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この書物の表紙の裏に、要約か宣伝の文章がある。
「「世界のフラット化」によって仕事を奪われないために、先進国の人々は何をすべき
なのか?子供たちの世代がインドや中国との競争に勝ち抜くには、どんな教育や社会シ
ステムを作る必要があるのか?企業はどう対処すべきなのか?本書の後半では、フラッ
ト化という重大な試練を乗り越えるための具体的な方法を論じる。...
(フラット化する世界[トーマス・フリードマン]日本経済新聞社, 表紙裏)」
この「競争に勝ち抜く」という表現に穏やかならぬものを感じるのであるが、別に相手
を打ち負かす必要はないのではないかと思う。なぜなら地球上の富の量に保存則はない
ハズだからだ。富の量が一定であるならば、富を奪い合う必要もあろうが、人類にとって、
人類が開発し出してきた富の量は未だ飽和していないだろう。もしも、人類に
とっての富とは「金(原子記号 Au)」であるというのなら金の埋蔵量で人類の富の上限が
決まる。わたしたちは金(きん)だけで生きていますか?生きていません。もしも、人類
にとっての富とは「石油」であるというのなら石油の埋蔵量で人類の富の上限が決まる。
現在実はほぼ石油によって富の実質的価値は担保されていると言って言い過ぎではない
感じがするのは事実かもしれないが、わたしたちは「石油」を食って生きているわけで
なく、時代は戻るかもしれないが、石炭でも良いわけで、風力や水の力による発電のエ
ネルギーでも良いわけで、従って人類の富の上限が石油の埋蔵量で頭打ちになるという
わけでも無いと、わたしには思われる。
21 世紀のフリードマン氏の言う「フラット化」された世界で、われわれ地球市民がなす
べきことは、富を奪い合う戦争(コト)ではなく、むしろ人類にとっての新しい富を共に
創造してゆくことであろう。そういう人類にとっての新しい富の生産を、アメリカ合衆国
の市民、日本の市民、中国の市民、韓国の市民、インドの市民、... 、ありとあらゆる
工業化社会で形成されたナショナリズム団体市民たちで共同で行ってゆくことで、できる
だけ多くの市民が生き甲斐を見いだし、健康で文化的な生活を送る仕組みを作り出す必要
が政治サイドにあるものと思っている。
そもそも石油だって、ウホウホ言っていた人類的原始時代においては、単なる黒い液体
で利用価値もなく無価値だったであろう。石油に価値を見いだしたのは、工業化、とい
う人類の歴史に於いてなのである。今後もあらたな富みは生まれ続けるハズである。そ
れを妨げないことが、全人類にとって共通の利益行為なのだとわたしはを思う。
さて、フリードマン氏の「フラット化する世界(下) p.9」では、「無敵の民」という言
葉が出てくる。「敵」という言葉に穏やかならぬものを感じてイヤであるが、原書では
「untouchables (アンタッチャブル)」である。
un は否定を、touche は触れることを、able は可能性を、s は複数形を意味すること
から考えるとこの直感的なニュアンスは「触れることができないものたち」となるだろ
う。COBUILD の英英辞典では次の記述がこの場合の意味にふさわしいと思われる。
[If you describe someone, especially a sports player or entertainer, as
untoucheable, you are emphasizing that they are better than anyone else in
what they do. (もしもあなたが誰かを、特にスポーツ選手やエンターテイナーを、
アンタッチャブルと叙述するならば、あなたは、彼らを他の誰もが彼らがする以上
のことをすることが出来ないことを強調していることになります: 訳はわたし)]
意味的に「無敵の民」で大きな誤りは無いと思われるが、「敵」ということばが好き
でないので、ここでは「無敵の民」を「アンタッチャブルな人」と言うことにする。
では、フリードマン氏の言う「アンタッチャブルな人」とはどういう人か?これが厳し
いのである。
一番アンタッチャブルなのは、マイケルジョーダン、マドンナ、エルトンジョンなど。
次にアンタッチャブルなのは、地元に密着して仕事をしている人。その人々はその地
域の特定の情報と密接に関わっていて専門的な知識を売り物にしている。ただし、その
人々の待遇はその地元の経済事情で決まる。
アンタッチャブルでないのは、工場のライン労働者、会計業務、データ入力業務、セキ
ュリティ評価技術者、レントゲン技師など ... 。要するにコンピュータに入力できる
ような業務は、世界市場の中でもっともコストの低い労働力ですることができるように
なってきている、ということかと思われる。これがインターネットが先進諸国に突きつ
けている潜在的(既に顕在化しているが)驚異なのである。
思うに、農業時代、日本市民の多くは農業で暮らしていた、が工業化して、もう農業自
体に従事している人口はかなり減った。これは工業化で日本が豊かになるために致し方
ないことであったし、結果として工業化して、確かに物質的には豊かになったのも事実
であろう。であれば、いったん工業化した社会が、今度は「フラット化」して、工場で
働く人たちの人口の割合が減り、氏の言う「アンタッチャブルな人」で日本地域の人口
の割合が多くなり、グローバルな視点で見ても、消して貧しくはない生活レベルを維持
する社会となることを目指すべきであるように思う。
だがしかし、「アンタッチャブルな人」で日本地域が溢れかえるようなことは現実的に
可能であろうか?みんながマイケルジョーダンでみんながマドンナでみんながエルトン
ジョンなんてことはあり得ないことではないであろうか?
では、日本に繋がる光ファイバー海底ケーブルを全て切断して、インターネット化を止
めるか?再び情報化世界に対する情報化鎖国を実施するか?飛行機の国際線を廃しし、
物理的国際的移動を不可能とするか?そんなこともできないだろう。たとえ実施したと
しても、国際的な干渉により、国家によって過保護化され国際的競争力を失った日本市
民はより不利な立場で国際社会の舞台に立たなければならなくなること間違いなしであ
る。
1989 年、ベルリンの壁が崩壊した、このとき共産主義国家の壁が壊れたように資本主義
陣営は思っているし思ってきたが、実はこの壁は資本主義陣営の壁でもあったと思う。
つまり、資本主義も共産主義も、ベルリンの壁崩壊と共に壊れたのであると考えることは
出来まいか?資本主義も共産主義も世界が工業化していく時代に作られた人類が生きる
ルールであろう。では、ポスト工業化時代にも、ポスト資本主義、ポスト共産主義と言っ
た新しい人類生存の基盤となる仕組みが必要なのではないであろうか?
工業化時代とは石油至上主義の時代で、みんなが石油石油と言い、石油を燃やしエネル
ギーを取り出し、夜も昼も明るい社会を文明化された世界では享受してきた。これは
これで良かった。だが、石油を燃やすと二酸化炭素が出る。この二酸化炭素は、今日の
ニュースで観測史上最高濃度を記録した、とやっていた。二酸化炭素の増加は、地球を
暖める効果があるらしい。地球全体で暖かくなる、気候が変わる。
気候の変化に人類は文明の水準を保ったまま耐えられるのであろうか?
最近、21 世紀にもなって熊出没のニュースが良く出ているが、熊はなぜ出てくるのか?
わたしには熊は石油至上主義時代の生き難さを訴えているように思われる。
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