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一昨日のNHKスペシャル、1月からのシリーズ物日本人はなぜ戦争へと向かったのか、第三夜は“熱狂”は
こうして作られたでメディアを取り上げた。
番組の冒頭、新聞主要三紙の発行部数のグラフが紹介される。満州事変迄は合計して400万部余程度の
部数は、満州事変後に飛躍的な伸びを見せ、10年後の日米開戦時には800万部を超えていた。戦争は新聞に
とって販売促進には絶好のコンテンツだったと言える。勝利を次々と収める日本軍に将来の展望を見出そうと
したり、親族の安否を気遣う国民感情が、新聞購入に駆り立てたのだろう。満州事変発生時、政府は不拡大
方針を打ち出したが、関東軍は無視して戦線は満州全域に拡がり、新聞各社はどちらの支持をするかの岐路に
立たされたが、大半の新聞社は「満州は日本の生命線」と称し、関東軍を支持した。此処でメディアは致命的な
ミスを犯す。取材の中で満州事変は関東軍の謀略だったという真実を掴むのだが、その真実を伝えることなく、
日本の正当防衛とこれまでの論調を変えなかった。真実よりも国益を優先し、自らが国家的使命を果たす事に
よって国家に貢献したとして自分を正当化したと番組では断じている。それは満州国建国への賞賛や新聞社
132社によるリットン報告書への国際的抗議、国際連盟脱退論の展開によって表された。日本国民も熱狂的に
それらを支持し、国際連盟脱退を実行してしまった松岡洋右全権大使の帰国を歓迎する様は、本人も戸惑う程
だった。新聞各紙も稀代の英雄と祀り上げた。この様な社会環境において、時流に刃向かう様な批判報道は
不買運動という形で新聞各社に圧力が掛けられた。またその様な形での言論弾圧に対し、当事者の新聞社に
その認識は薄かった。最も譲っては成らない物をいとも簡単に明け渡してしまったのだ。強制される前に自己
規制を行う様になり、メディアとしての価値を失ったと言えよう。
当時、新聞と並んで力を持っていたメディアにラジオが有る。満州事変時には100万台程度だったが、日米開戦
時には700万台に達しようかという勢いで契約台数は伸びていた。ラジオは新聞と違って一社独占、日本放送
協会、すなわちNHKが運営していた。言わば国営放送なのだが、その組織のトップ、総裁には総理も務めた
近衛文麿氏が就いていた。彼は日中開戦にあたり、メディア各社に協力を要請、此処に政府とメディアが一体と
なっての挙国一致報道体制が敷かれた。また彼はラジオ放送による自らの演説、それに呼応する拍手や歓声を
日本全国に届け戦意を高揚させた。その手法はナチスドイツ譲り、番組では当時のNHKがナチスドイツの手法を
研究していたと明かす。組織体制や番組編成まで模倣していたとする。
ラジオ放送は音声のみであるが故に受け手の想像力を掻き立て、それは真実と違うものすら連想させる事が
有る。野球中継をテレビとラジオで同時に視聴すると、画面に映る平凡な外野フライがラジオではあわや
ホームランかの様な打球で実況されていたりする。実況者も見る物を含む感じる物全てを音声で伝えなくては
ならず、あのような大袈裟な表現になってしまうのだろう。
報道は作り上げる事は出来ても、真実は作れない。当時の中国の首都、南京が陥落しても日中戦争は終わる
気配を見せない。報道では連戦連勝でも、中国は屈せず戦争は長引き、悪化の一途を辿る経済に日本国民は
不満を募らせる。その不満は中国を支援する米英に向いた。対米強硬論も出る中、開戦に踏み切ったドイツの
快進撃の報が伝わると、陸軍とメディアと国民は日独伊三国軍事同盟を締結すべきとの主張に傾く。同盟には
反対だった外務省や海軍も世論の勢いに負け、近衛総理ですら乗り気では無かったにも関わらず、三国同盟は
締結された。同盟を良しをしない米国は態度を硬化し日米交渉が行き詰りを見せると、メディアは反米報道を
展開し、世論は日米開戦に傾いていった。結果、日本は米英との開戦に踏み切ってしまった。
戦後65年余り、今の日本のメディアと国民に戦前の様な傾向は無いだろうか。好例が小沢氏の政治とカネの
問題に関する一連の報道と国民の反応だ。小沢氏の秘書が逮捕されて以降、メディアは検察からリークされた
情報を真偽を確認する事もなく報道し続けた。確認していては他社に報道合戦で後れを取り、それは視聴率や
販売部数と言った数字に表れる。数字が取れない番組や紙面は打ち切られたり、制作スタッフが変えられたり
するとなれば、まず真実を見極める事よりも、視聴者や読者の関心を惹き、共感が得られる番組や紙面作りが
行われる。それらの報道に曝された国民は過剰に反応し、その国民感情に更にメディアは応えようとした傾向は
否定出来ないだろう。結果、最近の世論調査でも国民の過半数が小沢氏の議員辞職を望むという形で表れて
いる。小沢氏は強制起訴により刑事被告人となったが、検察は起訴を断念しているので、有罪の確率は低い
だろうし、そもそも裁判は開廷しておらず、検察が捜査で得た証拠、証言も開示されておらず、当然、判決も
示されていない。メディアは一部の新聞で議員辞職を主張するも、テレビは野党同様、説明責任を果たす様に
求めているだけだ。現段階で議員辞職を求めるのは時期尚早と言えるのだが、国民感情は収まらない。
当時も今も、メディア、国民共に何も変わっていない危険性を改めて感じるのだが、過ちは再び、繰り返される
のだろうか。
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無題
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御許可ありがとうございます。
しかし、
>国民が好む物をメディアが提供する根本的な構図を考える限り、国民が変わらなければ、メディアもまた変わる事は無いのでしょう。
それが大本と私も感じてます。
結局、メディアと政治もですが、国民の写し鏡ですから。
>ネットの匿名性がマイナスに働くのも否定出来ません。
そこでソーシャルネットワークなんでしょう。
捏造が問題になっていますが、現実との融合が前提の現実仮想空間(匿名でなく実名が前提)、日本では広まっていませんが、その威力は中東で実証済みです。
ともかく、過渡期ですね。
2011/3/1(火) 午後 11:10 [ K9 ]
k99999five9さんへ
中東の場合は為政と民意が掛け離れていて、言論も情報も統制されて
いたので、ネットが利用されて民衆が蜂起した訳ですが、戦前の日本は
民意に為政者が後押しされて、開戦に踏み切っています。当時の日本で
開戦論者と反戦論者、国民はどちらが多かったのでしょうか。もし
開戦論者が多かったのならば、ネットが有っても引き出された答えは
同じだったでしょう。
一方でメディアが伝えなかった関東軍の謀略、最前線の実状、国際社会の
反応や日本への評価、米国の国力等々がネットで情報として日本国民に
伝われば、反戦論者が過半数を超えた可能性も否定出来ませんが。
2011/3/1(火) 午後 11:41 [ 憂国烈士 ]
戦中は反対といえるだけの素地は無かった。この点は今の中国より統一されていたでしょう。小沢さんは眼を逸らす意味でのスケープゴートでしかないのでは・・・
2011/3/2(水) 午前 0:10
アナリスト杢兵衛さんへ
満州事変から10年掛けて陸軍とメディア、そして国民自身が醸成した
社会環境ですから、戦中に反戦論など唱えられなかったでしょう。しかし
中東でもそれは似た様な状態だったはずです。その場合はネットという
ツールが威力を発揮するのではないでしょうか。
小沢氏の件に国民の目を集中させる事で何が隠されているのでしょう。
彼の報道は政権交代前から始まり、交代後の検察の不起訴判断で収まって
いますが、国民のバッシングは留まる処を知らない様です。
2011/3/2(水) 午前 0:31 [ 憂国烈士 ]
●報道は作り上げる事は出来ても、真実は作れない。
→仰る通りですね!権力に摺りよる疑似"真実"を報道して国民を誘導してもいずれバレるものです。しかし、真実が顕かになるまでの時間が勿体無い!犠牲が大きい。
2011/3/2(水) 午後 0:33 [ そふぃあ のブログ ]
政府とマスメディアが一体になって、日本挙国一致の報道で国民を騙していた。と、いうことですか。そのために国民がどれだけ犠牲になったことか。現在も当時のような真実を覆った報道が流されているとしたら、なんと怖いことでしょう。小沢事件の疑惑の裏にも国を揺るがすような真実が隠されているとしたら・・・。怖いですね。
2011/3/2(水) 午後 4:36 [ おせい ]
過日は小生のブログにお立ち寄り頂き有難うございました。多分メディアは多少自立心が養われて来ているのではないかと思料されますが問題は温存されて来た「官僚」です。当時超エリート集団であった軍部官僚は追放されましたが「官僚」制度は解体されることも無く残されました。戦後66年善し悪しは別に官僚任せの政治が今日の日本を支えて来たのです。そして今や菅内閣は官僚政治の盲信者になり下がっている様に思えてなりません。
2011/3/2(水) 午後 8:59
そふぃあ のブログさんへ
当時のとの違いはメディアに頼らずとも、ネットで情報が瞬時に拡散
出来る点です。後は関係者に心有る方さえ居れば、如何に取り繕うとも、
真実は白日の下に曝け出されます。以外と時間は要しないかもしれません。
2011/3/2(水) 午後 11:36 [ 憂国烈士 ]
おせいさんへ
仰る通りなら国民は被害者ですが、現実は加害者でも有ったという事
でしょう。好戦的な社会の雰囲気を作り出したのは他ならぬ世論、つまり
国民です。報道内容を良く自らが吟味すると共に、社説やコメンテーターの
発言に左右される事無く、自らが判断する事が望まれるでしょう。
2011/3/2(水) 午後 11:39 [ 憂国烈士 ]
狐太朗さんへ
戦前のメディアとは言論弾圧に敏感になった点ですが、数字至上主義は
戦後の方が激しさを増している様です。まだまだの感は拭えません。
官僚は日本が戦後復興を遂げる迄は国益第一で行動していた様に思い
ますが、その後は私利私欲の塊と化してしまったかにも見えます。
加えて自民党が為政よりも党内権力闘争に明け暮れていた事が、官僚を
助長させて来ました。そして民主党政権は政治主導を掲げて政権交代
しながら、能力不足を露呈して官僚にすがる始末。官僚達は笑いが
止まらないでしょうね。
2011/3/2(水) 午後 11:47 [ 憂国烈士 ]
この戦争報道で、一番部数を伸ばしたのが読売。カメラマンをどんどん大陸に送り込み、締め切り間際まで、どぎつい写真が届くのを待った。
大正14年 5万8千部 大正15年 9万部
昭和2年 12万3千部 昭和3年 14万7千部
昭和4年 18万部 昭和5年 22万部
昭和6年 27万8千部 昭和7年 33万8千部
昭和8年 49万4千部 昭和9年 57万7千部
昭和10年 66万7千部 昭和11年 75万9千部
昭和12年には、88万5千部と、ついに東朝、東京日日を抜き、東京一の発行部数を誇るまでにのしあがった。
昭和15年、読売は社旗を制定したが、白地に7本の赤い横線が入ったそのデザインは、発行部数増大の棒グラフをシンボライズしたものだった。その後も社旗通り伸びをみせ、昭和19年には191万9千部と200万部に迫り、20年目にして40倍という驚異的な成長を遂げた。この時点で、読売は朝日、毎日と並び称される、三大紙への地歩を築いた。
2011/3/3(木) 午後 2:06 [ senda3 ]
こんにちは、お初にコメントさせていただきます。
「官僚、笑い止まらない、、、」そうですよね、
私はネットの武器は外国語の力と思い定めて、今英語も自分のブログでがんばってますけど。
大変ですけどね、、。傑作ぽち^^y
2011/3/3(木) 午後 2:11 [ 栓次郎 ]
senda3さんへ
かなりお詳しいですね。軍需産業とは違った意味で、戦争に商業主義を
持ち込んだ好例と言えるでしょう。そして残念な事に戦争に疑問を投げ
掛けるのではなく、軍部や大衆の好みに迎合した紙面作りを行ってしまい
ました。今では戦地に自社社員を送り込む勇気は無くなってしまい
ましたが、商業主義は相変わらずの様です。
2011/3/4(金) 午前 1:16 [ 憂国烈士 ]
栓次郎さんへ
国際社会へ訴え掛けるならばやはり英語が必要でしょうね。ですが写真や
映像は万国共通、文字より訴求力も説得力も高いので、結果、影響力も
大きくなります。携帯電話の撮影機能など侮れません。メディアの方には
少々、厳しい時代になって来た気もします。
2011/3/4(金) 午前 1:20 [ 憂国烈士 ]
こんばんは
何かで読んだのですが、言論人では蘇峰の名が思い起こされます
煽ったという意味では自身が認める発言をしていた様な覚えがあり
本人も自覚していたと僕は思っています。
朝日の社旗は
http://upjo.com/up2/data/asa.jpg
こんなですね
2011/3/4(金) 午後 11:46 [ - ]
大室寅之祐さんへ
徳富蘇峰氏はA級戦犯容疑も掛けられている(老齢と持病で逃れました
が。)事から、戦前の日本社会でのオピニオンリーダーの役割を果たして
居ましたね。現代社会で怖いのはテレビに出演するゲストコメンテーター
の方々、番組は構成上、中立を保とうとしても、彼等の発言は世に流れ、
一般の方々に大きな影響を与えます。小沢氏の議員辞職を国民の過半数が
求めているなど、効果は如実に表れていますね。左系政権の誕生で右系の
評論家の方々も出番が増えました。彼等の反中、反韓、反露論も、国民に
影響を与える事でしょう。危険な兆候と言えます。
2011/3/5(土) 午前 1:35 [ 憂国烈士 ]
残念ながらこのNHKの番組は見ていないのですが、何時の時代もマスコミは変わらないのですね?
日中戦争の時に限らず、何時の時も世論の高揚が無ければ国家は戦争にも突入できないし、その時の主権者が戦争を起こしたいと思った時にマスコミを通じて世論操作をするということは無かったんでしょうか?
2011/3/6(日) 午前 3:44 [ チェシャ猫 ]
チェシャ猫さんへ
商業主義という点では当時も今もメディアに差異は無いですね。勿論、
国家指導者が自らの政策に都合が良い様に世論操作を画策する面は有ると
思いますが、其れにメディアが賛同する事は有ってはならないでしょうし、
国民がその報道を盲信する事によって、一層の過激さを増す危険性は
排除されなくてはならないと思っています。
2011/3/6(日) 午後 4:10 [ 憂国烈士 ]
こんにちは
日中開戦時に、それまでたくさんあったメディアをまとめて、今日のような各都道府県に一つと全国紙が幾つかという状態に強制的に統合したんですね(それ以前は千を超えるメディアがあったと思います)。
これは戦争の情報を統制・管理しやすいようにしたわけです。しかし、その事が後々まで尾を引いて、メディアが横並びになるという困った状態を作り出してしまったわけです。
そして、戦後の占領軍はこの状態が 『 渡りに船 』 だったので、この状態を自分たちの言論操作に利用したわけです。そのために、日中戦争当時に作った体制が、今日まで生き残ってしまっているわけです。それが現在の日本なわけです。
アメリカは多くの物を壊しましたが、メディア統制システムは自分たちの道具として利用するために、そのまま温存したわけです。結構恐ろしい状態です。
ですから、歴史は繰り返す・・・ ではなくて
現在の日本のメディアの基本的枠組みは、日中戦争開始の時に作られた統制体制そのものなわけです。
今の日本はそういう世界だということを理解しておかないと大変なことになりますね。
2011/3/7(月) 午前 11:36
こかげさんへ
言論統制に入ったのは近衛内閣からですが、その前から既にメディアが
国家側に擦り寄っていた様に見受けられます。戦後の進駐軍は占領政策の
円滑な遂行の為に、天皇制や靖国神社などを残し、メディア戦略もその
一環として統制下に置きましたが、日本国の独立と共にその縛りも
解かれました。にも拘わらず変化が起きなかったのは、戦前から存在する
記者クラブへの依存と、他社を出し抜く優越感よりも、他社に出し
抜かれない安心感を優先し、他の業種同様、護送船団方式に飛び付いた
事でしょう。近年、記者クラブの廃止が取り沙汰されていますから、
彼等も安穏とはしていられなかったりもします。再び競争社会に放り
出されて、極度の商業主義に陥いる危険性も秘めていますが。
2011/3/7(月) 午後 11:42 [ 憂国烈士 ]