オランダ坂から

はかなさは花月の門につるしたる金燈籠の灯より来るらし 勇

杉浦明平記念文学館

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 杉浦明平作品で映画化されたものTVドラマ化されたもの又制作に深く関わった作品は以下の

 通りです。


 1・「台風騒動記」松竹、昭和31年12月19日封切り。

  この映画の原作は「台風13号始末記」昭和30年岩波新書刊です。監督は、山本薩夫・音楽・芥川

  也寸志、まどかグループ・山本プロ 出演 佐田啓二 菅原謙二 佐野周二 野添ひとみ 

  108分、白黒 この映画で佐田啓二は、ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞している。

  (1992頃、松竹から家庭用ビデオ版が3800円で発売)

 2・「人間みな兄弟ー部落差別の記録」昭和35年 

  原案・脚本 杉浦明平 監督 亀井文夫 解説 宮田輝製作 日本ドキュメントフイルム 白黒60

  分 16ミリ (ブルーリボン賞 毎日映画コンクール受賞作品)

 3・「TVドラマ 町会議員1年生」脚本・杉浦明平 昭和35年10月12日21時ー21時45分

  日立劇場 JNN系列 出演 フランキー堺 田中筆子 殿山泰司 他

  (これは昭和32年に刊行された同名の作品が原作です)

 4・「赤い水」昭和38年 大映 監督 山本薩夫

   出演 伊藤雄之助 森光子 若山富三郎 船越英二 川崎敬三 宇野重吉 本郷功次郎 他

  (これは昭和37年に刊行された同名作品が原作となります)

 5・「TVドラマ・おとぼけ台風」昭和39年9月12日 21時30分ー22時30分

   日産スター劇場 NTV系列 三木のり平 藤村有弘 他

 6・「TVドラマ・温泉和尚」昭和43年5月4日 NTV 日産スター劇場

   演出 野崎元晴 出演 伴淳三郎 根岸明美 香山美子 長谷川明男 吉田義夫

   (本作の原作は、赤い水)


      監督山本薩夫は、日本を代表する監督の1人、白い巨塔 華麗なる一族 戦争と人間など

     大作が多い。杉浦明平は「山本薩夫のこと」というエッセイの中で

     「日本の大衆のもっている古さをつき破って新しい力に変えることは芸術のもっとも

     大切な仕事の1つだ。がその適任者はどこの世界にもあまりにも少ない。薩ちゃんは

     その稀有な素質をもっている1人である」と書いている。

     甥に、山本圭 山本亘 がいる。

 2008年の7月、古書業界最大のイベント明治古典会七夕市に杉浦明平が立原道造に贈

呈した「手書き私製本・少年歌集・1931」と道造宛て書簡19通が出品され話題に

なった。これは2002年3月に立原道造記念館で公開されたものと同じ物である。

 2人は、旧制一高時代の昭和6年、短歌会で出会う。杉浦18歳、立原17歳であ

った。以来、同人誌「未成年」を発行し急速に交遊を深める。立原は長身で東京育ち

辛党の杉浦と酒が飲めない立原、正統なアララギ系の歌を目指していた杉浦、自由律

の立原。二人は立場こそことなるが青春の多感な時期に涙を流して喧嘩しながらも文

学を語り、人生を恋愛を語っている。編集発行人だった杉浦が帰郷中、立原が特高に

呼び出される。時代は「暗い夜」に入っていく。立原は、解っているだけでも

杉浦に85通の書簡を出し、この2人の歌、書簡から当時の青春の群像が見えて来

る。渥美・折立は

杉浦文学の生地であり、かの地に立原は杉浦を訪ねて2度来遊し彼の作品にも登場する。・・・喜ぶことだけが出来たで始まる「折立 SMにー」や「夏秋表」などが有名

であり立原は、杉浦の別宅で病気療養を兼ねて3度目の来遊を計画していたが長崎旅

行中に喀血し24歳という若さで生涯を閉じた。

永遠の青春叙情詩人として今でも多くのファンを持つ。杉浦は、立原の死後、遺品を

整理し彼の全集の発行に関わり立原の詩人としての存在を世に出すことに貢献してい

る。杉浦は、立原の日本浪漫派への接近を非難し「立原道造・進歩性と反動性」を発

表(昭和22年4月執筆、南北復刊号12月発表、昭和26年、暗い夜の記念に、に所収)す

るが立原の一番の理解者は杉浦明平である。

晩年に「今になって本当の天才はいるもんだ。・・・日本浪漫派のことでやりあった

のですが、神様がああいう1人の本当の詩人をわたし達に授けてくれて、そういう立

原道造と識り合えたことは、非常に今でも仕合せだった」と回想している。

 渥美・折立海岸は、杉浦文学生誕の地であるばかりでなく、夭折した天才叙情詩人

立原道造にとっても脳裏に刻まれた記念の土地でもある。この地を車窓から眺めると

き、この両名の青春交遊物語に思いを馳せると彼らの青春像から学び得るものはとて

も大きいと実感をする。


    折立  S・Mにー         立原道造


 喜ぶことが出来た一ときの夜のあかりに、お前の揺れた顔は白く消えて行った。

 そのあとまた躊らって帰って来たが、あれは何であったろう。

 ときどき深い所から聞馴れた音楽が耳に幾度もつぶやいた。僕は身をやさしく任

 せ、諦めた。

 おそらくいちばん美しかった日々のために。僕の長い行末のやめに。

 嘗て、夏へ、それからの思い出へ、あの静かな海の上のたそがれを捧げた。あの日

にお前と僕は失われたと。    (岩波文庫 立原道造詩集 杉浦明平編)
 

 昭和16年、太平洋戦争が始まり28歳の杉浦明平(東大国文)は紹介で日本出版文

化協会に入社する。

もう内務省特高課、陸軍などの検閲により自由に出版できる環境ではない。「書評」と

いう雑誌の編集長という名目であったが雑誌は陽の目をみることはなかった。そこに、

総務課長で古賀英正(後の南条範夫・東大法・経)神田隆(東大仏文)柴田錬三郎(慶

応大)などがいて知り合う。神田は5歳ほど若く東大時代には接点はない。戦後、杉浦

の毎月1−2度の上京時には野間宏などど飲んでいた。この辺のことは杉浦の著書「明

平、歌と人に逢う」筑摩書房刊にくわしい。まともな就職先などない時代である。

そこで、神田は人づてでの松竹からの誘いをメンバーと相談し決心をする。東大仏文卒

の俳優、神田隆が誕生する。

 神田は二枚目であるが晩年には、「黒幕」「政治家」「ヤクザの親分」などの役を多

くこなしている。

残念なことに68歳の若さで京都駅エレベーターで転倒しそのまま息を引き取った。渥

美折立の明平の自宅にも遊びに来ている。神田がこの時期の交友記でも残していてくれ

たら貴重な資料となったが惜しまれる。

(柴田の青春無頼帖を読み返してみたら杉浦とは面接の待合室であい、杉浦、柴田

 、神田と松竹の城戸四郎と会食したときに神田がーどうですか、君は、俳優になって

  みませんかーとすすめられ杉浦がいいじゃないか、やれやれとそそのかしたとあ   
  る。月給300円、協会でもらう3倍でありと書いている。)


 (杉浦著・芸術と人生の環・の中に「スターをつくる話」・桃源郷の夢・の中に「柴  
   田錬三郎のこと」収録。柴田は自著「わが青春無頼帖」がある。)

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