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150409 今回は、3枚ともお庭の写真です。ここのお庭はこれで3度目だったと思いますが、初めて来た時は5月の連休明けで、したたるような新緑にあふれ、人影も少なく、これはこれで結構な風景でした。 その翌年は、今回と同じく、満開の桜があふれる風景で、同じ庭が満開の桜によってこんなにも違うお庭になるものかと、驚かされました。 今あらためて、写真を見ると、写真によってはさほど花ばかりという訳ではないのですが、ほんの少しでも満開の桜が写り込むと、とたんに画面全体が華やかになってしまいます。 ただ緑も、新緑は夏の緑に比べると柔らかな色合いで、花の淡いピンクに良く合います。 上の写真は、池の東側で北側にある回遊路から、南岸、つまり丘側を撮った写真です。 2枚目は、池の東端から西へ向っての写真です。向こうに見える屋根は、もちろん護摩堂です。 主に、池の南岸が写っていますが、舞台とも云うべき景観は、南側に集中しています。舞台の背景はもちろん丘の斜面です。そして池の南岸と斜面にかけて、色々と石が置かれ造り込まれて、自然の景観が再現されています。 このお庭のテーマは、前にも説明を引用しましたが、「大峯山の姿を移して庭園を築造し」というのが、始まりです。このお庭の風景のルーツは大峰山の景色です。その庭を千利休か、または細川幽斎が、修築して現在のお庭ができているとのことですから、庭の様式としては、室町時代のお庭をベースとした桃山時代風の池泉回遊式庭園となります。 下の写真では2枚目の写真をやや左に寄せて、少し大きくしてみました。画面の中心には、天人之桜が写っていますが、背景の桜と渾然一体となって、どこまでが天人之桜なのか、判らなくなっています。 桜の上には、竹林院の本館の屋根がひょつこりと写り、桜のカーテン越しには、護摩堂の後ろ姿が見えています。 |
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150409 吉野山の竹林院にある「群芳園」について、不遜ながら構造やら配置をつたない文章で説明してみます。 まず地形ですが、丘の北側がテラス状の台地となっていて、北側や北東には、門や竹林院の本館が建っています。 北西側が庭になっていて、丘の頂上から西側から南側の斜面は森林になっています。お庭は東西に細長い池が、丘の北側のテラス上に丘に沿って造られていて、池の北岸は周遊路となっています。 また池の南側、丘の麓には石灯籠や石塔、石組などが見られますが、こちらは入れないようで、周遊路は池の西の端から丘を登り、丘の中腹から庭を見下ろすように眺めながら歩く道が造られていて、途中池に向って東屋なども造られています。 池の東側から丘を登る道は、1本は丘の中腹をまいて護摩堂の左側に降りてきますが、もう1本丘の頂上へ向う道もあります。 一番上の写真は、池の北岸の西寄りの場所から、南東に向って撮った写真です。画面中央やや左寄りに、華やかに見えている桜の木は、天人之桜です。この庭の要です。画面右側は丘の斜面ですが、斜面にもいろいろな花が咲いていて、華やかです。天人之桜の端から少し見えている屋根は、護摩堂の屋根です。 中段の写真は、さらに北岸を西に進んだ場所からの写真で、池はほとんど西端まで来ています。桜に覆われた池の向こうに護摩堂の屋根が見えていて、景色にアクセントを添えています。 下の写真は、池の西端から撮ったパノラマ写真です。画面右下のアイコンをクリックすると大きくなります。この写真だと、池の雰囲気が良く判る1枚であるなと思っています。 それにしても、近年デジタルカメラの画素数が多くなってきたおかげで、随分細かい物も識別できるようになりました。それは、パノラマ撮影でも同じで、拡大して、細かいところを見ながら、「ウォーリーを探せ」的な楽しみ方もできるようになりました。 撮ったときは気が付かないけど、後で拡大して眺めているときに気が付いた等というものが、時々見つかります。楽しいですね。 |
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150409 ブログを書く上で、写真は1回3枚と決めています。これは2005年9月にブログを始めたときから、ずっと守っています。 理由は、3枚以外ですと、表紙のページのサムネイルが、1日1段にならない為です。ずれても構わないような物ですが、そこは私のこだわりとして守ってきました。 どうしても、3枚以上載せたいときは、画像ソフトで1枚にまとめています。今は無精してやっていませんが、それでも何回かは、何枚かの写真を合成して1枚にして載せたことがあります。 ところで、こうして1日に載せる写真の枚数が固定していると、「沢山写真はあるのだけれど、書くことはそれほど多くは無い。」という悲しい状況が起こりがちです。 文才のある人は、それでも文章を何とかしていくのですが、インターネットを漁って引用多数の身としては、何とかできない事態が生じます。 たとえば、こちら竹林院の群芳園。 資料的にはお庭の入り口に掲げられていた説明板とか、ウィキペディアとか、あることはあるのですが大した分量ではありません。当然と云えば当然ではありますが・・・・。 と云うことは、私の印象記と資料の引用では、ブログの文章は直に行き詰まってしまいます。 一方写真の方は、戸外ですから室内と違い制限が無く写し放題で、しかも桜の花は満開です。いくらでも撮り続けたい状態で、実際のさころ枚数もこちらでは沢山撮っています。 群芳園は、今回で3回目。文章の方はほとんどネタ切れですが、写真の方はもう2〜3回は行けそうです。 ということで、今回は愚にも付かない文章を割り込ませました。すみません。 写真は、お庭の中心にある天人之桜を角度を変えて撮った物です。枝垂れ桜は、少し早咲きなのでしょうか一部緑の葉が芽吹いている枝もありました。 |
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150409 吉野山の上千本地区にある竹林院の庭園「群芳園」について、浦野英孝氏による「奈良観光」のホームページから引用させていただきます。 ・・・ 竹林院「群芳(ぐんぽう)園」 「護摩堂」の背後が、当麻寺「中の坊」、大和小泉 「慈光院」の庭と共に大和三庭園の1つ「群芳園」で室町時代末頃、竹林院第21世の祐尊が大峯山の姿を移して庭園を築造し、その後1594年(文禄3年)太閤秀吉の吉野山観桜に際して、千利休がそれに手を加え、桃山風の池泉回遊式庭園に修築していますが、一説によると細川幽斎が改築したとも云われ、庭園は320坪(約1000平方米)程在り、手前に出島、左の角に滝が造られ、二重集団二重護岸の石組などに室町時代の遺構をそのまま残していますが、桃山時代の作風を示す蓬莱石組が中心になっていて、吉野山の自然の景観も取り入れ、借景式庭園になっています。・・・ 竹林院の門をくぐると両側に大きな建物がありますが、右手に見える建物が本館の様です。 門の正面に、大きな建物から飛び出したように正面玄関が作られており、お庭へは、玄関の左側を回って入場します。 玄関の左側を回ると正面にあるのが、護摩堂。護摩堂の左側は丘になっていて、丘の中腹や頂上広場などへもお庭の回遊路が巡っています。 お庭へは、護摩堂の右側をお寺の本館から護摩堂への渡り廊下をくぐってお堂の後へ回ります。一番上の写真がその渡り廊下ですが、古くて中々良い感じの建物です。 中段の写真が、お庭に足を踏み入れて最初に目にする景色です。 見て判るとおり、画面の左側は丘になっていて、丘の上には東屋も見えています。この写真ですと丘の麓にある池や畔の回遊路は、西南西に向っています。 丘のある方は、南側。北側はさらに斜面が下へ続いているようです。丘という書き方をしてしまいましたが、山の中腹にできた台地状の土地にお庭は造られています。 庭の中央に見えている見事な桜の樹は、「天人之桜」と呼ばれていて、脇に名を刻んだ碑がありました。 |
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150409 金峯神社からトロトロと下ってきた道も、ようやく、金峯神社行きのバス停のある竹林院前まで、降りてきました。大体時間にして、1時間40分といったところでしょうか。 金峯神社行きのバス停は、いまや大変な事になっていて、私たちが並んだときの何倍もの長さの乗車待ちの列ができています。 これから上って、降りてくると何時頃になるのでしょうか。 現在11時40分。お昼にはやや早めですが、バス停の前にある食堂へ入り、お昼をいただくことにしました。名物の柿の葉寿司とうどんのセットに、胡麻豆腐とひじきの煮物とデザートのついたセットを頼みました。 お店に入ったときは、まだまだ空き席がありましたが、間もなく満員となり注文も中々できない状態になってしまいました。幸い私らはそうなる前に注文を済ませ、ゆったりと食事をとって、満員の食堂を後にすることができました。 お店から直ぐの場所に、竹林院があります。竹林院は大規模な宿坊で、ホームページなどをみるとほとんど高級旅館のようです。 吉野観光協会のホームページには、竹林院のことをこう説明しています。引用させていただきます。 ・・・聖徳太子の創建と伝わる寺院で、格調高い宿坊としても有名。 護摩堂に安置されている聖徳太子坐像は南北朝時代の作です。 庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれ、大和三庭園のひとつにもなっています。・・・ お目当ては、お庭である群芳園です。ちなみに大和三庭園とは、ここの竹林院の群芳園の他に、前日見学した慈光院の庭園。それに當麻寺中之坊の香藕園(こうぐうえん)です。 写真は、中段が庭の入り口にある護摩堂です。お庭へはお堂を右に迂回して入ります。 そして、下の写真がお庭の写真。まずはじっくりとご覧ください。 |


