イシバシハザマ 石橋の「パブログ」

イシバシハザマ石橋です。好きな料理や生き物の事、旦那として、娘と息子の父としてのブログをやっていこうと思います。

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半年前

 

「本当にお世話になりました・・・ほら、あんたもちゃんと挨拶しなさい・・・」

こぎれいな職員室で、僕の横では泣きながら母が、退学届にハンコを押している。

家から遠く離れた私立の高校に入学し、半年も経たないうちに僕は退学した。実際には二ヶ月間ほどしか通っていない。後は、学校に行くふりをして毎朝、JR大阪環状線の中で6周ほど眠りこけ、昼過ぎから、地元の友達とのタマリ場で朝までダラダラと遊んでから家に帰るという日々を過ごしていた。

「お母さん、これで手続きは終わりです。あとコレはクラスの皆からです」

担任の手から渡されたのは、一枚の色紙だった。

「気持ちわるっ・・・」

母と担任に気付かれないくらいの声で、僕は呟いた。そこには色とりどりのペンで、脱落者である僕に、励ましとお別れのメッセージが書かれていた。ほとんど喋った事の無い同じクラスの生徒達からの「元気でね!」という文字に対して僕は、今までの人生で感じた事の無い嫌悪感を覚えたのだ。

母は、僕と一度も遊んだ事の無い生徒からの「また遊ぼうな!」という文字を見て、折角こんな好い友達が出来たのに、という様な表情を浮かべ、また泣きだした。

 

僕は中学を卒業して高校一年生になっていた。そして、何をするにも、何も考えずに行動していた。いや、何も考えていないというのは嘘になる。

地元の中学校の友達に対しては、何かでちょっと目立ちたいという考えだけはあった。

中学校の友達が、誰も通わない私立の高校に入学してみたのも、それが原因だ。「地元のみんなと俺は、ちょっと違うんだぜ」という気持ちで。そう。「Tシャツのデザインが他人と被るのが嫌」程度の感覚で、高校を決めてしまったのだ。

しかし、その安直な発想がすぐに仇となった。通学するのに、片道二時間かかる高校に入学してすぐに思った事は「何でこんなに家から遠いんだ」。

そんな事は、受験の時に分かっていたハズだ。しかし、受験の時に僕が思った事と言えば、「毎日、小旅行みたいで楽しそう〜!」であった。幼い頃からソロバン、ピアノ、習字、サッカーなど、習い事が何一つ続いた事がない。中学に入学する頃には、その途中放棄の人格が完成されていた。マラソン大会でスタート直後にルートを反れて、そのまま家に帰ってしまうというような人間に僕はなっていた。

 

この短い思春期の中で、更に短い期間しか通わなかった私立の高校の思い出といえば、英語の外国人教師が、「僕は阪神のオマリー選手と友達だから、今度このクラスにサインを貰ってきてあげる」的な事を英語で言い、当時はスター外国人選手だったオマリーの名前もあって、少しだけ教室は盛り上がった。

後日、外国人教師が嬉しそうに持ってきたサインは、オマリーのサイン色紙をコピー用紙にコピーしたものであった。しかも、オマリーがマジックの細字の方でサインしているので、それのコピーの色の薄さたるや、教室の真ん中より後ろに座っていた僕には、ただの白紙のコピー用紙を見せられている気分であった。そんな事は全く気にしない大陸感覚に溢れた外国人教師は、自慢げに教室のど真ん中の黒板の上に、オマリーのサイン色紙のコピーを飾った。

思い出と言える思い出は、これくらいのモノしかない。このコピーサインを見た僕は、次の日から学校に行くふりをしてサボり出したのだ。ただ、家から遠いというだけでは学校をサボる理由としては、自分の中で何か弱い気がしていた僕は、何でもいいから学校が嫌になる理由を探していた。

色の薄いオマリーのコピーサインは、僕を嫌な気分にさせるのに充分な効果を発揮してくれた。

一度、学校をサボり出すと、久しぶりに出た授業は全く頭に入って来なくなった。そして、完全に授業に付いていけなくなるのに、ひと月と掛からなかった。遅れた分を取り返す気も無いのだから当然だ。こうなったら早いもので、学校に行くのが苦痛で仕方が無い。じゃあ地元の友達の家で遊んでいよう、となる訳だ。学校から親に、「息子さんが来ていない」と連絡が入る。親が怒る。鬱陶しい。じゃあ学校を辞めよう。とトントン拍子に事が進んだ。

持ち前の、嫌になったらすぐ逃げる、という性分がここでも発揮されたのだ。僕の、学校を辞める、という決断は、両親の強い反対と担任の弱い反対をあっさりと押し切った。

 母親と職員室を出ようとした時に、担任が「最後に・・・」と言って、僕に質問した。

「何か、学校を辞める本当の理由があったら、今後の参考のために聞かしてくれへんか?」

「・・・オマリーのサイン」と喉元まで出かけたが、「いや、別に何となく」と素っ気なく返事した。

 

帰りの電車の中、母と二人で何を喋る訳でもなく窓の外を見ていると、電車沿いにある知らない高校のグラウンドで、知らない高校生たちが体育の授業を楽しそうに受けていた。母は何ともいえない顔をして、高校生たちを見ている。僕はそんな母の顔を、更に何とも言えない顔で見ていた。「ここしかない」そう思い、僕は母に話しかけた。

「俺、高校入りなおすわ」

母は、僕の突然の申し出にビックリした顔をした。そりゃそうだ。さっき高校を辞めてきたばかりだ。自分の息子は頭がおかしくなったんじゃないだろうか?と思っているに違いない。

「定時制高校にでも、行こうと思ってんねんけど」すかさず僕は言った。

僕の中では、すでに計画が出来上がっていた。それは、学校を辞めて今から半年間はとにかく遊びまくってやろう、というものだった。そして来年の春にまた、高校生に戻る。両親も、僕が中卒のまま大人になるよりも、高校に行ってくれた方が嬉しいに決まっている。更に、次の年に高校に入り直すという事は、それまで何もしなくても許される、という事だ。半年間のフリーパスを手に入れたようなもんである。学校を辞めた今、将来の面倒くさい事など考えたくもない。来年の春から頑張ろうという、ただの現実逃避に近い計画であった。

「え!?何でワザワザ、夜学なんかに行くねんな?家の近くの、昼間のちゃんとした高校に行ったらええやないの!?」

母の言っている事は正論であった。しかし、一度落ちこぼれてしまった僕は、もう勉強などしたくなかった。中学の同級生から聞いた定時制高校の情報は、昼間に働く生徒の事を考え、ほとんど勉強しなくてもいい、という話だったのだ。そして学校を辞めた今、両親は当然のように僕が、就職すると思っている。僕は勉強する以上に働きたくなかった。だから学生という肩書きの中で、一番カロリーの低そうな定時制高校に再入学をし、昼間は働かずにダラダラしよう、という馬鹿丸出しの計画を立てていた。

「いや、昼間は働くわ」

全くそんな気はなかったが、僕は堂々と言った。

「そんなもん、卒業したら嫌でも働かなあかんねんで?」

「もう決めたから」

「カエルの子はカエルやな・・・」

そう言ったきり母は黙ってうつむいた。

僕の父と母は、高校生の時に出会った。そう。定時制高校で。ただ父と母が通っていた時代の定時制高校というのは、貧乏な実家にお金を入れる為に昼間は働き、夜間に勉学に打ち込む、という人が沢山いた頃の話だ。僕の時代にもそういう立派な方は沢山いたが、ヤンキー、もしくはいじめられっ子も沢山入学するイメージであった。しかし、定時制高校は定時制高校なのだ。「そんな所に通うな」と両親が僕に言う権利は、全くと言っていいほど無いのだ。

 

「ゲロッ!!」子ガエルはふざけて鳴いた。

それを見た母ガエルはまたまた泣いていた。

 

 

続く 




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