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140410
イメージ 1

 御存じかも知れませんが、川の右岸、左岸と言うのは、上流から下流に向かって右側を右岸、左側を左岸と言います。従って平等院があるのは、宇治川の右岸です。

 と書いておいて、上の写真ですが、二つある中洲の上流側から対岸の右岸上流方向を撮ったものです。
 中洲から上流に向かって延びる堰が小さく見えていますが、この堰によって中洲と左岸の間の流れは、おだやかに保たれています。

 中段の写真は、十三重の石塔です。こちらは側に行くと随分大きいもので何のためのものだろうと考えてしまいますが、宇治川の鮎の供養のための塔だそうです。前回詳しい解説を左岸にある料理旅館「鮎宗」のホームページから引用させていただきました。

イメージ 2

 途中までの引用でしたので、引き続き引用を続けさせていただきます。

・・・ 塔は、洪水のために倒壊と修復・再興を繰り返してきました。しかし、宝暦6年(1756)の大洪水による流失以降、約150年間、川中に埋没していました。 現在の姿となる再興は、多田清蓮率いる「福田海(ふくでんかい)」の人達によって川床の泥砂に埋もれた巨石の所在確認を第一歩に明治40年(1907年)より発掘に着手、同年11月から工事が始まりました。
〈 当店より徒歩 約2分 〉
 翌年の4月から行われた石積み工事の際、福田海の女性信者より寄進された髪の毛を編んで綱として、石を引っぱり積み上げました。(東本願寺においても、御影堂建造の際に女性信徒の髪の毛の綱が使用されました。その綱は現在、堂内に展示されています。) そして、同年8月21日、遂に発見できなかった九重目の笠石と頂の九輪石を補って優美な姿が再現されました。
 創建当時のものではないかも知れませんが、塔の最上部の九輪石は、今も興聖寺の庭園に見ることができます。 なお、伏見区の藤森神社の境内の手水鉢の台石は、見つからなかった塔芯が流用されたものといわれます。さらに、一説には、それは石川五右衛門が盗み去ったのだという説もあるようです。
 「浮島」の名は、塔のある中州が洪水に際しても水中に埋もれないことに因み、『都名所図絵』にも「浮舟ノ島」と称されています。現在は「十三重石塔」の島として、「塔の島」と呼ばれて親しまれています。・・・

 長々と引用させていただき有難うございました。
 上流側の中洲ではなくて、「塔の島」という名前があったのですね。因みに下流の中洲は、「橘島」という名でした。不勉強で失礼いたしました。

イメージ 3

 一番下の写真は、塔の島から右岸下流を撮ったもので、画面右端の赤い橋は、関西電力宇治川発電所の導水路にかかる橋で、画面左端に見える赤い橋は、橘島から右岸へ架かる橋です。

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