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「愛の四則計算」第2話「さよなら」
秀樹はリビングへと戻り、面白くもないテレビをただ
ぼんやりと眺めていた。
3分ほどして、美智子が白ツバキの匂いを漂わせながら
リビングへと入ってきた。
「ごめんね、遅くなって。ご飯にしようか?」
「あぁ」
「今日はカレーだけど、いい?」
「勿論」
極力元気良く話そうとする彼だが、そこに単語量がついて
いかなかったようだ。
「サラダ何かける?」
「マヨネーズとポン酢でいいよ」
「いつもよくそんなのかけて食べれるよね?」
「そうか?いつも言ってるけど結構おいしいんだって」
「まぁ、いいけど。では、いただきます」
「いただきます」
二人は両手を合わせた後、食事を始めた。
「お父さん、明日は早く帰ってこれる?」
(いや、帰ってこないんだけど。。。)
「あぁ、いつもと一緒だけど。どうして?」
「明日会社で送別会があるの。だからちょっと帰りが
遅くなるから。だから早く帰ってくるんだったら、
出前でも取って食べてもらおうかと思って」
「そうなんだ。いいよ。出前とっておくから」
「じゃぁ、お願いしますね。恭介の注文するのって
分かってるよね?」
「あぁ、恭介の食べるのははまちとか、うなぎとか
だろ?」
「そうだと思うけど」
実際美智子の用事などで、これまでも何度か出前を取っている。
だから、彼女よりも彼の方が息子の恭介が食べるものが何かを
良く知っているのだ。
その頃、恭介が塾から帰ってきた。
「お帰り。恭介、明日は出前だってさ」
「本当?ラッキー」
「何喜んでんだよ」
「だって、明日はお寿司でしょ?」
「という事になるけどな」
「だからラッキーだって」
「そうか」
「ところでお父さん。何か今日元気ないね」
(そんな顔をやっぱりしてるんだろうか?)
「そうか?いつもと一緒だけど」
「……だったらいいんだけど」
恭介はじっと彼の顔を見てからそう言った。
翌朝、秀樹は普段と変わりなく6時45分に目を覚まし、
布団からゆっくり抜け出す―昆虫が脱皮するように。
部屋にはいつものように味噌汁のじゃこと鰹だしの
香りが立ち込めていた。彼は和室の襖を開け、リビングへと
移った。美智子は台所に立っている。
彼は彼女の横を通り過ぎる時にいつものように
「おはよう」と挨拶をした。
「おはよう」
彼女は大根をおろしながら、笑顔を浮かべて挨拶を返した。
彼はそのままリビングの扉を開け、廊下を1メートルほど
歩き左側の扉を開ける。いつものように朝一番の放尿だ。
そして、向かいの扉を開け、洗面台の前で顔だけを洗う。
玄関を出て、階下のメールボックスで新聞を取り、
また部屋へと戻る。彼がリビングに戻った時には、
食卓の上には、ご飯、味噌汁、じゃこおおろし、鮭の塩焼き
がラインアップされていた。
秀樹と美智子が先に朝食をとる。恭介はいつも私が食事を終え、
歯を磨き終わった後、起きてきて食事をとるのだった。
この日もいつもの朝と何ら変わりはなかった。
7時35分になって、私はいつもの通り家を出る。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
秀樹と美智子はそう言いながら、普段通りのお出かけキッス
をした。
「じゃぁ、今日は頼みますね。又帰る前にはメール入れるから」
(そんな事してもらっても、今日は意味がないんだけど)
「分かった」
彼はそう言って、玄関のドアを閉めた。
全てがいつもとまったくかわらぬ朝だった。
しかし、彼は玄関の前で5秒ほど立ち止まり、
中にいる美智子と恭介の方に向かって一言囁いた。
「さよなら」と。
それはいつもにはない言葉だった。。。
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