オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

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雲仙紀行

 コスモスの花が風に揺れている。

異常な夏が終わり、やっと秋の気配が感じられるようになってきた。これから異常が正

常となる気候変動が起こっているのか不安がよぎる。

 雲仙に向かっている。雲仙は橘湾側にある小浜温泉街を抜けて山道を登る。

古くは701年に僧行基が開山し「西の高野山」と呼ばれ霊場として繁栄を築いた。江戸

期元禄8年には松平島原藩主が湯守役を指定し「湯守の宿」が出来た。明治期になると

長崎に居留する外人が避暑に訪れるようになる。当時の長崎には、グラバー商会、リン

ガー商会、香港上海銀行があり西洋式ホテルが開業し英字新聞も発行されている。上海

とは航路もあり上海にいる外人も来るようになっている。「避暑」という行動形態は日

本にはない。軽井沢もたしか大正期に英国人の牧師が利用するようになったのが避暑地

の発端である。日本は「納涼」である。いかに佇まいを変えて涼しく感じるようになる

かである。襖を替え、風鈴、雪忍をつるす行為が夏を涼やかにする。

 雲仙は標高700Mにあるので気温も2−3度は低い。硫黄の臭いが街全体を流れ温泉

の湯煙が上がっている。江戸幕府はここの灼熱の地獄谷に切支丹の信者を投げ込んでい

る。その絵はハーグの文書館に残っている。国立公園として最初に指定された。

 平日のためか客はほとんどいない。どこの観光地もそうであるが団体客の減少ととも

に集客には苦労している。もう何度も来ているので宿の近くを散策する以外ホテルで過

ごした。温泉は温度も私の適温であり少し緑かかった白濁の源泉に入りながら空ばかり

眺めて過ごした。

 ホテルの玄関には大正9年に訪れて詠んだ吉井勇の記念碑がある。


        雲仙の湯守の宿にひと夜寝て

         歌などおもふ旅つかれかも

 又、館内に飾られてある高浜虚子の色紙には

       ゴルフ場に降り立てば つつじ叢高く

 雲仙の山々は、ミヤマキリシマの群落でも有名です。春の山々を彩る。

朝は、自分で淹れたコーヒーをのむのが日課となっているが好みのコーヒーではなくな

んとなく落ち着かない。歳とともにだんだんと保守的になっている自分が解った旅でも

ある。

有田陶器市

 晴天に誘われ「有田陶器市」へ出かけた。

場所は、佐賀県有田町、長崎から車で2時間余で行ける。この陶器市はもともとお遍路

さんに半端物を提供したことから始まったらしい。現行の町を上げて取り組み始めた

のも100回を越える。有田は、山合いの町である。町の形状が登り窯に似ている。町の

中心道路2キロに渡って両側の家々が商品を並べている。通りは観光客で賑わってい

る。

 「陶磁器」という言葉がある。陶器と磁器は全く別ものである。日本には縄文、弥

生から又古窯と呼ばれている渥美・常滑・信楽・備前などは全て粘土をこね、成形し

焼いて出来上がる。

磁器は、陶石などの石を粉砕し粉にしそれを粉ね成形、絵付け焼き上げる。この磁器

は秀吉の朝鮮侵略で陶工を捕虜にして連行した人々がもたらした。この有田の地には

「李参平」が連れて来られ苦労の末、近在に適う石を見つけここから日本の磁器の生

産が始まった。「有田焼」あるいは「伊万里焼」と

して全国ブランドを確立していった。江戸期、有田焼は肥前鍋島藩の官窯として外部

者出入り禁止の御用窯として技術が漏れるのを防止している。そのために商談は港町

伊万里で行われこの港から輸出、

船積みされたことから「伊万里焼」としての名前も広まって行った。ヨーロッパの王

侯貴族はそれまで中国景徳鎮の製品を愛用していたが中国国内が明末清初頭にかけて

内紛で衰微する。その需要がこの有田にもたらされた。かのマリーアントワネットの

愛用品にも入っている。

 連行された朝鮮陶工はここの有田だけではない。薩摩の沈寿官さんの祖も又その内

の一人であり苦労の末今の苗代川の焼き物が出来ている。この経緯は、司馬遼太郎氏

の好短編「故郷忘じがたく候」に詳しい。沈寿官さんは、朴大統領の時代にその故地

を訪れているこの文章は読むと朝鮮民族の一族を思う気持ちが伝わり心を深く動かさ

れる。

 私のお目当ては、この陶器市ではない。ここは100M位歩いて安物のご飯茶碗を2つ

購入して引き揚げた。

 JRの有田駅の正面に小高い山がある。その中腹に「佐賀県立 九州陶磁文化館」が

威容を誇っている。中庭があり誠に立派な箱物である。ここに「柴田コレクション」

が公開されている。実業家の柴田夫妻が生涯をかけて収集したコレクションが寄贈さ

れてこの焼き物の故郷に展示されている。総数16000点余一部は大英博物館にも寄贈さ

れた。ここには有田の全てをみることができる。ただただ「ウーン」と唸るばかりの

名品がある。小さな器に品があり美があり宇宙がある。

同じフロアで「現代九州陶工展」も開催されていた。大きな壷、甕、花入れ。奇抜な

デザインと装飾。しかし、心を動かされるものはなかった。こんな物を家のどこに置

くのか。我が陋屋に置き場所はない。強いて置き場所を探すとなると庭の隅において

水桶にするしかないが庭の静寂を破壊する。

展覧会狙いの奇抜な現代作家と言われる陶工の作品は魅力に乏しいというしかない。

柴田コレクションの手の上に乗る小さな皿には品があり美があり余白に宇宙を感じ

る。これらの作品の陶工名は全て不明である。

 この期間、有田は賑わいをみせるが「深川製磁」も「香蘭社」も元気があるとはい

えない。売れていないのである。有田はもともと高級磁器製品が得意である。

諸事情があるがこの小さな町に早く賑わいが戻ってくることを思い暮れ行く街を後に

した。

江戸参府紀行

 私は、東京に2−3の用事ができ長崎発JAL1842便に乗った。

永六輔氏に「旅はそこの横丁の角を曲がると始まる」という名言がある。これは、異

空間に入ることを意味していると理解している。日常から非日常の世界が旅なのであ

るが乗りなれた路線であるから私にとっては「旅」という感覚はない。窓の下に見え

る海岸線を見ればどの県の上空を飛んでいるか解る。

 フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルトが出島を出て江戸参府の旅に出たの

は、文政9年1826年太陽暦で2月15日のことである。私とほとんど同じ日時に旅立って

いる。明治維新の42年前になる。ジーボルトは、幕府公認のゲストであるから街道

筋の大名はそれなりに気を使っている。浜名湖を渡る船は吉田藩主(豊橋)松平伊豆

守が用だてている。さすがに学者だけあって沿線の様子を克明に記録し

ている。被差別部落の距離が道程の中に算入されていないことまで書いている。A地

点からの距離が次のB地点から始まりそのAB間に被差別部落があるとの記述は驚い

てしまう。途中、名所を見たり訪問客に面会したりとゆったりとした旅であり品川宿

に着いたのは4月10日であった。

 私の乗った飛行機は1時間45分で羽田に滑るように無事着陸した。

東京は経営母体の異なる2種類の「電子マネー・カード」がある。これが便利な優れ

物でJR、各種私鉄、地下鉄、各種バスがこの1枚のカードで済む。駅の売店でも使

用できる。その都度、切符を購入する不便は色々な交通手段で移動する場合解消され

た。又知らない場所は、携帯で目的地を検索し移動手段を検索できる。落ち合う場所

も携帯電話・メールで決める。今回はモバイルPCを開いている人が多く

なったことを確認できた。長崎空港でもフロアに2台設置されている。しかも日本

語、英語、中国語、韓国語の4ケ国語が対応できる。私の隣では若い中国人とおぼし

き女性がメールを打っていた。マックの店内で専用電源の環境を持った店も出来てい

る。

 駅周辺は、格段に綺麗になっている。品川駅などはゴミ1つ落ちていない。これは

全面禁煙の効果が大きい。ゴミはゴミの所へ集まる。綺麗な所を汚す人は多くはな

い。暮れなずむ池袋の西口に立って雑踏を見つめている。この混雑、人の波はバブル

前と変わらない。

カフェは満員、居酒屋も客が詰め掛けている。女性ファッションの店は路上まで客が

あふれている。デパートの1階フロア、世界の代表的ブランドが競っている女性化粧

品の各ブースにはほとんどの席に客がいる。ここのどこに「未曾有の不況」と「高卒

の3割が就業できない」現実があるのか?

過日、みずほ証券の次長と話した内容が過ぎる。「新卒で入社しても地方への辞令が

出ると簡単に辞める」と。私も人生の多くの期間をこの街で過ごした。この都会のブ

ラックホール的な魅力はよく解る。

今、地方長崎にいて東京を見ると人、物、金がこの場所に吸い込まれていく実体がよ

く理解できる。国の政策の無能も大きな因がある。人はどういう生活をして地域・コ

ミュニテイーをどう形成していくかという発想がない。郊外に巨大資本のショッピン

グ・センターができれば商店街が衰微し高齢者の生活が破壊される。強いては街の文

化が衰微してその街伝統の魅力が失せる。若者は出て行く。高齢者の知恵と人生が伝

承されない。

 007の作者、イアン・フレミングは昭和34年に日本を訪れて銀座通りを歩く若

者の眼の輝いていることを記述している。

 私は、帰りの空港で沖縄から働いて金を貯めて安い航空券をインターネットで探し

ホテルもビジネスホテルの低廉な宿を予約して10日間の東京旅行を楽しんだ20歳

の青年3人と親しくなった。彼らの眼は輝き電車がいっぱい来ることに驚いた発言は

新鮮なものがあり言葉使いも正しく気持ちよい時間をもったが池袋の雑踏を歩く若者

には光を感じなかった。

 ジーボルトの参府の目的は、徳川将軍との拝謁が目的であったが私はこれを機会に

先輩、友人、後輩と会いそれぞれ元気が確認できたことは励みになった。又、親は馬

齢を重ねているがしばらくぶりにあった子供達はそれなりに成長が確認できたのは大

きな喜びとなった。


 ◎ 参照「江戸参府紀行」ジーボルト著・斉藤信約・東洋文庫平凡社刊

イメージ 1

 モンスタ−は静かにその巨艦をまだ明けきらぬ長崎の港に姿を現した。

私は、接岸する松ヶ枝埠頭の1キロ手前にある「女神大橋」の橋げたの下で携帯のアン

グルを決めて待っていた。橋の上、歩道、岩礁には多くの人が待っている。TVのクル

ーも放送を開始した。

      15万T・長さ 345M・高さ62M(船底からだと70Mを超える)

      乗客定員2620名・クルー1235名・・・・この船の巨大さを

      戦艦大和 長さ263M・ 米原子力空母ジョージ・ワシントン 長さ3      
      33Mと比較する解る。

 平成22年2月17日午前6時50分。

あたりは、まだ薄暗く陽は完全に届いていない。案内船4隻に先導されて静に滑るよう

に姿を現した。デカイ!。携帯の画面に入りきらない。女神大橋を通過する画像を取っ

たが残念ながら暗いためか鮮明ではない。この写真は埠頭に接岸した後の写真です。並

のデジカメですと100M離れても全体が映りません。辺りは、カメラ好きのフル装備

をした方が大勢それぞれの場所でカメラを構えている。

 去年、この橋の高さ65Mを通過できるか?湾内で方向を反転できるか論議がありま

したが干潮時スレスレで通過出来ました。この船は、過去横浜に入港しています。それ

も、ベイ・ブリッジ(55M)の下は通過できず貨物埠頭への着岸であった。日本へは

これで2回目の入港となります。長崎には、姉妹船の「クイーン・ヴイクトリア 9万

T・長さ294M」は入港しています。数年前ですとこの船が世界最大でした。今では数

隻これより巨大な船があるらしい。

 定期船が通ると大きなうねりが岩礁を洗うがクイーン・メリーはほとんど波が起こら

ない。

それにしても「究極の旅」がこの豪華客船のクルーズといえよう。

以前にも書きましたが阿川弘之氏のエッセイによるとこの船クラスだと「船に居住して

いる客」がいるらしい。世界の金持ちのスケールはデカい。

 先代の「クイーン・メリー号」は、ミステリーにも登場しています。復活したドイツ

Uボートに襲撃されています。たしか早川書房のシリーズで「クイーン・メリー号を襲

撃」といった題名で刊行されていると思います。3組の方にカメラのシャッターを依頼

され多くの方が初めてみる巨艦に感動の声を上げています。もう夕刻6時には、横浜に

向けて出向します。この船の「乗船見学会」を県観光課が45名募集した。落選したの

は悔やまれる。


 ※ 家人が見たNHK12時のNEWSに私の後ろ姿が映っていたらしい。無論、他人   は解らない。

 ※ 平成24年3月20日(月)午前8時2回目の入港、夕刻、上海へ

 九州の観光スポットで今一番人気なのが3年前にできた「九重・夢・大吊橋」では

ないだろうか。

長崎のハウステンボスは、野村證券系のファンドが経営しているがもう倒産寸前であ

り九州の有力企業に支援を仰いでいるが現状で存続するのは極めて難しい。あとは、

湯布院を除けば熊本城の復元された「本丸御殿」くらいしか思い浮ばない。

 九重は、深い山の中にある。紅葉の声に誘われて出かけた。

この橋は、通行のための橋ではない。観光の目玉、町起こしの観光施設であるが長さ

390M、高さ173Mは日本一だそうだ。あいにく雨に霧がかかり橋の全貌はみえ

ない。視界20Mで橋が途中から消えている。気分はインデイー・ジョーンズだ!。

橋の上は横殴りの雨、風も強い。「正なる心のものは、橋を渡れ。邪なる心の者の立

っている橋は消える」この天候でさえも客の列が途切れることはない。

50Mくらい渡ったところで引き返した。自分の正なる心に自信がないことと雨が強

くなった。快晴の時

の素晴らしさを想像するしかない。紅葉はまだ4分といったところだったが大きな自

然に十分満足した。九重の谷間の里は日本の田舎の原風景となる景色がまだある。棚

田に点在する農家、柿の実の紅が風景のなかにある。この渓谷の深い土地まで稲作を

展開している。いかに日本人が稲作に熱心だったのか解る。

 この橋は、総費用20億かかったが予想外の観光客がつめかけて計画より早く費用

は回収できそうである。おかげで町は医療費を18歳まで無料にしているそうだ。今

ではハウステンボスより客は多いのではないか?町起こしの貴重な成功事例となって

いる。観光客は、「管理されたスリルと見事な景観」を500円で楽しめるのが魅力

となっている。


◎ 大分県玖珠郡九重町  人口 11,000名

 ◎ この橋から「死」へのダイブを決行された方・・・累計4名


 ◎ ハウステンボス支援を検討していた福岡主要企業(電力・ガス・JRなど)    は、11月30日
   支援はしないことを表明。

 ◎ 支援を検討していたHISは22年1月28日「支援は厳しい」と管財人に伝える。ホ   テルの補修費が予想以上にかかるのが理由。

 ◎ 2月12日、HISは支援を決定する。但し、3年で予想外の出費がでたら撤退と   いう条件付佐世保市は税金相当額の援助、一部不動産の公有化の援助。
   (私論は、HISは失敗すると思う。ハウステンボスをささえる周辺人口がな   い。子供が行く施設ではない。リピート性に欠ける。中国、シンガポールで大   型レジャー施設がオープンするので難しい)


 

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