命のデモ行進

現代社会を改善する非暴力直接行動とは!

夜明けカフェ ㉑

夜明けカフェ ㉑

「こんなもん捨てちまえって、あの頃俺は何度も思ったもんさ。」 ギターから目を背けるかのように愛想なくヤイチロに突っ返しながらツネオは言った。
「今日はうらみごとだけは決して言うまいって。そう思ってここに来たんだけど、そんなもの見せられちゃ…」 短い沈黙の後ツネオは言葉を続けた。
「兄ちゃんはさあ、捨てられた俺達の気持ち、少しぐらい考えたことあんのかよ」
「捨てたなんて…。俺はただ音楽を」
「形はどうあれ」 ツネオは語気を強めた。
「兄ちゃんは俺達を捨てたんだよ!夜に母さんと二人で父さんが帰ってくるのを待ちながら、のん気にギターなんか弾く気持ちになれると思うかい?」
ツネオはじっとヤイチロを見据える。

二人を前に、エイジロの心には古い情景が鋭い痛みを伴って蘇った。
仕事を終えエイジロが帰宅すると、ケイコもツネオも努めて陽気にふるまうのだった。
それは家族の真ん中に穿たれた風穴をなんとか取り繕おうとする演技だった。男の意地と父親の面目から、エイジロはその演技を受け入れた。
それから数年の間、家族、少なくともエイジロのいる前では、ヤイチロが話題にのぼることはなかった。

ヤイチロが家を出た春、ツネオは中学三年だった。風貌から子供っぽさが抜けていくにつれ、生来のほがらかさ(それは時に頼りない弱々しさにも見えたが)も徐々に消え失せ、それと反比例するかのように学力が向上していった。
ツネオはエイジロにとって理想の息子だった。いや、理想の息子であろうと本人が強く意志した結果だったのかもしれない。
やがてツネオは、かつてヤイチロが在学した地元の進学校に合格し、在学中の成績も申し分なかった。
しかし、一度手放してしまった生来のほがらかさが、戻ることはなかった。
ヤイチロのでき事が、ツネオの心に今もなお濃い影を投げかけているという印象が、ふとした拍子に表出することがあったが、父も子もそれを口に出すことはなかった。

「あれから25年」 ツネオは尚も言葉を続けた。
「俺はもう、あの頃の父さんと大して変らない年になったよ。そんなになるまでなぜ連絡してくれなかったんだい。電話の一本、手紙の一通ぐらいなぜくれなかったんだ?」
ツネオの問いにヤイチロは観念したかのようにふーっと息を大きく吐いて答え始めた。
「俺だって幾度連絡しようと思ったか知れないさ。でもできなかった。一度でも電話で声を聞こうものなら、俺の中の何かが崩れ落ちそうな気がしてさ。俺はここまで決して順風満帆で生きてきた訳じゃない。昔はずい分すさんでたし、人に言えないようなこともして来た。その頃の話を今ここでするつもりはないし、思い出したくもない」
「それじゃなんで今頃になってノコノコ出てきたりしたんだ!」 ツネオの声にはいらだちとも怒りともとれる調子がみなぎっていた。
「おねえちゃん泣かないで」 ふり返ると、両手で顔を覆い、うつ向き座り込むヨシカの横で、心もとなげにモトノが肩をさすっている。
その隣ではマナムが泣きじゃくっていた。
「あなた、もうやめて」 マナムを抱き寄せながら妻が言った。
「ミヨコ、俺は別に起ってる訳じゃないんだ。ただ、いまはっきりさせないと、心のもやもやがどうしても消えてくれないんだ。」
「ヤイチロを呼んだのは私なの」それまで静観していたケイコが進み出て言った。
「だからこれ以上ヤイチロを責めるのはやめて」
「それじゃ母さんは兄貴の居場所をずっと前から知ってたのかい?」
「ずっと前ではないわ。5年程前…」
「その話は俺がするよ。立ち話もなんだから、まあ座んな」
ヤイチロはあぐら座に座り、ギターを背中のほうに押しやると、ゆっくりと話し始めた。
5年程前、とある飲み屋で歌っていると、歌の内容が気に入らないと酔った客にからまれ、それがきっかけで派手な乱闘騒ぎに巻き込まれてしまう。
ヤイチロは乱闘には加わらなったものの、疑いを持たれ警察に留置されてしまい、身元を明かさなったため、なかなか解放してもらえなかった。
それでも警察は身元をつきとめ、ケイコが身元引受人として呼ばれた。
それ以来数ヶ月ごとに連絡をとり合っているのだと言う。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんだ?」 ツネオは母に問うた。
「だって、あの頃のあなたときたら忙しそうで、そんな面倒なことに関ってられないって…。そんな態度だったじゃない。まるで…」 母親の目も赤く
潤んでいた。
「昔のエイジロさんみたいに」 その言葉に撃たれたように、ツネオの体から力が脱けていく。
空ろなまなざしは宙を漂い、背後にいる父親のもとにたどり着いた。やがてツネオは憑きものがとれたかのように我に帰ると、ふっと小さな笑みを浮べて言った。
「時々俺は、この世界が誰かの質の悪いジョークに踊らされてるような気がしてならないんだ」
ポケットからハンカチを取り出すと、ツネオは母親の涙をそっと拭った。
「端から見れば、俺は人生の勝者だ。一流企業に就職し、役職もあれば妻も子供たちもいる。だけど…」 ツネオの目は開かれた両方の手の平を見つめていた。
「だけど、俺のこの手は何も持っちゃいない。何の因果か、俺は今、あの時の父さんと同じ部所の同じ役職にいる。だから、あの頃の父さんの気持ちがよく判るんだ。」
ツネオがエイジロの心を察するように、エイジロにも今ツネオの心を重たく覆っているものの正体が判るのだった。
それはこの社会が、時代がそこに生きるそれぞれの構成員に課した呪縛だった。
それは時に容赦なく人の心から自由への意志をむしり取ってしまう。今エイジロは痛切に理解した。
数年前病に倒れ生死の境をさ迷った時、俺はその呪縛を俺とはもはや無縁のものとして、脇へ押しやり、直視することを避けた。
だがそれは俺を解放した訳でも無縁となった訳でもなかった。俺はただ自分の痛みを自分で背負い込むのをやめ、目に見えないどこかの誰かに丸投げしたに過ぎないのだ。
そして今、その災禍が我が息子の心を縛っている。寝ぼけている場合じゃないのだ。はっきりと目を開けて、現実を直視しなければ。
エイジロの右手の拳に古い痛みの記憶が戻ってきた。それは、25年前、ヤイチロを打ち据えた手の痛みだった。
ああ、もしも今あの時に戻れたなら、俺は笑って息子を見送るだろう。がんばれって肩をたたいて送り出すだろう。俺はなんてバカだったんだ。
思わずエイジロは歩み寄った。対座する二人の息子のもとに。うなだれるツネオの肩に、そして所在なく髪をかきむしるヤイチロの肩に、無性に手を添えてやりたくなった。
だがしかし、エ イジロより一瞬速く、ツネオの肩にすがる者があった。ヨシカだった。
「お父さんごめんなさい。私もうギター弾きたいなんて言わないから!いい子になる、勉強もちゃんとする。」
「ヨシカ…」 ツネオは泣きじゃくる娘の背中を撫でさすった。
「お父さんごめんなさい!」 続いてモトノとマナムがツネオの首に抱き付いた。
「あたしもいい子にする」 とモトノが言う。
「ぼくもっ…うぐっ…いい子にする」 しゃくり上げながらマナムが言う。
三人の子供達は泣きながら繰り返しごめんなさいと言い続けた。

その時、玄関の明かり取りの窓から青白い光が差し込んだ。雲の切れ間から月が顔を出したのだ。ヤイチロはギターを持ち歌い出した。
♪ Hey jude, dont make it bad. Take a sad song and make it better. ♪
 (ヘイジュード 元気を出せよ、さえない歌でも気持ち次第でよくなるのさ)
ひとしきり歌い終えると、ヤイチロは手のひらでぐぐっと目元を拭った。
「昔はこのギターでよくこの歌を歌ったな。ツネオ。お前はたいしたもんさ。こんなにイイ子を3人もこの世にヒリ出したんだからな。だれよりもイイもん持ってるじゃんかよ」
そう言ってヤイチロは天の邪悪な笑いをふふっと笑った。
「わおおーん」 向いの家から犬の鳴き声がした。騒がしさにコータローが目を醒ましたのだ。
エイジロとケイコは潤んだ目を拭いながら微笑み合った。

つづく…

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