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150408 上の写真は、大講堂です。講堂の説明は、お寺のホームページからの引用です。 ・・・このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。・・・ 内部は、ガランとして広々とした感じです。大勢の人が参集する施設ですから、人の収容能力は大きいことが必須でしょう。 もう一つ、大講堂と鐘楼、それに経蔵の建物は、現在では、上から見ると凸字型の上の出っ張り部分に配置されています。しかし、元々はこの三棟の建物は回廊の外にありました。つまり凸字型の回廊は、昔は上の出っ張りがない長方形をしていました。 下の写真は、西回廊の北へ向かって曲がるところの廂が、左の上の方に見えています。昔は、このまま真っ直ぐ回廊が左端に見える灯籠のあたりを通って東回廊へ直接繋がっていました。 金堂と五重塔の聖域は、付属施設である大講堂や鐘楼、経蔵と、回廊によってはっきりと分けられていました。 使い勝手の所為なのでしょうか。現在の様に必要な施設間を回廊に取り込んでしまえば、便利この上ないことです。 その代わり、聖域の絶対性というか神聖さは、薄められたように思えます。 聖徳太子の霊が、恐れられなくなったからなのでしょうか。 良く金堂は私どもの家で例えるならば仏壇にあたり、五重塔は墓石にあたると言われます。鐘楼と経蔵は、金堂の付属物と考えられなくもないと思います。それでは、大講堂が一緒にある理由は何故なのでしょうか。 やはり、施設の使い勝手しか思い浮かびません。 |
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