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どうしても撮りたい写真があって、慌ただしい年末に女川町まで行ってきた。
女川町とは、宮城県の太平洋沿岸に位置しており、 良質な牡蛎や帆立貝、銀鮭などの養殖漁業が盛んな町だった。 山に囲まれたわずかな平地に町が形成された為、 東日本大震災では死者488人・行方不明者454人と、甚大な被害を受けた場所。 http://img6.zozo.jp/people/126050/article/6119154.pimg?w=640&h=640 (2012年2月撮影) そんな場所で亡くなった方たちの遺族がこの時期、 クリスマスツリーを点灯したというニュースを聞いた。 その近くには有志が作ったイルミネーションも輝いているらしい。 あれから町の明かりが消えてしまった女川町に希望の明かりを照らしたい、と。 これを撮らずに年が越せるか。被災地のこと、どんな些細なことでも見逃したくない。 女川は2012年の2月に初めて訪れてからずっと行っていなかった場所。 土地のかさ上げは進んでいるかな。漁港は復興したかな。 思うことは色々あったけど、とりあえず行ってみよう。 ________________________________________________
出発は夜中。途中、積雪が激しくなりたどり着けたのは福島まで。
そのまま車中泊。翌日起きたらあたりは一面雪景色に変わっていた。
雪解けを待って夕方に宮城県の女川町に到着。
二年ぶりに訪れた女川町。高さ20mもの津波に襲われた女川は船や工場など漁業施設のほとんどを失った。サンマ漁船の受け入れは震災前の7割まで回復したが、50社を超えた水産加工場は現在5社。
中心市街地が壊滅的な被害に見舞われ、その再建はあまりにも広範囲にわたる。
写真は昨日の女川の景色。一見すると、二年前に訪れた時と何も変わっていないように見えるが、沈下してしまった土地は盛り土によってフラットになり、破壊された港のコンクリートはきれいに整備されていた。ちなみに津波が来た20mという高さは、女川と書いてある川の文字の下あたり。
あの高さまで強烈な力を持った津波が来たら、人間の力ではどうすることもできない。
「震災遺構」として保存も検討された離島・江島の島民の宿泊施設「江島共済会館」ビル。
重量のある鉄筋コンクリート製のビルは津波を受けても流されることはないのだが、
女川を襲った津波はあまりに強烈だったため、地盤に打ち込んだ杭まで引き抜かれ倒壊した。
手前に見える壁は屋上部分。
何とか撮りたかったツリーとイルミネーションの撮影を終える。
往復16時間もかけて来たのに、撮影は1時間。かなり貴重な一時間だった。
帰ろうとすると地面は完全に凍結しており、泣きながら車体をジャッキアップしてチェーンをタイヤに装着。どうにか高速道路までたどり着く。
またもや福島付近。東北道の福島近辺は標高が高く冬は雪が降ると吹雪になることが多い。
今回も吹雪に見舞われ、一歩も動けなくなってしまったのでここで車中泊。
翌日の天候の回復を祈りながら就寝。万全の防寒対策をしてきたものの、ここまで雪に降られると車内はかなり冷え込む。羽毛のダウン3着重ね着と寝袋3つ重ねても少し寒くてあまり寝付けなかった。
、、と言うことで、何とか帰宅しました。かなりの弾丸スケジュールでしたが、行かないで後悔するよりも思い切って行けてよかった。納得のいく写真も撮れました。一年を振り返ることもなく年が明けてしまった。。次の休みが取れたらゆっくり反省と目標を立てたいと思います。この場所で交流された多くの方々、2013年は大変お世話になりました。今年もまた、素敵な一年をお過ごし下さい。
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2013
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