたらと思う。

 この大学は、パイプオルガンは7台所有している。この規模は他大学にはあまりな

い。使用されたオルガンは2階の屋根にも届きそうな大きなもので米国・NOACK

 ORGAN CANPANY製である。この環境で音楽を学べる学生は幸福であ

る。

学生街の喫茶店 ♪

      君とよくこの店に来たものさ

      訳もなくお茶を飲み話したよ

      学生でにぎやかなこの店の

      片隅で聞いたいたボブ・デイラン

      あの時の歌は聴こえない

      人の姿も変ったよ

      時は流れた

      あの頃は愛だとは知らないで

      サヨナラも言わないで別れたよ

      君と

 朝日新聞がこの歌の背景を書いている。この喫茶店のイメージは「丘」「ミロ」で

 もないそうだ。

 この詞を作った山上路夫氏は、旅先のパリで立ち寄ったカルチェラタンだそうだ。

 5月革命の学生運動の拠点となった場所であり、お茶の水では「神田カルチェラタン

 闘争」がやはり起こった。この辺りをウロチョロしていた身には冷静には聞けな

 い。ジロー、田園も廃業したとのこと。それこそ「時は流れた」。
  
 今、ミロは昔の学生が多いという。フランスデモを最初にここで指揮したのは加藤 
 登紀子のダンナ藤本氏であった。

 昨夜は、活水学院のクリスマス・コンサートへ家人と家人の友人と出かけた。

この学院は、無論、プロテスタント・メソジスト派の女子大であり、校内にチャペル

は2つある。会場は大チャペルで行われた。チャリテイーも兼ねている。


     「愛は、すべてを完成させるきずなです」
                    −コロサイの信徒への手紙 第3章14節ー

 キリスト・ユダヤ・イスラムの神GODは絶対神である。私にはこれがわからな

い。私の生家には、仏壇があり床の間の横の押し入れの上には神棚がある。台所の天

井には大黒様と弁天様が鎮座し敷地の北東の角地には祠が祭ってある。これは、道教

を起源とする鬼門封じである。7福神の中にはインドを起源とするものもある。

 キリスト・ユダヤ・イスラムの神は砂漠で生まれた。聖書を少し読めば解るが、神

の意志に反した地へ行けば地が割れて命を落とす。日本は気候温暖、右に行っても左

に行っても緑があり水がある。こういう気候風土も影響しているかもしれない。

 大きなパイプオルガンの音が教会に響く。演奏者は、日本の第一人者 椎名雄一郎

准教授J・Sバッハ バストラーレの第一楽章

合間に賛美歌を全員で歌う。さすがに他の方々は大きな声で歌う。OB、信者の方も

沢山来ているから馴れたものである。私は、せいぜい109番ーきよしこの夜ー位であ

る。最後は、メサイヤのハレルヤを出演者3団体と観客総立ちで合唱。

 幸福な夜であった。

私の聖書読みは、まだヨシュア記を出ていない。少し先を急ごう。

 小沢さんが来日しているウイーン・フイルから「名誉団員」の栄誉を贈呈された。

小沢さんは、食道ガンを手術してその後腰を悪くされた。楽団は、「少しでもマエス

トロがお元気になる助けになれば」と話し、小沢さんは「私は、この楽団からたくさ

んのものを学び・・・どんな勲章よりうれしい。・・・メンバーとは生涯の友であっ

てほしい」と話した。

 小沢さんは、まだ渡航が不自由な時スクターをもって船に乗り武者修行の旅に出

た。ブザンソンのコンクールで認められて羽ばたくきっかけを掴んだ。その後、ボス

トン交響楽団、ベルリンフイル等世界の1流のオーケストラを指揮している。母校、

桐朋学園の斎藤先生を偲んで世界中で活躍している教え子達が毎年、松本で集まり

「斎藤記念オーケストラ」を組織し指揮している。後進の指導にはその情熱を傾けて

いる。昭和10年生まれであるから75歳になる。まだまだお元気でご活躍をして

いただきたい。日本の宝といっていい方である。

 私は、大宮で新日本フイルを率いた小沢さんを聞いた。

この時は、家人との待ち合わせ場所を間違えて喧嘩となり、心中穏やかでない状況下

であった。

今度、機会があればもう一度「小沢征爾指揮」の楽曲を聞きたい。

 エレキギターは、僕の少年期は不良の温床であり学校、PTAがこぞって反対していた。

僕がビートルズを初めて聴いたのは友人の持っていたポータブル蓄音機のドーナツ盤である。

三橋道也、春日八郎、美空ひばりの日常からこのエレキの音は異空間からの音であった。ベンチャーズが

1962年に来日しビートルズの1966年の来日でそのブームは全国に広がり青少年を虜にし、国内

でもいくつものバンドが結成された。その先頭を走ったのが寺内タケシ氏である。

 寺内氏は、1974年からバンドを率いて高校でのコンサートをはじめている。それが今月1700校

を達成するという。1回で100万の赤字を出しながら継続している。今では各校で大歓迎され生徒、先

生、父兄は彼の体験からでる言葉と音楽に感動している。なによりの教育である。

 71歳・・・・本人の高校時代は「大ばかもん」でベートーベンの試験問題で「合ったことないから

知らん」と答えて−50点を取っている。高校で寺内氏の公演を聞いた高校生は幸福である。年齢を

重ねるごとにこの豊かさが理解できるようになると思う。寺内さん・・・万歳である。

いつまでもお元気で高校生に生のエレキを聞かせてほしいと思う。(参照 朝日新聞10月25日)

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