陰陽・気象予報士のイロノアン・スターのブログ

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タイトル: 富の未来[上] (Revolutionary WEALTH)
筆者: アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー (Alvin Toffler/Heidi Toffler)
訳: 山岡洋一
出版社: 講談社
第一刷: 2006/06/07
キーワード: 富, 革命, 知識, 知識経済, グローバル化, 真実, インターネット, 生産消費者
面白かった節: 速度の違い(p.72), 時間の生態系(p.100), 高付加価値地域(p.135), 知識の先端(p.190),第三の仕事(p.312), 教育を超えて(p.363)

『人間という存在は、宗教とか、あるいはより広く聖性と触れながら生きていくのがむしろ普通なのです。...(中略)...。ところが、そういう宗教観から一般日本人は距離を置いています。』(情報学的転回[西垣通] p.171)

氏はここで、「靖国問題」を引いて、「ほら、あなただって無縁じゃないでしょう」と言っているように思いますが、別に靖国を出さなくても、一般日本人たるわたしも宗教とは無縁とは思っていません。たとえばお祭り、神楽坂のお祭りも、昔ながらの日本の多神教"神道"の名残ですし、あと、秋葉原のフィギュアなんかも仏教の仏像の流れを汲むようにわたしには思えます。よく日本昔話しとかで小さな観音様を持っていてその観音様に助けられるという話があったような、そんなストーリーを連想します。日本の宗教の基本はアニミズムだと思っています。生き物でないものにも心はあるかもしれない、という恐れ。人間を人間以外の生物と同列に置こうというだけでなく、木や森や石や風や大地といった非生物にも魂みたいなものがあり、人間に対抗しうる勢力であるとして尊ぶ。

たぶん「情報学的転回」が起こると、この人間以外の生物、木や森や石や風や大地といった非生物と人間との同列化が起こります。なぜなら何れも突き詰めて考えれば情報に過ぎないからです。わたし的にはこれは「へー」で済む問題ですが、キリスト教系の一神教文化ではこれもまた大問題ではと思います。なぜなら彼らは神の次に偉いのは人間(とくに西欧人、白人ともいう)で次が家畜とかで、それ以下はカス、ぐらいにしか思っていないハズだからです。人間が神になりたい、それが一神教の文化で、人間の奢りです。

「それでも地球は回っている」(ガレリオ・ガレリー)、こんなレベルの事実でさえ、そもそもキリスト教系の一神教では異端とされる。思うに一神教文化は彼らの神に近づくための最大の武器である科学と相反しているのではないかと思う。次は生物進化論(ダーウィン)、かれも自分の異端性を恐れた。今でも進化論は問題とされるらしい話を聞く。キリスト教系の一神教文化圏の中では、科学が終わるか、宗教が終わるか、人類が終わるか、の何れかが起こるのでは無いか。

科学が終わるのは、キリスト教を信じる人が科学を指示しなくなるから。
宗教が終わるのは、キリスト教を信じる人が科学の真実性に気づき、キリスト教への信仰が薄れるから。
人類が終わるのは、彼らの神に近づく道である科学の力によって、地球環境の激変によって、単なる生物としての人間の環境適応能力以上の変化(二酸化炭素の増加による温暖化)が起こり人類が終焉を迎えるとか、彼らの神の火である原子爆弾が地上を焼き尽くすから(東京、ニューヨーク、パリ、ロンドン、シャンハイ、ソウル)。半世紀前の広島、長崎のように。

こういう風に考えると、キタの核問題は取るに足らない問題で、国連程の大上段の視野では、本来「核廃絶」という大上段から本気で議論すべき良い機会では。
日本として、アメリカとして、韓国として、北朝鮮として、中国として、ロシアとして、フランスとして、イギリスとして、インドとして核はいる、いるかもしれないけれど、人類として、human races としては核爆弾は要らない、ということを否定できる健康的な精神の成人ははたしているだろうか。

「IT 文明のベースを世俗化された一神教が支えている --- そのことを、私はここで主張したいのです。一神教というのは言うまでもなくユダヤ=キリスト教のことです。」(情報学的転回 p.24)の一文 + α) 、だから何なの、とは思った。ウェブ進化論[梅田望夫]ちくま新書を読むまでは。なぜなら、一神教の世界観のコンピュータが何億台と世界中にあるなら、それはむしろ多神教の世界なのでは。多神教の世界であれば日本に有利。多神教をベースとするアジア勢に有利なハズですから。

今日も、「IT 文明のベースを世俗化された一神教が支えている --- そのことを、私はここで主張したいのです。一神教というのは言うまでもなくユダヤ=キリスト教のことです。」(情報学的転回 p.24)の一文 + α について思ったことを書きたいと思います。

ユダヤ=キリスト教というのはよくわからないのですが、おそらくキリスト教系でしょう。わたしはなんちゃって仏教徒ですので、どこが違うのかということを考えてみました。

"Ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you([MATTHEW 7-7]).

"For ereryone who asks receives, and he who seeks finds, and to him who knocks it will be opend([MATTHEW 7-8]).

上記がわたしが知っている範囲でのわたしが一番気に入っている聖書のことばです。大変キリスト教的だと思います。

日本語では、『求めなさい(命令形)!、そうすれば与えられるでしょう。探しなさい!、そうすれば見つかるでしょう。ドアを叩きなさい!そうすればドアは開かれるでしょう([マタイによる福音書 7 章 - 7])。誰であれ求める者は得、探す者は見つけ、ドアを叩くものにドアは開かれます([マタイによる福音書 7 章 - 8)]』となるかと思います。なんて頼ましい言葉なのでしょう?たとえば恋をして、告白しようと迷っているとき、この言葉を言われたら、告白せずにはいられません。

一方、仏教でわたしが一番好きなのは、般若心経で、『色即是空 空即是色 受想行識亦復如是』というところです。
読みは「しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぷにょぜ」という感じでしょうか。
意味は「私たちが感じる世の中は実はなにもないものであり、何もないものから世の中ができている、受とか想とか行とか識といった人間の五感みたいなものもまたそんなもんである。」といった感じ、と思っています。「色」も「空」も「受」も「想」も「行」も「識」も仏教用の専門用語で詳しいことは良く分かりませんが、要は前述のような感じのことばだと思っています。なんと現実的な言葉なのでしょう。たとえば失恋をしたとき、この言葉を聞いたら救われるでしょう。だってどうせ世の中何も無いのだから。恋愛なんて色っぽい想いも、所詮、空、なわけなのです。これは物理学のビックバン宇宙論に通じるところが実はあるように想います。つまり、宇宙は無から生まれた!という説。

この様に、キリスト教と仏教は、実はかなり違うものだと想うのです。
次は、どうしてこう違うのか?ということを書いて、さらにこの違いと IT 文明の行方について感じていることを書きたいと思います。

今日は、「IT 文明のベースを世俗化された一神教が支えている --- そのことを、私はここで主張したいのです。一神教というのは言うまでもなくユダヤ=キリスト教のことです。」(情報学的転回 p.24)の一文 + α について思ったことを書きたいと思います。

わたしはなんちゃって仏教徒で、キリスト教のことも、ユダヤ=キリスト教のことも良く分からないのですが、西垣氏は IT 文明はわたしとは異教徒の思想に立脚した文明だと言っている。氏の言うユダヤ=キリスト教とわたしが持っている聖書ぐらいの聞き慣れた単なるキリスト教が違うのかどうかも良く分からないが、私の持っている聖書は次の『創世記』第一章から次のようにはじまる。

「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。(改段落)神は「光あれ」と言われた。すると光があった。...」

これはコンピュータを買った日とかを連想させる。
「わたしはコンピュータを買いコンピュータの配線を整えた。画面に画像がなく、むなしく、やみが画面のおもてにあり、わたしの期待がコンピュータのおもてをおおっていた。わたしはおもむろに電源ボタンを押した。すると画面に光があった...」
なるほど、たしかにキリスト教っぽいかもしれませんね、これは。

わたしはプログラムも書くのですが、特にここ 5 年くらいでその知名度を大幅に広げた java という言語はキリスト教っぽいです。オブジェクト指向というのですが、コンピュータの中に現実の物を写し取ろう、という思想が感じられます。なるほど確かに氏の言うとおり IT 文明の根底にはユダヤ=キリスト教があったのだろう。

コンピュータも人間が作ったのだから、人間という生き物は完全にオリジナルなものというのは実は作れない。どんな芸術家だって、その芸術は言ってしまえば何かの模倣に過ぎない。たとえばベートーベンがはじめから耳が聞こえなければ、あんな素晴らしい音楽を作れたであろうか?たとえばピカソが生まれつき目が見えなければあんなに素晴らしい力強い絵が描けたであろうか?たとえばエジソンが 2000 年前の未開の地に生まれていたら電球は発明できたであろうか?わたしは NON だと思う。

そういうわけでコンピュータといものを作る着想に自らが真に信じる宗教の影響があっても何の不思議ない、かもしれない。

この本から受けるメッセージは大きく2つあり、
一、IT 文明の基礎には一神教(ユダヤ=キリスト教)がある
二、情報学的転回(世界は突き詰めて考えれば情報しかない!)
です。

この「情報学的転回[西垣通]春秋社」の読書の記録では、
上記の一、二について、わたしなりにまとめ、
さらに、この本と、「ウェブ進化論(梅田望夫)」とから
わたしなりに、世の中今後どういう風に変わっていくのか?という見解を示したいと考えています。


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