オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

長崎物語

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長崎市中散策

 自動車運転免許証の5年目の更改で街に出かけた。

手数料3250円、未だ長崎は、即日交付ではない。東京郊外のある市は、もう10年前か

らその場で交付される。ここは、1ケ月後に再度とりにいかなくてはいけない。前回、

写真を用意していなくて警察署内で撮影したら4枚1000円徴収されたので、その場の女

性吏員に「1枚しか使用しなくて4枚1000円は高い。民間だと500円だ。上に話しを通し

てくれ」と話したら、衝立の陰から中年の男が出てきて声高に「4枚1000円ということ

は1枚250円だ!」というので「そんな案内がどこにしてある。1000円としか書いて

いないではないか?」と一喝したら、「今回は、写真代はいいです」と来た。いい加

減な話しである。

民間の倍の値段を設定して平気な神経がわからない。これに懲りたので今回は用意し

ていった。手数料の3250円は、隣の窓口で県証紙を購入。前回この領収書の発行人が

たしか「警察職員友の会」となっていたが今回は「社・長崎地区交通安全協会」とな

っている。窓口で交通安全協会に入会を勧められが老犬のお巡りさんのエサ代になる

だけだから無論断る。県のこの組織の会計実体は収入の70%前後は警察OBの再就

職の人件費に消えると考えてまちがいない。BSは請求すれば公開されるのだろう

か?一度みてみたいものだ。

 長崎散策で気持ちのいい場所は、中島川を川沿いに遡るのがいい。眼鏡橋が有名で

あるがそれに劣らない色々な橋が架かっている。橋の表情を眺めるのもいい。この沿

線は長崎でも古い街であるから川沿いの商店は老舗の専門店が多い。その店のショウ

ウインドウを眺めるのもいい。骨董屋をひやかすのもいい。今は、「紫陽花まつり」

が開催されているので眼鏡橋周辺は多種の紫陽花がその彩りを競っている。いつもの

カフェに入り、本屋、古本屋に入る。

 家人に頼まれた「栗本尊子・愛と祈り・CD」を購入して家路に着いた。

長崎紫陽花まつり

 紫陽花(あじさい)は、長崎の「市花」である。

5月23日から6月13日まで「紫陽花まつり」が開催されて観光スポットには10種類4000株の紫陽花が

並ぶ、中島川の眼鏡橋周辺は、雨の長崎と紫陽花を見ながら散策するのもいい。

 紫陽花は、学名「おたくさ」という。この名前はオランダ商館医シーボルトがつけている。それも

愛妾「お滝」にちなんで命名されている。高名な植物学者牧野富三郎博士は、後年、「妾の名前をつける

とはけしからん」と怒っている。シーボルトはこの紫陽花をオランダに持ち帰ったために今でもヨーロッ

パの現存する紫陽花にDNAを同一とする花が多い。

 家人は、7月の札幌で友人のMSの玄関先に活けていた紫陽花の花を見て「ギョッとした」と度々

表現する。家人の頭に日本の広さが当時はまだ刷り込まれていなかった。

 庭の紫陽花は、陽があたらないことと去年思いきり株を短く根本から30cmに切ったせいで未だ

蕾である。紫陽花は、何も手をいれなくても成長し見事な花をつける。

竜馬像・長崎丸山公園

 NHKの大河ドラマの影響で「竜馬ブーム」が続いている。

本屋には、「竜馬関係本」が特設コーナーに山積みとなっている。長崎市も観光客の増加を狙い2つ目の

「竜馬像」を建立した。

 過日、快晴の天候に誘われ市中散策の折りに見てきた。場所は、丸山公園の中にある。この場所は、

江戸期3大遊郭といわれた丸山遊郭のあった場所である。老舗、カステラの福砂屋の前を通り、元の遊郭

の入り口には今交番がある。その公園の入り口付近に立っていた。余り大きくはない。

 長崎の竜馬像は、風頭の山の中腹にある像が有名であるが市内散策の便利な場所であり竜馬も来たで

あろうと思われる丸山遊郭の場所に立てた。以外に思ったことは差している刀が太いことである。

これではまるで丸太ん棒のようである。見る人は、像を見上げるのでわざとデデフォルメしているのかと

思うがこれではまともに歩けない。作者は、刀をご存知ないと見える。こんなに太ければ差して歩け

ない。像は写実である。写実であるとしたら実物に近いサイズにして製作しないと違和感となる。

 竜馬は、明治を見ることなく刃に倒れた。彼の師ともいうべき勝海舟は貴族に列せられ長生きして

いる。西郷、大久保は敵対しそれぞれ道半ばで死んでいる。竜馬が生き長らえたら明治はどうなったか

は興味があるが想像しても意味がない。ここの三菱造船は竜馬が旗揚げした海援隊と縁がある。

長崎は今でも竜馬の遺産でメシを食べている。

 

枇杷・ビワ

 枇杷は、長崎が誇る果物です。「茂木枇杷」はそのブランドとして銀座「千匹屋」新宿「高野」に

並ぶ。この両店の店頭に並ぶのが「一流果物」であるといっていい。生産者はこの店先に並べる

目標で意欲を持ってやっている。「茂木枇杷」の中でも選別されるからほんの少量であり各地の果物の

生産者も同じである。

 その茂木枇杷の初物を買った。8個入り250円無論1級品とはいいがたいが東京価格はこの3倍はする。

今はハウス物である。これから露地栽培のものが出回るようになればもっと安くなる。1パック150円

で買える。生産地の幸福である。当地の郵便局は特産商品で郵送し、運送会社も忙しくなる。各家庭は

東京、大阪へ出ている息子、娘、孫の家に送る。

 今の枇杷は、大きい卵大の1級品がある。家庭で食するのは、傷があったり形が悪かったりしたもので

あるが味は変わらない。枇杷の歴史は古く古代には中国から入っている。遺跡からこの種がでることも

ある。今年はいくつ食べるだろうか

 長崎には、江戸期、出島を通じて日本でここだけにヨーロッパの光源が届いた。

その光は、遠眼がねの先にあるかすかな光源であったが光に照らしだされた文物を通じて江戸幕藩体制の

揺らぎを起こし幕末の動乱、維新と歴史は続いていくことになる。そのために日本で最初に伝来した文物

が多い。街を歩けば長崎市が建造したその記念碑や石碑を見かけることになる。この項は自分の勉強をか

ねて散策の折りに見かけた石碑、記念碑をメモしていこうと思います。今日は、その1回目として次の

2つを書きたいと思います。


 1・仲町カトリック教会

   フランス人女性の寄付で明治24年に着工し明治30年9月に完成した。この時にここから

   程近い西坂で殉教した26聖人の300年記念式が執り行われた。爆心地から2600Mの距離

   にありあの原爆で十字架のある尖塔と外壁を残して破壊されました。今は綺麗に再建されて

   見学できます。この記念碑は教会正門横に1998年に長崎市が設置したプレートがある。長崎駅

   から5分の距離にあり蛍茶屋行きの電車路線の1本南側にある。


 2・大村藩屋敷跡石碑

   この石碑は、仲町カトリック教会の前歩道の一角にある。

   ここには教会ができる前には大村藩の出先機関の屋敷があった。長崎は幕府直轄領になる前には

   大村藩の所領であった。その後も長崎港の警備を担当しこの屋敷には大勢の大村藩士の出入り

   があった。大村藩にとっては警護と情報収集の場所である。この石碑は昭和56年3月に長崎市

   が建造している。

 3・銅座跡石碑

   この石碑は、電車通りをはさんでアーケードの観光通入り口の反対側10M先の路上横にある。

   ロータリークラブが昭和47年6月に建立している。今の長崎市銅座町の由来となった場所である。

   享保12年・1725年に銅代物替貿易用の棹銅を鋳造するための銅吹所が設置されたことから銅座と

   称された。敷地1728坪、棹銅は大阪銅座で精錬され長崎に搬送されたが長崎の銅座でも棹銅は

   精錬された。棹銅はおおよそ直径2センチ、長さ70センチ位元文年間1738年に廃止されると以後

   は銅座跡と呼ばれた。(総町外)。文化5年1808年の長崎市市中明細張には、坪数3137坪、

   くど数218件、人家221軒、人口524人の記載がある。(22年3月27日調査)


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