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150410
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 雨の降り続く松並木の御馬車道を、中離宮に向います。中離宮は、上離宮に向う途中から右へ曲がって突き当たりになりますが、下離宮の建っている土地よりは、高い場所にあります。

 中離宮についての説明を、ウィキペディアから引用させていただきます。

・・・後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身である。この地にはそれ以前、上皇の第1皇女である梅宮が出家して円照寺という尼寺を構えていたが、上皇の離宮建設の意思を聞いて、奈良八島の地へ移っていた。朱宮御所は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められた。1885年(明治18年)、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となった。なお、林丘寺は門跡尼寺として今も存続している。・・・

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 一番上の写真は、中離宮の表門です。参観者の出入りは向って右側にある通用口から出入りをします。門を入ると広場が有り、幅の広い石段を左に右に折れながら上ると中門があります。

 後水尾上皇の時代には、修学院離宮は、上離宮と下離宮だけで、中離宮のある場所は朱宮(あけのみや)御所がありました。御所とは言うものの随分と郊外にあるものだと驚きます。

 中離宮は、後水尾上皇の死後、朱宮御所を林丘寺と改めて使っていたものが、明治になって御所の半分を宮内省に返還された時に、中離宮として整備し修学院離宮の一部となりました。

 ところで、後水尾上皇は、万治2年(1659年)の離宮造営の一応の完成後、85歳で崩御されるまでの20年ほどは、ほとんど毎年一度〜三度修学院離宮に行幸され、そのたびに中離宮の前身である朱宮御所も訪れて、寛がれていったそうです。

 田舎で暮らす娘の顔を見ていった訳ですね。それにしても随分な規模の修学院離宮を、年に一度〜三度しか訪れられなかったと云うのも、お気の毒な話です。

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