命のデモ行進

現代社会を改善する非暴力直接行動とは!

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私に記事にトラックバックを付けてくださった方がいらっしゃいます。↓

おしなべて「それガイシュツでつ」的な。
http://t2sy8u.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-6a92.html

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菊池誠は科学者か?①
http://blogs.yahoo.co.jp/iraku3202/597357.html

基本的にこの方の意見は、菊池誠に代表される「水からの伝言」否定キャンペーンに同調したものになっており、「科学が支持するものだけが正しく、それと矛盾するものは間違えである」という信念のもとに主張されているものです。
この方が私の主張に異議を唱えている部分に、それぞれ回答していきます。


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よくも放映したべ〜。NHK。両論併記もへったくれもね〜よな〜。
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この辺はよく「悪しき相対主義」と表現される論法。100%否定されない限り同列に扱うべし、というのは、およそ全てのものを同列に扱うべし、と言っていることとおんなじ。
要するに「地球が丸いって言いたいなら、地球が平らだって説があることにも言及しろっ!それが両論併記だろ!」的なご主張になってます。

まずここでは、「水からの伝言」を全面否定する菊池誠らの主張が、「地球が丸い」といった類の反対意見の余地がない既成事実と、同列で考えられるほど確定的なことなのか?ということが問題になるでしょう。
「水からの伝言」などの学究を否定し攻撃する活動を、私は「ニセ科学キャンペーン」と呼んでいますが、果たして彼らがどれほど明確な主張を持って、対象の学究をニセ科学と判定しているのか、菊池誠本人に実際に伺ったり、彼らの書籍などを読んで確かめてみたことがあります。↓

参考
[信じぬ者は救われる]書評だべ〜〜。
http://blogs.yahoo.co.jp/iraku3202/folder/117156.html

その結論として言えるのは、「彼らの批判にはなんら明確な根拠がない」。
彼らは科学者を自称していながら、「ニセ科学」批判においては科学的方法を用いず、全くの信念で批判を述べているということです。
「水からの伝言」批判は「地球が丸い」と同列に揚げられるほど確定的な主張ではないし、当然賛同する意見も少なからず存在します。
そのような対立意見を無視して批判だけを取り上げるNHKは、「両論併記」すべきだという批判を免れないと考えます。


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相対主義、両論併記をどこまで適用するかについて、人によってバラツキがあったとしても、そんなバラツキが問題にならないくらい「水からの伝言」は論外、というおハナシ。

ここまで言っておきながら、この方の記事の中にも、「水からの伝言」が決定的に間違いであるという明確な根拠は一切ありません。


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ニセ科学批判の文脈では、「科学を装っている」部分が批判されます。実際にどういう点で「装っている」のかについても、十分な指摘がされています。

「科学」とは、自然法則を把握するための方法論の1つでしかありません。
実験や研究の成果を、人の目にわかりやすく見せるためのしきたり、ルールといった、そういうものだといえます。
「水からの伝言」を人に判りやすく見せるために科学的方法を用いた。その点はなんら批判されるものではありません。
それでは、なぜ彼らは執拗な批判を繰返すのか?
それは、「水からの伝言」が指し示す結果が、「科学を超えて」いるからです。
「ありがとうを貼った水の結晶は、ばかやろうより綺麗だ」という実験結果は、科学が持たない物差し「綺麗」「汚い」という美観が指標になっています。
これは、科学の限界を公然の目にさらけ出すものです。彼らはそれが許せないのです。


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「水伝」に対する批判は、その他の科学的主張が受ける批判に比べて特に厳しいものとも思いません。

「水からの伝言」批判には、不道徳という主張があります。例↓
http://plaza.rakuten.co.jp/hatenaclub/diary/201007170000/
つまり、「水からの伝言」を支持する者は反社会的だというわけです。
これは、その研究者あるいは支持者の主張のみに留まらず、その人格にまで及ぶ批判となっています。
「他の批判に比べて特に厳しいものではない」という主張は、記述者個人の感想に過ぎず、心情的に訴える点においては、より過酷な批判であるともいえます。


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「水伝」は科学で勝負する気なんかさらさらないのに科学の皮をかぶろうとするから批判されるんだけど、科学の土俵に上がって真正面から立ち会おうとした途端、チリも残さず一瞬で粉砕されそうな気が。

「水からの伝言」は美観という科学では計測不能な物差しを用いており、いうなれば従来科学とは水と油の関係だといえます。
とはいえ、従来科学では判断できない欠落を補うべきだという主張も、そこには当然あるわけで、そのような方向性で科学の進展を図ろうとしたのが、ニューエイジサイエンスと呼ばれるものです。
また、その反対に、新たな方向性をかたくなに受け入れず、そういった試みを一切科学と認めないという態度も非常に根強く存在し、私はそうした頑迷な科学思想を「因習科学」と呼んでいます。
「ニセ科学キャンペーン」とは、「因習科学」信仰者による科学の進展を図る動きに対する牽制だと捉えることができます。


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水伝のことをよく知らないかた達は、「水の記憶」に関する知識を持つ前に、ぜひ「どんな条件を満たせば『水伝』は科学的な検証をパスし、正しいと言える様になるのか」「『水伝』が正しいとしたら、今正しいとされている諸説はどんな影響を受け、どのように修正される事になるのか」について、ゆっくりと考えていただければ。

繰り返しになりますが、「水からの伝言」の指標は因習科学(従来科学)が計測可能な「重さ」「速さ」「大きさ」などが用いられていません。
つまり、従来の古典的な「科学的な検証をパス」しなければ科学とは認められないと言われれば、「科学ではない」と言うほかないのです。
とはいえ、従来の古典的な物差しだけを科学と判断する姿勢のほうに問題がないのか?といえば、大いに問題があると私は考えます。


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科学的な厳しさと科学の有用性はトレード・オフの関係です。科学が有用なのは、その厳しさがあるから。

果たして科学は有用なのか?
今となってはこの点も十分検証すべき時代となっているように、私には思えます。
その代表が、原子力や地球温暖化CO2人為説などでしょう。
原子力などは、基礎的な科学知識で考えれば、「放射能は必ず漏れる」は動かしようのない事実なのです。
それでも、「漏れは環境に影響しない程度に小さくできる」という信念のもとに推進されています。それが誤りであることは明白です。
地球温暖化CO2人為説も、この厳寒の時に真顔で主張できる科学者がいったいどこにいるんでしょう?誰が見ても間違いであり、実は科学という権威の下になされた捏造です。


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現時点で「マイナスイオン」を「体に良い」と認めてしまう程度の科学なら、有用性はゼロでしょう。

「体に良い」「悪い」という判定基準も、科学にとって苦手な分野であるといえます。
「マイナスイオンが体に本当に良いのか?は科学では判定できない」というのが、正しい認識だと考えます。


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将来マイナスイオンの健康効果が認められるようになる可能性はまあないことはないとして、その時の「マイナスイオン」は、今の「マイナスイオン」とは全く別モノに違いありません。

↑ちょこっと笑っていい?
つまり、「マイナスイオン」とはどういうものなのか、現状の科学では確定できていないと言うことでしょうか。科学の限界を認めてくださっています。このような謙虚な態度をいつ何時も保持していただきたいものです。


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ただし、おらはこの判定に関しては「現時点においては」みたいだ条件的な注釈を付け加えるべきだと思うんよ〜。だって、現段階で科学的根拠がないとしても、未来永劫確定してるわけじゃね〜しな〜。
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将来科学的根拠が得られるかも知れないから今採用する、というのであれば科学的根拠の有無にはなんの意味もなくなります。

ここは、私の主張をわざと曲解しています。
「マイナスイオン」などの「現時点の」科学の力量において効果が確認できないものの場合、確認できない理由は大きく2つ考えられます。
1つは、「マイナスイオン」にそのような効果がもとから存在しない場合。
もう1つは、効果があっても科学に捉える能力がない場合。
「科学には欠陥がある」という現状に誠実な態度で意見を述べるなら、「ニセ科学キャンペーン」のような断定的な主張はとてもできるものではありません。
「ニセ科学キャンペーン」は、自らが奉じる科学に対する不誠実さの上に立脚した批判活動だと言えます。


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「将来科学的根拠を得られる仮説」と「未来永劫科学的根拠を得られない仮説」とは、どうやって見分けるの?

笑う〜〜。
それはね。科学自体が自分の落ち度を認め進展する気があるかど〜か?にかかってるんでね?


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科学的根拠を得られていないモノを、科学的根拠があると勘違いして使う人がいるとしたら、勘違いさせたヒトには当然批判が向けられます。

これは同意します。
ただし、「科学的根拠を得られていないモノを、科学的根拠があると科学者自身がウソをつく」ケースも多々あるので、そういった自己批判のできない科学に他者批判ができるの?という疑問も付け加えておきましょう。

科学的根拠があると科学者自身がウソをつく」ケース↓

インフルエンザワクチンの効力、大麻の副作用、口蹄疫における殺菌消毒対策、ダムによる河川改修、ミサイル迎撃システムの効果etc.

因習科学信望者への回答②へ
http://blogs.yahoo.co.jp/iraku3202/1326307.html

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2011/1/28(金) 午後 1:08 [ iraku3202 ] 返信する

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