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このところ原 節子の情報が全く途絶えた。
何年か前までは、鎌倉の自宅近くを散歩するお姿とかいう写真が週刊誌にのった。原
節子は、私の世代より上の世代であるから私は戦後の映画を何本か見ているだけ
だ。それでも最高の美女は?と問われれば原 節子の名前を上げる。彼女の形容には
いつも気品と上品がつく。この2つの形容がついて美女というのは多いようで少な
い。映画スターに憧れるのは「虚像」に対してである。TVが登場するまで
は映画スターの情報はそれこそ映画の中か僅かの関係誌とラジオの耳だけであった。
銀幕のスターに今はなり得ない時代となった。すぐにTVで実像がさらされる。デビ
ュー前は、吉野家の牛丼屋でバイトしていたとか秋葉原のキャバクラにもいたという
情報が流れてはアイドルにはなりえてもスターは成立しない。昭和30年代までは
「銀幕のスター」という格別な存在の女優がいた。それが原 節子を代表とする
スターの一団がそれこそ輝いていたのだ。
この方は1962年に引退して公には翌年の1963年の小津安二郎監督の葬儀に
出たのが最後である。彼女は、「女優・銀幕のスター原 節子」をお辞めになられ
た。しかし、観客、ファンには「原 節子」を残した。又残すためにお辞めになられ
たかとも思う。銀幕のスターは当然、色々な伝説が造られる。この方の年齢は書きた
くない。
数年前に古本市場に小津安二郎監督が自著を原 節子に贈呈した「献呈署名本」が売
りに出された。本には原 節子様 小津安二郎と署名してある。倉本 聡氏が田中
絹代の晩年をエッセイにしているがそれによると大女優としては寂しい姿が描きださ
れている。彼女が生活していた部屋の風景はそれこそ寒々としたという言葉が似合
う。「原 節子」というそれこそ人間をはるかに超えた規格の人は我々には「伝説」
の中に存在している。自在な晩年をお過ごしになっているに違いないのだ。
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