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序章ー2
二一○二年になり、アフリカに新たに三一個目の国が作られた。その年の初めの、『全世界ネット裁判』で決議が下った。
その所在地は、かつてコンゴ民主共和国があったところ。その国の半分くらいの領土を占有することとなった。
やはりアフリカも他の地域と変わりなかった。
エジプト、エチオピアなどを除いて、ほとんどの国が姿を消してしまっていた。
この国を作った男性は、世界一のコンピューター会社の社長。ハード機器なら大きなものから小さなものまで幅広く作っている。
この会社が、世界の頂点に君臨している。その理由は、ソフトの内容の高さ及び種類の多さだった。更に、それらのソフトは毎月に必ず一つは市場に出回り、常に売上一位を記録している。
ソフト商品のみならず、世の中のすべての商品ランキングでの一位の座である。
その社長は、新しく作った国を『つれづれ』と命名した。仕事ばかりで忙しく、ゆっくりする時間など作れなかった。だが、ようやく念願が叶い、悠々自適な生活が送れる。そこで、彼の最も好きな言葉を国名に選んだ。
社長は、日本語のみならず日本の文化も大好きだ。大好きであるがゆえに、造詣も深かった。
つれづれ国には、およそ一万人が住むことになった。
ただし、二○四九年のネット裁判決議に則り、能力のある者が無能力者を支配する。その決定事項は確実に守られていた。
というか、決定事項を行使できるからこそ、社長は国を作ったのだ。
総人口は、他の新興国と比べて極端に少ない。平均すると、これまでおよそ五千万人。つれづれ国は、その五千分の一。
社長は、あまりにも偉大な人物なので、みんな彼の言いなりなのだ。あまりたくさんの人を支配したくなかった。本当に最高に優雅な生活を送り、徹底的に元政治家たちを痛めつける。それが最大の目的。それが故、選りすぐられた人だけを連れていくことにしたようだ。
能力のある者が五百人に対して、残りの九千五百人が無能力者。選ばれし者が住む地区をエゴ・タウン、支配される者の住居地区をジー・ヴィレッジと名付けた。
ジー・ヴィレッジでは、やはり生活水準という概念は存在しなかった。
衣食住のいずれもが絶句するようなもの。その村民には衣服は与えられない。誰もがその村では、生まれたままの姿。
住居に関しては、裸身よりはまだましだ。全世帯均一のプレハブ住宅。三人が寝れば足の踏み場もないほどの広さしかない。
また、家の中には家具や什器などほとんどなかった。寝ている間に獣に襲われる心配はないかもしれない。だが、安らかに眠る布団一つすらない。
与えられているのは、ろ過装置、鍋、カセット・コンロ、ガスボンベ、ライター、灯油缶、卓袱台、そして包丁。その他、なぜかカラー・ボックスと鉛筆、そしてノートだった。
食べ物を最低限作る道具は与えられている。しかし、食材などは一切与えられていない。なぜなら、食材は選ばれし人たちに乞い願うことと決められていた。
それをしない場合は、自給自足の生活。とはいえ、普通の人々が暮らしていけるだけの食材は見あたらなかった。
その村には、百以上の集落があった。もちろん、どの集落にも差はない。条件はまったく同じだ。
その村に住む人たちの故郷は、やはりさまざま。肌の色も、目の色もみんなバラバラ。話す言葉も当然元々は異なっていた。しかし、ここに連れられてきた人たちがみんな話す言葉は同じ。それは日本語だった。
二○三○年頃から、世界中で日本語がブームになった。
日本語ほどあいまいな表現ができ、ごまかしがきく言葉はないと大評判になった。ネットでその噂が急速に広まり、世界じゅうで日本語の教育が盛んになった。
日本人は外国語を習得するのが苦手で、習得できない人が多い。しかし、その他の国の人たちは、まったく苦にしない。
ネット裁判が行われた頃には、ほとんどの国の人が日本語を習得していた。年を重ねるごとに、日本人より日本語が上手な人が増加するいっぽうだった。
つれづれ国が作られた最初の年は、かなり多くの人が亡くなった。
死者がかなり出ることは、当初から予測されていた。だが、現実は彼らの予想をはるかに上回っていた。
この村に連れてこられた人たちのほとんどが、かつては政治家だった。
今まで頭を下げられることに慣れてきた人たちばかり。
そんな人たちが、簡単には逆の立場にはなれなかった。少しの間演じることはできても、なりきることは難しかった。
また、ネット裁判が行われたのも、多くの人たちの積年の怒りや恨みの最終形。
つまり、ここで村の人たちに接する彼らも極めて冷酷だ。
多くの村の人たちは、自分たちの身分や立場を無視してしまう傾向にあった。現実を弁えることができず、支配する街の人たちの格好の餌食となった。
村民たちは、筆致に尽くしがたい暴力を受け、精神的にとことん追い詰められた。
「俺がお前に何をそんなにひどいことをしたっていうんだ?」と思わず言いたくなるくらいの仕打ちだった。
一個人としては、まったくの濡れ衣。
しかし、街の人たちには、それが誰であるのかなどまったく関係のないこと。とにかく、そこにいる人たちを十把一絡げに見ていた。彼らすべてを憎んだ。みんなが怨嗟の的となる。
しかも、その思いが長年に渡って受け継がれているのだから。その行動が、過激になるのはいたしかたなかった。
被害を受けた村人たちにとっては、気の毒としか言いようのない話である。
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