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140407
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 二月堂の麓にある閼伽井屋から、二月堂を見上げると二月堂の舞台へ向かって上っている斜面に、大きな木と小さな祠が見えています。
 杉の木は、東大寺を開いた良弁上人にまつわる伝説のある杉の木で、良弁杉と名付けられています。
 良弁杉については、別の機会にご紹介すると云うことにして、小さな祠の方について少しご説明いたします。

 この社は、社の脇に立てられている説明書きに寄れば、興成神社という神社で、・・やっぱり説明を引用させていただきます。

・・・興成神社(こうじょうじんじゃ)
 修二会行法を守護する三社(興成、飯道、遠敷)のひとつで、遠敷明神が若狭より送水された折、黒 白 二羽のの鵜が岩盤を打ち破って飛び出て、そのあとから甘泉湧出したのが若狭井(わかさい)で、鵜を祀ったのが、この興成神社である。平安時代には「能く不死薬を取りて人に与え食せしめ、長生の齢を保たしむ」という西岸を持つ菩薩として信仰されていた。平安期には、既に現在地に鎮座していたと想像される。八大菩薩として現存しているのは当社だけである。・・・

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 修二会行法を守護する三社の飯道神社は、二月堂の東北側に祀られていますし、遠敷神社は二月堂の北西側に建てられており、三社で作る三角形の中に二月堂が収まるような形になっています。

 そう言えば閼伽井屋の屋根の端にある飾りは鵜でしたが、そういうことだったのですね。

 ご祭神は、豊玉媛命ですが、山幸彦の奥様です。でも説明書きには、「菩薩として信仰されていた」とあります。
 明治になる前の人達にとっては、神様も仏様も一括りのあちら側の存在だったようで、どちらか一方を認めないとか、どちらが上とか下とかの感覚は、無かったみたいですね。
 それでまったく不都合は無かったというか、うまく折り合いを付けてきたのだと思います。明治の頃の勘違いした誰かが、無意味な政策を行って取り返しの出来ないことになってしまったと感じます。

 正面からきちんと撮った写真が無いのが残念ですが、神社の雰囲気は分かっていただけるでしょうか。
 あらためて、見直すと似たような写真が並んでしまい少し後悔しています。

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初コメントです

まずは最初にisida_tooruさんにありがとうと言いたいです。(*・∀<*)

実はここ数日何度も落ち込むことがあって、なんだか元気がなかったんです。(´∀`)



ブログをみて、こんな風な価値観もあるんだと思ったり(○^▽^○)

共感する部分があったりして色んな意味で自分自身前向きになれたんです。d(^^*)

実際に事実でisida_tooruさんのおかげで今の自分がいるんだって思えます



私自身このブログの管理者であるisida_tooruさんのことがだいぶ気になっちゃってるんです(`▽´)



もしもOKだったら、isida_tooruさんに直接相談したいことがあったりしちゃいます。。。

ayundamon@i.softbank.jp

正直突然のことなのにいきなり連絡しちゃったら絶対引いちゃうかなって思ったんで…ごめんなさい。。+゚m(´・c_・` )m。+゚ユルチテ

2014/12/27(土) 午後 7:46 [ oct*p*sj*de1123 ]


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