オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

旅行

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友人と日本橋界隈を歩いた。

5月初旬としては暑い。日本の四季の変化は多様な言葉を生み短歌や俳句、小説に結実し私たちの

身の周りの習慣、風俗、文化を形成してきた。

雨の表現の多様な使い方をみても解る。霧雨、小糠雨、時雨、村雨、夕立、狐の嫁入りー。

白秋は、「雨はふるふる 城ケ島の磯に 利休鼠の雨がふる」と歌った。

しかし、今は違う。私の身体に染み付いている四季の変化の体感は、年々違和感が増幅されている。

澄み切った空の下、微かな風も気温にも違和感がある。この先の不安がますばかりである。

日本橋界隈は、仕事で日々歩いた場所であるが高層ビルの乱立と老舗店舗のリニューアル

で活気づいている。見える空が小さくなっている。

 日本橋の袂に「国道の起点標」のレプリカが置いてある。

ここが5街道の起点である。友人と考えた。「・・・ところで5街道て何処?」

「東海道・中仙道・甲州街道・・・?」二人とも、もうボケ・痴呆症の初期であるから

出て来ない。そこで帰宅して調べてみたら、日光街道、奥州街道を加えて5街道であった。

皇居の半蔵門は、甲州街道と直結している。半蔵門は、この門の前に服部半蔵の一門が

居住し警護の任にあたっている。江戸城緊急時に将軍がここから脱出し甲州街道へ逃げる

と聞いたことがあるか真実は解らない。

 今の築地市場は、震災前までこの日本橋の袂にあった。

そのために界隈は、食料品の老舗が多い。にんべん・やまもとやま・鮒佐・貝新、私の

好きな弁松もここに本店を構える。

 天麩羅の「金子半ノ助」には10時40分に着いた。

もう行列ができていた。並ぶのは好きではないが折角ここまで来たのでしょうがなく

並んだ。2時間まってやっと入れた。この店は、道路に並ぶ人用に冷水、外から入れる

トイレも設置されている。3階建てですが客室は10名も入れば一杯である。

 こういう店は、NETですぐに広まるのはいいが近所の常連は敬遠される。

並んでまで入ろうとはおもわない。私ももうころごり、何人かまとめて入れるので

天丼は座ると同時に提供される。出てきたときにはぐたっとしている。

 前のご夫妻は、両国から歩いてきたとおしゃっていた。後ろの若いカップルは岐阜から

きたといっていた。この天麩羅にどんな感想をもったのか聞いてみたい。

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東京へ向かっている。

今年2回目、家人は、3回目である。目的は、孫の運動会、友人との会食、美味しいうどんを食べる

ことの3つである。

旅行も便利になった。なによりもありがたいのは荷物運びが軽減されたことだ。

先に黒猫で送ることができるのは実にありがたい。キャリーバッグで持ち運びも楽だ。飛行機の予約も

自宅ですます。変化は、荷物の中身にもある。最近の必需品は、充電コードだ。僕は、携帯電話

カメラ アイパッドの3種類となる。 スマートフォン1台ですます方でも充電器は、必需品だ。

僕の小学校の修学旅行は東京だつたが米を3合、木綿の白い袋にいれて持参した。まだ食管制度が

存在し米穀手帖があつた時代だ。

レジャー ブームは、高度経済成長から始まった。

特に、戦前は、自由に旅行できる人は、限られていた。泊まる所も主要な市や町はともかく、在に

はいれば無い。人間関係が濃密な時代でもあり、親戚、友人、知人宅及びそれらの紹介先に世話になつた。

旅好きな文人墨客は、つてを頼りに酒造、醸造家宅、庄屋、素封家、寺などを泊まりあるいた。

新宿駅の中央線ホームへの階段は、石である。

磨耗している。日本で最も多い乗降客の駅の中心ホームの1つである。私がこの石段を初めて利用した

のは半世紀前になる。当時もすでにすり減っていた印象がある。この石段が何時設置されたか不知

ながら私の知る半世紀の時間はさほどのダメージも与えていない。

踏みしめる私だけが老いた。この石段を登り、大学へ通い、アルバイトへ、勤務先へ、

通った。

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 こういう天麩羅屋が近くにあれば通いたくなる。それにしても熱い日だつた。


樋口一葉の旧居跡の付近をあるいたが友人2人共不案内の地区にて交番できいて、やつ

と辿り着いた。正式な住所は、「台東区日本堤1-9-2」。

木造瓦葺き2階屋の建物は、昭和2年の建造、国の「有形文化財」の指定を受けてい

る。天麩羅、寿司、蕎麦は江戸の3大料理だと云う。何れも屋台から始まっている。伊

勢屋は、明治22年の創業とある。穴子は、店の生簀で泥を吐かせ、活きたまま捌かれ

る。いくら材料がよくても油の温度、揚げ方は素人には到底真似がてきない。

これは少し量が多いかなと思って食べた「天丼 ロ」少しももたれることなく胃に収ま

った。食後が気持いい天麩羅はそうあるものではない。

外観、店内の雰囲気は、江戸期の香りを遺す。料理通で知られた池波正太郎「鬼平犯

科帳」の1シーンにそのまま使用出来る。

これで又、上京の楽しみが一つ増えた。私の好きな佃煮の「天安」弁当の「弁松」そ

してこの伊勢屋何れも江戸の香りがする。

末尾ながら友人Xに案内され御馳走になつた。又、次回もお願いしたいとー御礼  をこめて!。

雲仙 旅亭 半水慮

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 静寂というのは、無音のことではない。

光射す木々の陰翳、庭の流水の音、色とりどりの葉の揺らぎ、半水慮の畳敷きの

縁側に寝そべりがら庭を眺めている。ここには、静寂がある。

 この旅館に泊まるためだけに雲仙に出かけた。

6千坪の敷地に14邸があり、直接、自分の部屋に通されるので外の浴場を利用しない

限り他人と会わない。一切の人工音から遮断される。本格的数奇屋造りの建物は26年の

年月が流れたが一分の狂いもない。庭も一から造作したものだが自然そのもの様に映

る一流の庭師がこの歳月を計算して造庭している。私は、築庭風、石庭風は余り

好まないがこの庭は自然、周囲の林の延長としか思へない。建築の専門書にも掲載

される理由がある。ある高名な建築学者は「どの角度からも庭が見えるこの建築は

プロから見ても大変なものです」と地元の方に説明している。

 旅は、芭蕉のような長い行程もあるが距離を指すのではない。

精神の高揚あるいは沈静が起こる非日常の世界があればそれが旅なのだ。

国道から入り緑に囲まれた茅葺門は車が近づくと自動で開く。半水慮の旅の世界は

ここから始まる。

 作家・辻井喬は、実業家としての顔・堤清二としてあの「ホテル西洋銀座」をオー

プンさせている。アメリカ型ホテルにはない真の品質を求めた結果だろう。その彼が

開業間もない半水慮を訪れてこの旅館には「贅沢というより品格といった方が適切」と

書いている。ホテル西洋銀座の洋と半水慮の和とは彼の想像力の中で一致をみたのだっ

た。

 今度行くとしたら秋、邸内の木々が紅葉に変る時、ワーズワースの詩集でも

忍ばせていきたいものだ。

花みずきの咲く頃

 乗りなれた通勤電車の中から毎日のように見る外の景色が記憶の中に

沈殿していくことは少ない。頭の中は別のことを考えている。意識が目的を持って

視線を注がないと見えている風景は流れているだけだ。

 4月の中旬過ぎあたりから都心を出て郊外へ向かう電車の中から家の庭先に咲いて

いる白や薄いピンクの花が眼に入るようになる。屋根を越えている木もあれば垣根越し

の木もある。花みずきの開花である。私が車内からこの花を探すようになったのは

そんない古いことではない。今は、この時期には視線は確実にこの花みずきを探してい

る。

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