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140410
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 平等院の拝観が一通り終わりましたので、南門から退出しました。

 少し歩くと宇治川の畔の道に行き着きます。川岸の道に沿って料亭や旅館が並んでいますが、どこも高級そうな感じで、私には縁が無いようです。

 対岸の手前には中洲があって、中洲へ渡る赤い橋が架かっています。
 中洲と川岸の間は、中洲の上流側で堰が設けてあるらしく、流れは緩やかです。後で中洲へ渡り、向こう岸と中洲の間の流れの猛々しさに驚きました。

 中洲は、上流側の部分と下流側の部分に別れていて、形はちょうど数の子を上から三分の一位の所で、庖丁で左右に切り分けたような形をしていて、二つの中洲も橋で繋がっています。

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 一番上の写真は、川岸から上流側を見た写真で、右側に架かる赤い橋は川岸から上流側の中洲へ渡る橋です。
 中洲に建っている十三重石塔が見えています。
 画面左端に見えている赤い橋は、二つの中洲を繋ぐ橋です。

 中段の写真が十三重石塔ですが、由来などを探していましたら料理旅館「鮎宗」さんのホームページに精しく載っていましたので、引用させていただきます。

・・・
京都府立宇治公園中の島に建つ「十三重石塔」は高さ約15m、現存する日本最大の最古の石塔です。 歴史をさかのぼること720年、鎌倉時代。奈良西大寺の高僧の叡尊によって、宇治川での殺生の罪を戒め、供養塔として建立されました。
 弘安7年(1284)、宇治橋の架け替えに際し叡尊は、橋の流失は魚霊の祟りであると考え、宇治川の殺生禁断令の発布を朝廷に要請し、その後、網代などの漁法は禁じられたのでした。塔の下には漁具などを埋めて、弘安9年(1286)に、法要が営まれました。 基礎の表面にはその縁起を記した一千字をこえる銘文が刻まれています。・・・

 このあと、塔は洪水によって倒壊と修復を繰り返しながら、現代に至るのですが、そこら辺もこのあと鮎宗さんのホームページには書き込まれていて、読み応えのある解説となっています。
 また石塔の写真を載せたときに、続きを引用させていただこうと思っています。

 下の写真は、中洲と川岸の間に舫ってある宇治川観光通船です。

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