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150410 修学院離宮の上離宮にある主要な建物の2棟の内の1棟は、窮𨗉亭です。 修学院離宮の下離宮と上離宮は、後水尾上皇が造営したものですが、当時の建物はほとんど失われて居る中で、唯一この「窮𨗉亭」だけは、創建当時の建物が残っています。 それでは、説明を、ウィキペディアから引用させていただきます。 ・・・窮邃亭 - 後水尾院によって造営された上の茶屋・下の茶屋の建物のほとんどが滅失または再建されているなかで、本建物は唯一、創建当時のものとされている。ただし、幕末頃には相当に荒廃していたようで、大幅な修理が加わっている。大きい中島の上に建ち、宝形造、杮葺、屋根頂部に瓦製の露盤を置き、その上に切子頭の宝珠を乗せる。南面と東面は縁および土間庇をめぐらす。内部は18畳の1室とし、間仕切りはない。ただし、北側の東隅に板間が突出し、水屋となっている。水屋には流し、天袋、地袋を設ける。床(とこ)、棚などの座敷飾りはないが、池に面する北面から西面にかけて鉤の手に6畳分を框一段分高くなった「上段」とする。上段の西側窓際には幅1尺、長さ2間の肘掛板があり、これは欅の一枚板である。この建物は、壁でふさがれているのは前述の水屋部分のみで、他は4面とも明障子の戸または窓とする。南側上がり口の軒下の「窮邃」の額は後水尾院の筆である。・・・ 浴龍池の東岸の道から、楓橋を渡り中島へ渡ると、直ぐに石段があり道は二つに分かれます。 一方は、「窮𨗉亭」の西側を通って、池の北岸へ渡る土橋へ向います。 もう一方は、南へ向い千歳橋を渡って万松塢という島へ渡ります。 一番上の写真は、窮𨗉亭の西側ですが、この下に土橋に向う道があります。 中段の写真は、窮𨗉亭の内部の東側です。中央奥に見える板間は、水屋です。 下の写真は、建物の西側ですが、一段高くなっている上段が、西側に4畳、北側に2畳ならんでいます。蔀戸は、開けられていましたが、一番上の写真の蔀戸と同じ窓です。 |
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