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150409
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 坂の向こうに赤い鳥居が見えて来ますと吉野水分神社は、もう直ぐです。
 下から上ってきた道は、鳥居を通って楼門をくぐり、本殿前に至ります。一方金峯神社から下ってくると、途中から鳥居の内側まで行ける脇道ができており、楽に楼門へたどり着けます。

 また、神社の説明をウィキペディアより引用させていただきます。

・・・吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山上千本)にある神社。式内社で、旧社格は村社。
葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。・・・

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 ウィキペディアの説明にもあるとおり、本居宣長ゆかりの神社として、本居宣長記念館のホームページにも、かなり詳しい神社の説明が載っていましたので、一部引用させていただきます。

・・・ 奈良県吉野町吉野山。延喜式内社。「御子守の神」「子守明神」とも。「恩頼図」に、「御子守ノ神」と書かれる。宣長は、父定利が同社に祈誓した授かった子である(『日記』表紙裏)。このことを母から事ある毎に聞かされ育ったが、特別の信仰心が芽生えた時期は不明。『毎朝拝神式』制定の40歳頃からは毎日遙拝した。直接の参詣は、お礼参りの13歳、花見を兼ねた43歳、和歌山からの帰途の70歳の3度。参拝の感慨を述べた歌が『菅笠日記』(43歳)、「吉野百首」(70歳)に載る。

 同社は、名前の通り水を分けてくださる神である。昔は、「芳野水分峯神」として吉野山山頂青根ヶ峯(857.9m)に鎮まり、頂上から1km西北の山腹の字ヒロノに旧拝所があったといわれている。後に現在地に遷座した。
 本来、雨乞いの神(『続日本紀』)であった同社が子守の神となる過程を宣長は、ミクマリ→ミコモリ→コモリと推定する(「吉野の水分神社」『玉勝間』)。 ・・・

 一番上と、二番目の写真は、横道からの鳥居へのアプローチの写真です。下の写真は、楼門です。

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