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140410 平等院の西側に並んでいる二つの塔頭の内、最勝院については前回写真を見ていただきましたので、今回はもう一つの浄土院の写真を見ていただきましょう。上の写真が浄土院ですが、お寺のホームページの解説では ・・・浄土院 浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。 文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。・・・ と、ごくあっさりと説明されています。とはいえ、最勝院よりは平等院との関わりは古いようです。 浄土院の本堂の入口に飾られている愛らしい仏様です。説明書きに寄れば「救世船乗観音」と呼ばれる仏様です。 江戸時代に現在の鳳翔館のあたりにあった観音堂に安置され、旅の安全と無事を願う人々から篤い信仰を受けていました。しかし戦後まもなく盗難に遭い未だに行方知れずとなってしまいます。 平成14年(2002年)に迎えた平等院開創950年記念事業の一環としてこの観音様の復元と開眼が行われました。 確かに間近に居ていただいて、毎日拝みたくなるような仏様ではありますが・・・・・。 最後に以前の回と重複しますが、平等院の創建について、ウィキペディアから引用させていただきます。 ・・・京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。・・・ |
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