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061015 二条城の北側にある御庭の「清流園」のある辺りの歴史については、二条城の公式ホームページ「元離宮二条城」から引用させていただきます。 ・・・ 創建時(家康の時代)の二条城北部清流園地区は洛中洛外図屏風などから城内通路と天守閣の一部が存在していたと推定されます。しかし、寛永元年(1624)〜同3年(1626)(家光の時代)にかけての二条城増改築の折、天守閣は淀城に移築されて空地となりました。寛永11年(1634)以降、同心(幕府の役人)の住まいが建造され、幕末まで建造物群があったことが確認できます(但し、一時天明の大火で焼失)。同心らの住まいは明治前期に撤去されたと考えられ、緑地に整備されたと思われます。 大正4年(1915)には大正天皇即位式饗宴の儀の会場として利用され、饗宴施設等が増築されました。 翌大正5年(1916)より城内の復旧工事が行われ、饗宴施設の一部は岡崎桜の馬場(現在の京都会館付近)へ移築撤去され、その跡地を有名な造園家小川治兵衛氏によって疎林式庭園に復旧されました。・・・ このあと、さらに戦後、進駐軍向けのテニスコートにされたあと、昭和40年(1965年)に現在の「清流園」が造られました。 写真一枚目は、清流園の和風庭園の西の入口付近で、加茂七石と呼ばれる石です。 二枚目の写真は、和風庭園の中央付近から、東側にある「香雲亭」方向を写したものです。 三枚目は、二枚目と同じ辺りから、西側を写したもので、画面左端にある建物は、「和楽庵」です。
この建物は、表千家の残月庵を模して造られました。 |
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