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今朝17日午前8時の段階でお亡くなりになった方々は41名となった。
前途ある若い方もいる。自然の前に人智の無力さを思いご冥福を祈らずにはおられない。
昨日、11時過ぎだったろうか散歩から帰る途中、長崎市の緊急防災スピーカーが
「大地震です。大地震です。」と放送を始めた。急いで帰宅してTVをつけたらその気配
がない。どうも緊急地震速報が流れそれに基づいて放送を始めたが地震速報そのもが
間違っていたらしい。それにしても「大地震です。大地震です。」の放送は無論初めて、
聞いたことがない。尋常なことではない。
私の地震体験の身近な例は、「奥尻島地震」の時は札幌にいてマンションが揺れた。
それでもたしか震度4だったと思う。「阪神淡路」「東日本大地震」では遠隔地にいて
揺れは体感していない。死んだ母は、戦争中「三河地震」に遭遇し3日3晩、裏の
竹藪の中で寝泊りしたと度々聞いている。この地震は、戦時下強い情報統制が引かれ
被害の実態が判明したのは戦後のことであった。無論、援助物資などは来る訳はなく
自力で立ち上がるほかはなかった。
熊本の地震では、当地は震度5弱と出た。未体験ゾーンである。最初にドカーンと来て
その後も長い揺れがあった。収まったと思ったら度々の余震で恐れが増幅していったが
懐中電灯を手に持つ位で今思えば動作は実に緩慢そのものといえる。地震の備えは
何もしていない。せいぜい飲料水のボトルが6本。防災グッズらしきものも
ない。私の寝ている部屋は、本の山であるから恐い。今回は書棚の上に飾ってある
青銅製の小仏がフトンの上に落ちたことくらいで助かった。これが頭、直撃だったら
間違いなく負傷者1名に入る。今もPCの画面上に地震の注意情報が流れている。
今朝から間断なく流れている。布施明が♪シクラメンほどすがしいものはない♪と歌った
1975年に新幹線は博多まで開通した。今は鹿児島まで延伸したがこの地震で脱線し
動いていない。
それにしても気象庁の発表、TVに登場する地震学者、識者の見解ほど
白々しいものはない。「地震予知連絡会」という組織があるそうだ。予知とは「前もって
知ること」と手元の高価な大辞典に書いてあるがこの学問のレベルは「前もって知らせる
もの」は何も現段階ではない。せいぜい断層の解説くらいであろう。それも皮肉を込めて
書けば、
地震学者 見てきたような嘘を言う
といいたくなる。断層も2,000余あるというが確認できていない断層は多分無数に
あるといえよう。私は、以前このブログで「狭い日本どこに住む?」と書いたが
観光で旅する風光明媚な場所は押しなべて「危険地帯」といえる。「天災は忘れたころ
にやってくる」といってもそうそう災害・防災ばかり考えてはおられない。それほど閑で
もない。形あるものなは無くなる。あるいはお釈迦さんの教えのように「人は存在自体が
無意味」という悟りかはたまた諦観を持つしかない。
建物は、熊本城、阿蘇神社といえども再建することができる。
再建できないものは、わが子を無くした方、親を無くした方の心の傷である。
災害の度に悲しみが増えるが私が出来るのは「朝が来ない夜はない」という月並みな
言葉しか思い浮かばない。とにかく悲痛に耐えて「生きる」選択に踏み出して欲しい
と思うばかりです。
個人的には、この地震の原因は、古代、九州の3分2は「阿蘇山」が形成した、
阿蘇に住む神々に断りなく原発を造りいち早く稼動せた「怒り」「警鐘」であると解釈し
て友人、知人に言いふらしている。再度のメルト・ダウン、原発爆発だけは困る。
※ 震源、川内原発から80キロまで南下。
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