オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

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 クイーン・エリザベス号が長崎へ今日初入港したので見学に行った。

姉妹船クイーン・メリー号は、2010年2月7日に入港している。この船の方が巨艦で

あるので入港前に女神大橋の下を通過できるか話題になったが今回は全く問題はな

い。メリー号は、全長345Mに対してエリザベス号は294Mと小さい。T数は約15万T

と9万Tである。

 船名は、「エリザベス女王号」。日本では考えられない命名である。「天皇陛下

号」と命名できる制度と風土が日本にはない。イギリスは、積極的に「王室」を

ビジネスにしている。イギリスの老舗名店に女王・殿下の紋章の掲示を認めている。

無論、審査があるがロイヤル・ファミリーが老舗名店企業の保護・育成にも一役貢献

している。

 メリー号よりは小さいといえども大波止埠頭の長さとほぼ同じである。メリー号

は埠頭からはみ出ていた。この船は、3代目だという。初代は、1938年に進水して

いる。豪華客船も大型化の時代であるがこのエリザベス号は、豪華客船のシンボル

的存在であり歴史・風格から他を圧倒している。今回は、鹿児島→横浜→神戸→

長崎と寄航し夕方にはもう出港する。

  ♪通りゃんせ 通りゃんせ

    ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ♪

 梅の香りに誘われて太宰府天満宮と宗像大社へ出かけた。

梅は未だ3分咲きであったが両神社ともに初のお参りなので意味はあった。

湯島天神、北野天満宮は参詣をすましているので御本尊を詣でだことで安堵している

。叉、宗像大社は、安曇族の一員たる私の一族神でもあり大いなる務めを果たした

気分だ。私の遠祖は、かの「白村江の戦い」に百済からの救援要請を受けて、この

北九州の地に版図を持っていた「安曇比羅夫」であり、朝廷命により派遣された総大

将であると勝手に係累を名乗っている。

遥かなる663年8月のことであり、敗軍となったのは痛恨の極みであるが、私は、末節

のただの馬の骨である。

 梅原学説によると日本の有名寺院は法隆寺に代表されるように「鎮魂」を主目的

に建立された例が多いとのことである。菅原道真死後、京都では天変地異、疫病

が起こる。これらは、無実の罪で流罪となった菅原公のお怒り、祟りの所為であり、

これを鎮魂せねばならないというわけである。迷信、言い伝え、先例、祈祷の蔓延る

時代、十分考えられる。

 今では、公のお怒りも静まり、専ら「学問・受験の神様」としてその神力を拡大

して本殿には行列ができるほどの人気ぶりである。

 ここでも中国人・朝鮮人の団体が眼につく、落書きされたり、梅の枝を折られたり

放火でもされたらたまったものではない。規制できないものか。

 久しぶりに帰省した。母の死以来である。

実家の兄はまだ元気でいるがその息子が既に家を継いでいる。お墓へ直行し非礼を詫

びた。幼馴染のAの死は前日に私の帰省を知った同級生が教えてくれた。道中、Aの

死が頭から離れない。

私が小学校低学年から剣道を始めたのはAの歯医者の父親が子供達に剣道を教えてお

り誘われて仲間に入った。それから中学を卒業するまで彼と一緒に部活動をやり郡大

会で優勝もした。母親同士も仲がよく交流をしていた。高校に入りグループは離れた

が彼とは会話をしなくても理解している特別な存在と思っていた。

 故郷には悲しみが待っている。

隣家のBは1つ下である。そのBが4年前に服毒自殺をしていた。

久しぶりの兄との会話はどうしても知った人物の消息を聞くことが多くなる。Bの死は

その会話の中で何気なく兄の口から出た。Bは隣家の幼馴染である。当然、元気にして

いる確認のために聞いた質問の答えが「服毒自殺」である。「どうしてー」と思わず

口から出た。兄も心当たりがないという。強いてあげれば息子の嫁と仲が悪く性格が

激情型でありなにかのきっかでそこまでいったのかというがこの理由もそこらにころ

がっている話である。

 故郷は、帰る度に悲しみが追いかけて来る。

 

長崎 伊王島紀行

 伊王島は、僧俊寛の流罪の地だという。

鹿児島、喜界島等諸説あるがその墓標は今長崎市の指定文化財となっている。昭和10

年にここを訪れた北原白秋は次の歌を詠んでいる。

      いにしへの流され人もかくありて

        すえいきどおり海を睨みき

 島は、長崎港の入り口付近にある。泳ぎの達者な人は泳いでいける距離である。長

崎の港、大波止まで10キロ、連絡船で28分の近さである。(東側対岸の香焼町だと約

1キロ)この島は、長崎市に併合されたが旧西彼杵郡伊王島町として独立した行政を

維持していたが昭和47年に唯一の基幹産業の炭鉱閉山、人口も7000名を超えていたが

寂れていく。バブル、リゾート法の整備とともに町は、長崎市の松早石油と組んで第

3セクター方式でリゾート施設「やすらぎ伊王島」をオープンするがバブル崩壊、リ

ーマンショックと全国の同様の施設と同じく実質破綻、今は、長崎市が指定管理者制

度で民間の別法人に経営させている。ホテル棟3、コテージ15棟、テニスコート15面

隣は海水浴場、海をみながら入れる各種の温泉風呂を宣伝している。

 リゾート施設は、バブル期に全国にできたが要は「リピート客の維持」ができるか

どうかであり後背地の人口に依存する特性を理解しないまま無能な自治体、企業はこ

とごとく失敗している。

北海道のどこかの自治体が作った「赤毛のアンの村」は、できた当初から「赤字のア

ン」と揶揄されていた。ここに去年、「伊王島大橋」が完成した。東側の対岸、長崎

市の香焼町と通じたが多額の税金を使って出来たこんな橋を作っていてはいくら税金

があっても足りない。土建屋とそれとつるんだ政治家が儲かるだけである。島の人口

は今900名弱にすぎない。船で28分で長崎市に着くのに橋を使用すれば車でいけるよう

になったが40分かかる。島には高齢者の方々が多い。その方々は車は運転しない。こ

れで民営の連絡船の経営が悪化すると税金投入となる。もうその声が上がっている。

このリゾート施設の宿泊客の増加に貢献するかといえばたしかに去年は橋の開通効果

で日帰り客は増えたらしいがそれも今年にはいり減少している。

 この宿は「船で20分強で行く」というのが特性であり強みであったが「陸」になっ

たために市内の安い大型ホテルと競合するはめになっている。はたして・・・いつま

でもつやら。

 島は、正確に書くと2つの島でできている。沖の島と伊王島であるがその間は、わ

ずか5Mくらいの入り江が入っていてたしかに分離している。2つの島に馬込教会と大

明寺教会がある。創建は明治期であるがそれぞれ再建されている。やはり昔は「隠れ

キリシタン」の地であるという。地元の人に聞いたら仏教徒は全員、曹洞宗とのこ

と。

 家人もこの島は初めてである。1泊の旅であったが長崎港を入り口から眺め、温泉に

つかりながら沈む夕日をみている。空が変わる。風が変わる。


 注・山田監督の映画「家族」は、この島を離れ尾道を経て北海道へ渡る設定となっている。
   背景には、無論、炭鉱閉山がある。

銀座・丸の内界隈

 娘夫婦宅の慶事で上京した。

合間に家人と銀座・丸の内界隈を散歩した。銀座三越の改築オープン、新丸ビルのオープンも

つい昨日のように思えるが今はスカイツリーの開場の話題で一色である。銀座には勤務先が

あった関係で4年間通った馴染の場所であるが変貌には驚いた。銀座通りは世界のブランド品の

ショールームとなっている。三越裏の洋食屋「三河屋」を探したがない。よくみると増床部分の

三越のビルの中にあった。旧店舗は蔦のからまった趣のある店だったが覗いた店内は狭く

入りたくなるような造りではない。旧店舗が借地だったらしょうがないが前の店の雰囲気が

いい。ブランド店がオープンするのと同時に通りに面した小間物屋の前には閉店の張り紙が

張ってある。銀座の高い土地の上で商売するには難しい時代になった。「大資本」「高単価」で

「よく売れる」物でないと難しい。ヴイトンは松屋、三越にもある。そして直営店がある。

直営店には客は余り入っていない。採算を心配するが世界の「TOKYO GINZA」に

あることが大事なのだろう。それにしても自分には縁のない場所であり興味もない。

 新丸ビルの中で昼食をとったが家人の欲求は「広くて、清潔」な店である。

この希望をビルの中の食堂で充足するのはなかなか難しい。やっと「自由が丘グリル」という

食堂にはいったが味は推奨できない。

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