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よくご法事などお参りに伺ふと、「住職は厳しい修行を積んできたのだから失礼のないやうに」、と仰る方がゐます。さういふことを言はれる方も大分お歳をとられました。
昔は、NHK特集で、確かシリーズ行、と言ひましたか、番組がありまして、天台宗の千日回峰行や、高野山、永平寺などの行が取り上げられてゐました。
さういうことから、修行は厳しいと言はれるのかもしれません。
それに対して若い世代は、「えっ、僧侶って研修受ければなれるんぢやないんですか?修行って古くないですか?」、と言はれる。
これにはこちらも驚いて、「宗派によつて加行とか修練とか言ひ方は違うけど、入浴も睡眠も行、研修といへば研修だな」と答へたら、「通いぢやないんですね。そんなのヤダ」と言はれる。
最近の世代では食事、入浴、睡眠が仕事の一環だといふ感覚はないから無理もないのかもしれません。
では、どうして、修行や修練は泊りがけで共同生活を送るのか?
修行を終えてそれぞれのお寺に帰り生活をすると、そこでは修練のやうな日々を毎日送らなければならないといふ決まりはありません。食事も好きなものをいただいたり、お酒を飲むこともある。趣味に時間を費やすこともある。朝も早朝に起きなくても良いかもしれない。
さういふ生活で惰眠を貪つたり、食事をいただく心が見失われたりすることも多々あります。だうしてそれが良くないのかといふと、自己を見失うからです。
そのやうなあり方を反省した時、姿勢と生活を調へる時に、修練の生活は意味を持つと思ふのです。寝るときも一生懸命に寝て起きるときも一生懸命に起きる。勤行も勉強も掃除も洗面も一生懸命、時間を大事にする生活です。
それともう一つ大きな意味は尊敬できる人と出会ふ、良き仲間と出会ふことです。
現代は尊敬できる人が見つけられない時代かもしれません。さういふ時代だからこそ師友を見出すことは大事でせう。
行の内容は宗派によつて異なりますが、共通してゐることは、当たり前の日常生活を手抜きしないことです。このことが、やらされてゐるといふ愚痴を越えて、自然に喜んでできるやうになれれば良いのですが難しいことです。
私自身も恥づかしいことですが、初心に帰りたいと思ふのです。
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若い子たちは「手法」を徹底的に学ぶので…何の目的???って分からなくなっているのかと💦
菜根譚とか絶対読まないですよね(´Д⊂グスン
2018/11/4(日) 午後 6:25 [ 竹光侍2008 ]
確かにそうですね。手法ということでは掃除や作法などお寺でも学ぶことは多いのですが、姿勢、目的は繰り返し生活する中で身につけてゆくことですね。
2018/11/7(水) 午後 4:32 [ 真宗大谷派道浄寺(酒井誠) ]
>寝るときも一生懸命に寝て起きるときも一生懸命に起きる。勤行も勉強も掃除も洗面も一生懸命、時間を大事にする生活です。
さすが、一度修行をされた方は言うことが違いますね。
勉強になります。そういう気持ちで日々の生活を送るということですよね。別に僧侶にならなくても宿泊でお坊さんと生活する意味はありそうですね。
2018/11/15(木) 午前 11:38 [ sik**84 ]
> sik**84さん ありがたうございます。僧侶にならなくとも色々なコースの体験できる場所がありますよ。私なんかだんだん怠け癖がついてきますが、たまに本山に行くと、行くだけで姿勢が正されます。
2018/11/15(木) 午後 2:52 [ 真宗大谷派道浄寺(酒井誠) ]