今井美樹・制作スタッフ日誌

スタッフが制作現場からの情報をお届けします。

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森繁久彌さん、
とうとう亡くなってしまいました。
大正から昭和、そして平成と、
およそ1世紀にも及ぶ、激動の時代を駆け抜けた波瀾万丈の生涯。
見事な大往生です。
夜半から降り出した雨は、不世出の名優を見送る涙雨でしょう。

新聞の号外も配られたそうで、
まさしく「巨星墜つ」という言葉が相応しい、
最後の、そして最大の、
昭和を代表する映画スタアでした。

東宝娯楽映画の金字塔、
小林桂樹、加東大介、三木のり平を従えた「社長シリーズ」
フランキー堺、伴淳三郎と共に演じた「駅前シリーズ」は、
僕が子供の頃、テレビの年末年始特番の、
「年忘れ映画劇場」「爆笑・新春映画大会」などでよく見ました。

その他、数え切れない程多くの、あらゆるジャンルの映画出演、
特に、日本映画黄金期の昭和30年代の作品は、
時代的にも年齢的にも、
森繁さんのキャリアの上で、質・量ともに特に充実していたと思います。
(僕は年齢的に、
 その見事な映画人生の、ほんの一部分しか追体験できていないのが残念。)

そして、渥美清、勝新太郎、石原裕次郎、美空ひばりといった、
昭和の大スタアとなった後輩達からも、
そのしなやかな演技力で、敬慕されていました。

「歌手」としても、
NHK「紅白歌合戦」に7年連続出場し、あの独特の「森繁節」を聴かせ、
名曲「知床旅情」も作詞作曲するなど、たくさんのレコーディングも行いました。

また、映画雑誌の編集者だった若き日の向田邦子の才能を見出し、
自身のラジオ番組「森繁の重役読本」(2448回も続いたそうです)の脚本家に抜擢。
テレビに活躍の場を移してからは、
「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」森繁主演の「七人の孫」などの大ヒット作を生み、
昭和を代表する脚本家として活躍、後に直木賞作家となるきっかけを作ったのも、森繁さん。

飛行機事故による、突然の悲劇的な死を遂げた向田さんに、
森繁さんは「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る」という墓碑銘を贈っています。

イメージ 1

数多くの著作も遺した、
森繁さん著作1作目の「森繁自伝」(昭和37年発行の初版本)
・・・装幀は、かの谷内六郎画伯

満州の首都・新京で、NHKアナウンサーとして敗戦の日を迎え、
略奪と暴行と殺戮の世界から、命からがら家族と共に日本に戻り、
様々な出会いを経て映画俳優となり、
役者・森繁が誕生するまでの回想記。

その独特のユーモアと悲哀を兼ね備えた筆致により、
発行当時とても評判となり、今でも文庫本として読み継がれている本です。

イメージ 2

「森繁自伝」巻頭より


僕は小学生の頃、
ちょうど「屋根の上のバイオリン弾き」を上演中の森繁さんから、
サイン入りのポートレート写真を送って頂いた事があります。
僕の、生涯の宝物のひとつです。

海を愛し、日本一のヨットも建造し、
若きユーミン夫妻も定宿としていた「佐島マリーナ」を個人で設立したのも森繁さん。

送って頂いた写真は、
口ひげをたくわえ、
キャプテンハットとブレザー姿という、船長の森繁さんでした。

先の、大阪出張の際も、
浪花が舞台の「夫婦善哉」での若き日の森繁さんを思い出したばかり。

きっと、これから数多くの追悼番組も放送されると思います。
「夫婦善哉」は是非お見逃し無く!


(IRc2 佐藤一司)

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