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140410
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 平等院は、鳳凰堂がお寺の中心ではありますが、もちろん他にも重要な建物や見所がいくつかあります。

 平等院創建当時からあった建物は、現在では鳳凰堂以外すべて失われています。
 12世紀中頃の平等院の復元想像図をみると、阿字池の形も現在の池の北側に向かって南側にあるような舌状に水面が延びています。
 
 こうしてみると、阿字池はわざわざ掘り込んだ池ではなく、宇治川の河原に水路が取り残されてできた池のようにも見えます。池の南側の水路状の形は、水路を閉め切ってできたのかも知れません。

 阿字池の北側には、現在は大きな藤棚があってその向こうには観音堂があります。しかし復元図を見ると、西から懺法堂や平等院の本堂の本堂が並び、さらに宇治川へ向かって廊が造られ、その先の宇治川上には釣殿が設けられていました。

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 平等院は、源平合戦の舞台としても、いくつもエピソードを残しています。
 それが宇治川の合戦の舞台であり、源頼政の終焉の地であり、また墓所でもあります。

 下の写真が頼政終焉の地で、観音堂の西側にあり「扇の芝」と呼ばれています。ここは、またお寺の公式ホームページから解説を引用させていただきます。

・・・扇の芝
 治承4年(1180)5月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は宇治川にて平家軍に追撃され、平等院で自刃しました。最後を迎えるにあたり、軍扇をひろげて辞世の句を詠み、西に向かい「南無阿弥陀仏」と唱えたといいます。
辞世の和歌「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」・・・

 石の柵で囲まれている場所が、「扇の芝」と呼ばれている場所です。右端に少し見えている軒先や基壇石は観音堂のものです。

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