オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

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 豪華客船・世界最大「クイーン・メリー2世号」

 全長・345M (参考・戦艦大和263M・米原子力空母ジョージ・ワシントン333M)

 総トン数・148528トン 船籍 イギリス

 乗客数 2620名 クルー 1235名

 来年2月、長崎へ来航か?・・・・・問題は、港に架かっている女神大橋65Mと船の高さ63M、
                  湾内で向きを変えられるか?

 動く迎賓館だそうです。長崎の来航をお待ちしています。歓迎歓迎歓迎!!!


 決定!!・・・・平成22年2月17日に来航、決定です。!来年のご報告をお楽しみに!!

五島・福江島西方紀行

 私達家族にとって、五島、福江は思い出の島である。

ほぼ20年ぶりの再訪であった。長崎からの海路は、九州商船のジェット・フォイル

「ペガサス」の就航で短縮され1時間40分で着く。昔はフェリーで4時間以上かか

ったのではないか。

船着き場は、近代的ビルに変わり景観は一新されたが福江の商店街は時が止まってい

る。内地の地方都市みたいに郊外に大型ショッピング施設の開店と同時に寂れてはい

ないが元気がなく、人通りが少ない。今は島全体が五島市に変わり人口43000人

くらいでは内地資本が進出する余地はない。人口減が島の将来を決める。この町が江

戸期、五島氏の城下町であったことはしられていない。城は海が外堀であり海城の面

影を残す景観はここだけではないか。内堀に蓮の大輪を見つけた。石垣、楠の大木の

緑によく合い薄い桃色はどこまでも優雅で気品にみちた花だ。道路はよく整備されて

いた。堂崎の教会は、昔は県道から入っていく道は怖いくらい細く舗装されていなか

ったが専用駐車場まで安心して行けるようになり不釣合いの立派な公衆トイレまで造

られていた。五島の重い歴史は、隠れキリシタンの歴史である。

江戸期初頭の内地からの逃亡避難居住と明治政府の迫害・拷問からの避難とに別れ

る。知れば知るほど苦難、流浪の道に思いは募る。堂崎もそうであるが隠れの里はど

こも、よくここで生活できたものだと考えてしまうような場所である。人目を避ける

場所だと当然こういうところになるが米は取れない。主食は甘薯になる。

 五島列島は歴史の一時期、あの海賊、倭寇の棲家であった中国をこまらせ日本に強

い取り締まりを求めてきている。東・南シナ海を縦横に暴れまくった。この五島には

その頭目が居住していた。島の周回道路は海岸にそって走っているのでこの島の景

観、自然の脅威がよく解る。入江が多くまるで波がない。日によって無論ことなると

思うが私達が訪れた日は海面は穏やかそのもの琵琶湖の方がまだ波があると思うくら

い静であった。ここは海、入江だと頭に認識させないといけないほど錯覚を起す。

またその入江が深く複雑に曲がり出口が他所者にはわかりずらい。いったんここに逃

げ込めばつかまらない。逃亡者、海賊にはもってこいの場所になる。島の最北の地に

遣唐使の碑がある。空海の言葉「辞本崖」と刻まれた碑が海岸に立っている。ここは

遣唐使が最後に休息、補給する場所で最果ての日本の地をさるという意味である。こ

こから中国まではいよいよ荒海の中をいく。遣唐使が無事中国へ渡るのは

五分五分といっていい。空海ののった船も難破している。この碑から命を落とす思

い、覚悟が伝わってくる。

 周回道路から見える農村地帯には、廃屋、草木に覆われた畑が目立つ。この家に人

生があり、夢、と希望があったはずである。廃屋に貼られた今度の選挙の候補者のポ

スターがどうしても眼に入る。一面では、政治家がこの家を廃屋にし、畑を草木でみ

えなくしているのと同じである。三井楽町の手前に県下初めての離島の「道の駅」が

ある。施設は立派であるがほとんど電気が点いていない。売店に1人いるだけで物音

がしない。もう出来て間がないこの施設が重荷になっているのが解る。ここもその内

に税金の乱用とも言える不正支出の館が廃屋の運命を待っている。

海は澄み数えたら5色のブルーがあった。景観は美しいが人がいない。大浜海水浴場

は全国トップクラスの美しい場所であるが人がいない。私達だけがコバルトの海と砂

浜にいた。空もブルー一色。

 三井楽町のある島の北西部は、冬場の猛烈な東シナ海から吹き付ける風が強い。

そのためか平屋が多く、家の周囲は自然石の石垣で囲っている。畑の周囲も潅木を廻

らしている。自然との生活がよくわかる地域となっている。集落の高台には、教会が

建っている。ある教会に併設されている墓地に入った。未だ金粉が輝きを持っている

石碑には一族の苦難の歴史が刻まれていた。

 この平穏な島の住民が平和で豊かに暮らせる政治は、今、全国の津々浦々で起こって
いることと同じ衰退で地方の首長の出来る範囲を超えているが国の政治は未だ無能で

答えていない。福江島再訪は、家族のセンチメンタル・ジャニーの他に地方の衰微し

た状態とその再建に残された時間はあまり多くは残っていないのがよく解った旅でし

た。

京都物語

 京都が好きでもう20回は行っている。

帰宅すると、あそこへ寄ればよかったと反省する。池波正太郎氏は「まだ、江戸が残

っている」といって足繁く通っていたのはたしか昭和30年の終わりから40年代の

頃か?。その成果が一連の「鬼平シリーズ」にいかされている。京都めぐりはできる

だけ歩く。それこそ路地からなにが出てくるかわからない楽しみがある。次の話は、

私の創作ではない。どの本に出ていたのか記憶不明となってしまった。

いかにも「京都らしい」私の好きな小話である。

 ある中年の紳士が出張の仕事が無事終わり、京都の夜を楽しみに歩いている。

ある小粋な小料理屋に入る。「おいでやす」おかみの声がかかる。室内は思った以上

に広く、天井が高くゆったりとしている。柱は時代があり黒く磨かれ光沢をもってい

る。金具の付いた箪笥の上には象嵌のほどこされている鐙に容器を乗せ花が活けてあ

る。紳士はカウンターに座り酒を注文する。辛口の酒が咽喉を通り胃の中へ染みこん

でいく。おかみに話しかける。「この建物は何時頃のものですか?」「大したことあ

らしません。一度戦争で焼けていますから」紳士は歴史が好きである。彼は考える。

「おかしいなあー、京都は先の太平洋戦争では攻撃を免れている。・・・・あっそう

か!この場所だったら蛤御門の変・禁門の変で火災にあっていてもおかしくはない。

なるほど、おかみのいうのはそういうことか。」紳士は納得し盃を傾けた。

紳士はおもむろに口を開いた。「そうですか。禁門の変で焼けていますか。この辺り

ですとそうですね」

それを聞いておかみは、笑みを浮かべながら「いいえ。応仁の乱どすえ」

紳士「×〆∞§§・・・・・∀∀∀Ω?????」
                        

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