陰陽・気象予報士のイロノアン・スターのブログ

個人的なウェブ上のログとして、また情報の提供の場として。

読書の記録

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1


「萌え」とは何なのか?どう考えたらよいのか本当に悩ましい。
かのネット上のフリー百科事典ウィキペディアを参照すると、
テキストにして、2 万 4 千 7 百 3 十 7 バイトつまり、
日本語文字に換算して概ね 1 万文字以上の説明がある。

「萌え」の意味論、「萌え」の統語論、「萌え」の語用論、
「萌え」の語源諸説、古語における“萌え”などの見出しが
書いてある。なかなか面白い。

「萌え」とは 1980 年代後半から 1990 年代に言葉として既に
成立しており、2000 年以降オタク用語としてマスメディアに
取り上げられるようになり、2005 年にはなんとか流行語大賞
に取り上げられるくらいになった言葉とウィキペディアには
書いてある。私のようないわゆる団塊ジュニア世代にとっては
その成長過程の時代背景が「萌え」の成立から「萌え」の繁栄
まで、割合ぴったりと合っているように思われる。

「萌え」には色々な定義があるようであるが、パッと思いつき
で自分なりに定義すれば、アニメ・漫画・ゲームなどフィクション
性の強いメディアにおいて、登場するキャラクタに対し、恋愛
に似た感情を抱く心的現象といった感じであろうか。疑似恋愛
という説明もあるのだけれども、わたしは恋愛には似ているけれ
ども恋愛ではないと思う。スポーツ観戦がスポーツでは無いのと
「萌え」体験が恋愛では無い関係は良く似ているのではないか。

ところで大泉氏の「萌えの研究」であるが、『ラスコーの壁画、
江戸の春画、そしてアニメ絵』(萌えの研究[大泉実成]講談社,
p102)という見出しがある。この見出しには納得感があった。

確かに、ウィキペディアや現在のマスコミによる「萌え」の扱い
はいかにもアニメやゲームと共に発展し、現代特有の現象、や、
あまり良くない意味でオタク的な性質のように扱っているけれど
こういった解釈はおそらく間違いで、大泉氏の言うようにラスコー
の壁画の時代から、「萌え」感情はあったのではないだろうか。

人類は太古の昔から、ラスコーの壁画に萌え、アヴェマリア像に
萌え、モナリザに萌え、江戸時代の美人画に萌え、竹久夢二に
萌えていたのではないのだろうか。こんなことを書くと宗教関係者
にお叱りを受けるかも知れないが、世界最大の宗教、キリスト教
だって一種の萌え現象なのではないかと思われる。キリスト教に
限らず、日本の仏教だって、思い出すのは「あんじゅとずしおう
(安寿と厨子王)」の物語のなかで、2 体の仏様を手がかりとして、
2 人の兄弟が出会うが、仏像に愛着を抱くシーンなどは、フィギュ
アに愛着を抱く現代と重なるような気がしてならない。アキバの
フィギュア達のルーツは、あんじゅが大事にした携帯仏像と同じなの
である。フィギュアは仏像の延長、もっと古代では「はにわ(埴輪)」
の延長なのではないだろうか。

ところで大泉氏は、かのエヴァンゲリオンの綾波萌えだそうだ。
わたしは、綾波もわるくないが、エヴァの世界の中では、葛城ミサト
が一番良い。過去に萌えたキャラクターとしては、キューティハニー
「卯月ハニー」、不思議の海のナディア「ナディア」、神無月の巫
女「姫宮千歌音(ひめみやちかね)」に萌えていた。

※写真は 4/28 の秋葉原。世界的に「萌え」の聖地と化したアキバ。
連休中も大型バスが何台も停車している風景を目にしてました。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 1


タイトル: 萌えの研究
帯の文: 非オタクが覗いた史上最強のオタク解読書
筆者:大泉実成
出版社: 講談社
第一刷: 2005/12/05

面白い節:
序章(p.7),
ラスコーの壁画、江戸の春画、そしてアニメ絵(p.102),
「究極の自己犠牲」=萌えなのか(p.110),
父親不在の物語(p.120),
「家族」への回帰(p.146),
「ローゼンメイデン」圧勝(p.175),
「至高の存在」アリスを目指して(p.178)

コメント:
アマゾンの書評もチラッと見せてもらったが、そこにあるとおり、
「研究」には至っていないのと、筆者が「非」オタクというのも
あやしいように思われる。さらに、「萌え」の主題にもかかわらず、
JCO の臨界事故から本文がはじまるのには、大きな違和感を感じた。

JCO の臨界事故については、今となっては原子力発電所の事故
は、実はあれだけではなかった、ということが十の単位の年を経て
最近マスコミ関係で話題になっているが、全くずさんとしか言いよう
がない。ひょっとして日本の少子化は、原子力の事故が原因で、
日本人の生殖細胞の染色体はもう結構ズタズタなのではないだろうか、
という疑惑も頭に浮かぶくらいだ。原子力発電所の仕事なんて、
正直だれもやりたくない仕事だと思う。なぜなら「安全」としか
言わない大手電力会社の社員でさえ、「危険」としか思っていない
であろうからである。

今の時代は、もう「安全」だけしか言わないのではなく、どれく
らい危険なのかという事実をはっきり公言すべきだ。その危険を
科学的に、統計学的に管理する技術がこの国にないのであれば、
原子力発電には手を出すべきではないのであるまいか。わたしは、
そういう危険を管理する技術はこの国にはあると思っている。隠す
だけではなく、一般国民を馬鹿にせず、エリート諸氏はただ事実を
公にし、危険を管理する技術の信頼性をアピールするべきではない
だろうか。

しかし、地球温暖化で火力発電もダメ、管理能力に疑惑のある
原子力発電もダメ、では困ったものです。何かエネルギーの第ゼロ
法則か何かに反するような、革命的なエネルギー技術はないもの
なのだろうか。

ところで「萌え」とうたっておきながら、萌えが少しもないコメ
ントも何なので自分の「萌え」初体験についてちょっと。

思えばまだ幼稚園だったころ。小学館の幼児用の雑誌(「めばえ」
といったような雑誌名のような)の、金の斧と銀の斧の話のような
童話の挿絵の女性に、強烈に惹かれた記憶がある。今となっては、
ああいうのを萌えというのだな、と思うのだけれども、そんなに幼い
ころから、わたしには「ヲタク」属性があったとは驚きでもある
のである。

こういったことから考えるに、わたしが人類として特別に進化
した種族であるはずもないのであるから、「萌え」とは、必ずしも
現代社会特有の心的現象であるというわけでは無いような気がする。
幼いわたしは、どちらかというと「箱入り息子」だったので、現代
社会に酷く露出していたわけではないのであるから。「萌え」とは
かなり原初的な心的現象なのではないだろうか。そしてわたしは
「萌え」の中に原初的宗教性を見るように思う。

「萌え」の原始性については、この本の p.16 に「はては
ダイアリー」に『脊髄反射のような感覚で起こる、非常に原始的
な感覚』とあるという記述もある。

次回もちょっと続きを書いてみようと思っております。

イメージ 1


タイトル: 養老孟司の<逆さメガネ>
筆者: 養老孟司
出版社: PHP新書(PHP研究所)
第一刷: 2003/08/25

面白い節:
都市化社会は、自然を「ないこと」にしている (p.26),
都市で働くときの原理 - 「ああすれば、こうなる」(p.36),
コントロールできるという錯覚 - 親子の根本的対立 (p.42),
団塊世代との世代的違和感 - 村社会と民主主義 (p.54),
日本社会はいまだに村の掟で動いている (p.57),
相互不信は誰の得にもならない (p.60),
都市生活は生老病死を見ない (p.70),
脳への出力と入力 - 知行合一と文武両道 (p.88),
現代社会の常識は「変わらない私」 (p.126),
人間の脳はわかり合うという共有化へ向かう (p.151),
なぜ若者の社会的価値がなくなったのか (p.153),
共同体か、機能体か - 一元論に偏ってはいけない (p.189),
「都市こそ進歩」という思想を変える - 脳化社会の歯止め (p.192),
哺乳類では、メスが基本 (p.201)

コメント:
大都会の渋谷の歯医者の息子が妹を関節でバラバラにする今日、
養老孟司の<逆さメガネ>の表扉にある『「世の中おかしくなった」
と誰もがいう。』という一文に否定的な見解をもつものはもはや少
ないのではないかと思われます。この本は、そんなおかしな世の中
の根本原因が『都市化』と『脳化社会』化であるということを気づか
せてくれ、主観的に考えるに、養老氏の指摘は本当に的を得ている
ように思われます。

養老氏の専門は医学の解剖学とのことで、人体をバラバラにする
専門家ということになる。しかし人体をバラバラにすることを専門
的な仕事にしてきた氏のこの本はなんと暖かみがあるのであろうか。
氏の書く文章には、本当に氏の人間に対する慈しみが溢れています。
人体をバラバラにすることを長年やってきた人間の人間観の一つが、
『知行合一』または『文武両道』というものなのであろう。脳への
インプットがあって、アウトプットがある。勉強で脳ばかり鍛えて
いてもだめで、鍛えた頭で体を使いなさい。人間は頭だけではない。
体も大事なのだ。そういう手とか足とか目とか鼻とか脳とか、学術
的には人体をバラバラにできるけれども、実際どこまでが手で、ど
こまでが足なのかを権威のある説なしに区別することは難しい場合
が多いのではないだろうか。

人間は秋葉原のフィギュアではないので関節では切っても切れな
いものなのだとわたしは思う。しかるに 2007 年の正月の食事をの
どが通らないものとしたニュースは、脳しか鍛えない教育の問題に
もあるようにわたしには思われます。そして養老氏のこの本を読め
ば、都市化至上主義という世界的宗教を崇拝することによる脳化社
会の実現による弊害が、端的にあらわれた出来事である、ような気
もしてきます。

ちょっと半ば強引に渋谷の怪事件とからめてコメントとしている
のですが、脳化社会問題だけではなく、<逆さメガネ>なるメガネ
をかけて医学なる学問を長年やってきた氏のこの本は本当におもし
ろいです。是非、おすすめいたします。

国会図書館で読書


タイトル: 龍の文明史
著者: 安田善憲
発行: 八坂書房
初版: 2006/02/28

この「龍の文明史」の p.10 (龍は発想する、という小節で)
「龍は融合動物である。超越的秩序の産物である。これに対して現実
に存在する爬虫類としての蛇は現世的秩序の産物である。」
とある。わたしは「龍」とは現実には存在するのか/しないのかぱっと
言われても判断できなかった。最近のわたしはほとんど「ヒト」以外
の動物との接触がない。正直、「トラ」も実は想像上の動物だ、と
言われても、「あーそうだったんだ」、という具合であまりレベルに
差が無いような気がしている。

安田氏は続いて、
「ヤスパースは、この超越的秩序を創出できた人々だけが、
文明を手にすることができたという、枢軸文明論を展開した。」
とヤスパースなる方の超越的秩序という概念を紹介し、
「超越的秩序を代表するものと考えたのは、ユダヤ・キリスト教
のイスラエル文明に他ならなかった。自由と民主主義も市場原理
も、物語型人間が考え出した超越的秩序に他ならない。」
とヤスパースなる方の考えを紹介している。

物語型人間というのは龍信仰の文明の人たちのことで、現実を
超えた概念を強く信じられる部類の集団を言っている。それに対して
蛇を信仰するような現実的な部類の集団を図鑑型人間と概念を整理
している。

確かに現在最先進国と言える某国の「自由」と「民主主義」と
「市場原理」は、人間が生存するのに基本的なことからは超越して
いるような気がする。極端なはなし、彼らの言う「自由」、「民主主義」、
「市場原理」はなくても人類は生存できるし、そういうものがない方が
幸福を感じられるという人たちの方が多いのではないだろうか。


国会図書館で読書。

読んだ本1
タイトル: 「わたしは甘えているのでしょうか?」<27歳・OL>
著者: 村上龍
出版社: 青春出版社
初版: 2006/09/15

読んだ本2
タイトル: 幼児化するヒト: 「永遠の子供」進化論
著者: クライブ・ブロムホール (Clive Bromhall)
訳: 塩原通緒
出版: 河出書房新社
初版: 2005/04/30
原書タイトル: the eternal child (an explosive new theory
of Human Origins and
Behaviour)

今日は「甘え」という観点から本を検索してきました。

日頃社会人生活をしていてなにか違和感を感じることが多く、
最近その原因がわたしが違和感を感じる人、感じる行動に、
共通の形容ができることに気づきました。それが「甘え」です。

わたしの日常生活以外にも、現在社会の諸悪の根源に「甘え」の
構造を見ることに事欠かないと感じています。たとえば汚職、
公務員の税金の無駄遣い、自分が汗水たらして稼いだカネでは
ないから、自分は高等教育をちゃんと受けた特別待遇の公務員
あるいはそれに準じる者だから、一般国民のカネなどどうでも
使って良い、とでも考えているのでウン百兆円という公的機関
の借金がこの国には積もっています。これはエリート意識族の
甘えです。

マンションの手抜き設計も、たぶんこれくらい大丈夫だろう、
地震なんて来ないからそんなに強度の高い建造物にしなくても
大丈夫だろう、そんな甘えが見受けられます。

自分は知事だから、エライんだから、ちょっとぐらい自分の
エライ地位を利用したっていいじゃないか。それで助かる人も
いるんだし。そんな軽い感じで汚職事件なんかが発生するので
はないでしょうか。

自動車産業の成果物たる大衆自動車における欠陥についても、
設計あるいはその設計を統括する一流の技術者の、これぐらい
で強度は大丈夫だろう。欠陥が発覚したって、うちの会社は大
きいんだし、ちょっとぐらい大丈夫。ゆるしてみなさん。なん
ていう甘えがある。

毎年 3 万人の日本国民を殺す交通殺人だって、おそらく、
ちょっとぐらいお酒を飲んで運転したって大丈夫。このまま
進むと信号機を通過するころには赤になるけどちょっとぐらい
なら大丈夫。あの人、この道路横断しそうだけれど、こっちも
急いでいるし、こないかもしれないから大丈夫かもしれない。
なんていうような甘えた精神が結局 3 万人の命を奪っている。

諸悪の根源は「甘え」の精神構造にあるのではないかと思い
図書館に赴いたのですが、どうも結論は「甘え」は悪ではなく
進化だ!ということになりそうなのです。

「甘え」と経済発展

村上氏の本は、この結論とタイトル以外あまり関係がなく、
「甘え」の言葉のつかいかたに重みがありませんでした。

ですが、村上氏の「わたし甘えているのでしょうか?」は、
こんな感じで文章が始まります。

「この世の中はどこまでお金持ちに有利になっているのでしょう
か?と誰かに聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか?そんな
質問は、わたしが子供のころは表だって存在しなかった。...
(改段落)
日本社会が成熟したことによって経済的格差が発見され、唐突に
姿を表したのだ。しかも、経済力以外にどういう価値観があるの
か、経済的に恵まれていない人はどう生きればいいのかを社会は
示そうとしていない。...
(「わたし甘えているのでしょうか?」[村上龍]青春出版社 p.3)

村上氏の本では、OL の悩み相談書のようになっていて、その
悩みが、「派遣社員か正社員かはたまたフリーター」とか、
「リストラ、再就職、借金、集団のなかのわたし」とか、
「結婚とか一流企業がどうのとか、給料の差」とか、女性である
ことに関係なく、男性と同じ悩み相談集になっていることに
味気なさを覚えた。

突き詰めてみれば、彼女たちの人生の悩みは、カネの悩みなので
ある。このカネが社会において持てはやされるのは、日本社会が
村上氏の言う成熟してからであろう。いつ成熟したかといえば、
成熟しきったのはバブルのころだろう。そうこのバブルの頃に
日本人の大半が、仕事に対して、人生に対して、「甘える」よう
になった。

社会が成熟することと、社会が甘えた風潮で充満することは、
この国では同時期に進行した。

幼児化は進化だ

甘えというのはペットと幼児がするとかわいいだろうと思われ
る。猫がじゃれたり、犬がくんくんいったりするのはかわいい。

「幼児化するヒト: 「永遠の子供」進化論」という本では、猿、
類人猿、人類へとの進化は、幼児化である、ということだろう。

チンパンジーなら肌に毛がないのは、生まれた直後だけ、だけれ
ども人間は生まれてから成人しても猿ほどの体毛はない。人類を
猿と比較すれば、人類は成人しても、猿の成人程の身体的成長が
ない例が書かれていた。特に印象に残ったのは生殖器の位置や
構造の幼児から成人に至る過程での変化の猿と人類との比較につ
いてである。

人類が猿や他の野生動物と比べて成人しても子供のままであると
いうのは確かそうである。

それからクライブ氏によれば成人してから望むことも幼児がする
ことであるという。たとえば唇を重ね合わせたい、なんてことも
「霊長類の赤ん坊が母親に噛み砕いてもらった食べ物を口移しで
もらうときにすることとまったく同じである。
(幼児化するヒト[クライブ・ブロムホール]河出書房新社 p.9)」
というのである。

さらに驚いたのは、野生動物を「人間に馴れやすい」という観点
で繁殖させる毎に間引き続けると野生動物は幼児化した成体にな
る、という。そういうドミトリー・ベリャーエフというロシア人
の実験の話が載っていた。

この本の信憑性の程度は疑うところが有るとしても、人類は種と
して幼児化することで、人類同士で馴れ合う、ことで人類相互の
攻撃性を緩め、協調することで発展してきた、という筋書きがで
きて面白いと思った。

社会の幼児化は社会の進化だ

だとすれば、「甘えた」社会というのは、一つの進化した社会
の形態となってしまうのであろうか?

OL のカネの悩みについても、たしかに「甘えた」人間の方が、
より高い給料をもらう傾向が現代日本社会にあるような気がする。

「甘え」恐るべし。


[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事