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150410 上の写真は、客殿の西側にある林丘寺へ通じる石段で、普段は通行止めになっています。 林丘寺とは、もともと後水尾上皇の第8皇女・光子内親王の朱宮(あけのみや)御所を、上皇の死後、お寺に改めたものです。明治に入り楽只軒と客殿塔境内の約半分が、宮内省に返還されて修学院離宮の中離宮となりましたが、半分になった林丘寺も、明治以降も門跡尼寺として存続し続けてきました。 地図を見ると中離宮の北側に林丘寺はあるようですが、参観している限りではまったくどこにあるのか感じさせません。 唯一、この石段が林丘寺を思い出す場所でしょうか。 2枚目中段の写真は、二の間の襖絵ですが、ウィキペディアの説明によれば、狩野永敬の四季絵と言うことです。金泥で画かれた雲と、松林が画かれており、拡大すると太鼓橋や小舟などが、松林の間に見えています。四季の絵なのでしょうか。 写真では小さすぎて全く判りませんが、襖の引手は尾長鳥丸紋のデザインとウィキペディアの説明にありましたが、写真を拡大してみると丸い輪の右上半分に大小ななめの突起が見えています。多分それらが尾長鳥の頭だったり羽根だったり、尾羽だったりということなのでしょうね。 下の写真は、一の間の軒先です。楽只軒の部屋と比べると、客殿の方が天井が高く、広さも広い部屋が多いようです。 楽只軒は、もともと朱宮御所の一部だった建物ですが、客殿の方は、東福門院(後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したものですから、立派なのも当然でしょう。 |
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